第56話 蜂道蜜也の前日譚
没ネタです。
「先生。虫も殺せないような僕でもシーカーになれるでしょうか?」
「逆です。誰もが軽んじる小さな虫の命さえ大切にできる君なら、きっと世界最高のシーカーになれるでしょう。だってシーカーの仕事はアポリアを倒すことではなく、人々を守り救うことなのですから」
初めて他人から必要とされた少年は感動で胸がいっぱいで、満面の笑みを涙で濡らした。
真白との出会いから半年後。
森の中を走る蜂道蜜也は、木の枝に張られた蜘蛛の巣に捕まったチョウチョを見つけた。
「大変だ」と、蜜也は優しい手つきでチョウチョを助けてあげると、回復魔術を使った。
蜘蛛の巣から逃れようと暴れ、すっかり体力を消耗したチョウチョは、元気いっぱいになって空へと羽ばたいた。その姿を笑顔で見送るも、視界の端でうごめくクモに気付いて慌てた。
「あ、ごめん、君のごはん取っちゃって」
蜜也は、何もない空間から魚肉ソーセージを取り出すと口の中で噛んで潰して団子状態にしてから、クモの巣に張り付けた。
すると、クモはすぐにかぶりついた。どうやら初めて食べる魚肉がお気に召したらしい。
「じゃあ、僕はもう行くから」
クモに別れを告げるために振った手に視線を落として、蜜也は満足げに笑った。
回復魔術は、肉体強化魔術の最高峰であり奥義。使える人は限られている。
蜜也は才能があったらしく、この半年で、すでに簡単なケガや疲労を数秒で完治させられるようになっていた。
蜜也の魔術適正は攻撃向きではない。しかし回復役、いわゆるヒーラーとしてなら、自分でも役に立てるだろう。それに、この力があれば戦いの無い平時でも、多くの人たちを救える。
真白に会えて良かったと、心の底から思いながら、蜜也は修行場所に向かった。
今日は、真白から入学試験前に紹介したい子がいると言われている。
虫好きをバカにされ、今まで独りぼっちだった蜜也だが、もしかすると初めて友達ができるかもしれない。そう、期待に胸を膨らませて気が緩んでいたせいか、蜜也は深い川を渡る時に足場の岩から足を滑らせて、水中に落ちた。
蜜也はあっけなく溺れて、意識が遠のいた。
けれど、気が付いた時、彼の背中は地面の安定感を得ていた。
どうやら、誰かが助けてくれたらしい。何か、温かくてやわらかい感触が唇を覆い、熱い呼吸が身体に流し込まれた。途端に蜜也はむせこんで、喉の奥から水がこみ上げてきた。
「ゴホッ ゴホッ!」
「あ、起きた」
無邪気な声。どうやら、誰かが自分に人工呼吸をしてくれたのだと理解してから、蜜也は上体を起こして目の前の少女に目を剥いた。一言で言えば、彼女は絶世の美少女だった。
ルビーのように光沢を帯びた艶やかな赤いロングヘアーに、静脈が透けそうなほど病的に白い肌はみずみずしく、強い生命力を感じさせた。美しい顔立ちは、地球上のどの人種とも違い、くちびるから覗く白い牙と、薄く発光している桜色の瞳は魔性の魅力に溢れていた。
誰が見ても恐怖するその威容に、だけど蜜也は歩い陶酔感に恍惚とした。
――世の中に、こんな綺麗な生き物がいるのか……。
まして、自分は彼女とキスをしてしまったのだ。思春期故の興奮が抑えられなかった。
「キミ、私が怖くないの?」
「うぇっ!? いや、怖がるだなんて、だって僕は……」
「ボクって何?」
不思議そうな顔で首を傾げた。そうすると、美しいというよりむしろ可愛く見えた。
「ぼ、僕は私と同じで一人称で、あれ? 知らないの?」
しどろもどろで汗をかく蜜也の姿を、彼女は目を細めて観察した。
「ふぅん。じゃあ、ボクも今日からボクのことはボクって言うよ」
「え!? な、なんで!?」
「みんなと一緒なんて気持ち悪いじゃないか。ボクは使用者が少ないみたいだからね。そのほうが、よりボクらしい」
蜜也が焦る一方で、何故か彼女は無邪気というよりも無関心で気だるげな声を返した。
「僕は使っているんだけど!?」
「そうだね。こういうのなんて言うんだっけ? えーっとそうだ」
こてん、と頭を倒して、小柄な蜜也の顔を覗き込んで一言。
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