ラストチャンスがくれたもの

Youlife

第1話

 東京・新宿のライブハウス。杉田麻里すぎたまりは、『あっぱれ!まりりん』と言う名前で新人お笑いタレントたちがネタを披露するイベントに出演した。

「正社員からのいじめと戦う派遣女子まりりん」と題したモノローグコントで、麻里は執拗ないじめに遭った派遣社員まりりんに扮し、最後にはいじめを撃退し「あっぱれ、まりりーん!」の決め台詞とともに、高々とピースサインを掲げた。

 しかし、座席にいる客の数はまばらで、客もスマートフォンばかり見つめており、麻里のネタに聞き入っている人は少なかった。

 麻里はネタ披露が終わると、楽屋に戻り、大きなため息を付いた。


「はあ……私の出番になると、どうしてお客さんがグッと減っちゃうんだろ」


 肩を落とした麻里は、ネタを書き込んだノートを取り出して読み返したものの、一体どこが悪かったのかいまいち理解できないでいた。


『よう、お疲れさん』


 落ち込む麻里の背中から、細身のスーツを着込んだマネージャーの井原が声を掛けた。


「今日もお客さんが少なかったね」


 井原は、麻里が落ち込んでいるにも関わらず、腕組みしながら麻里に辛辣な言葉をぶつけてきた。


「ここまでお客さんが少ないと、僕も君の今後の処遇を考えなくちゃいけないんだよ。わかるよな?」

「はい……でも私、お笑いが好きだから、まだ辞めたくありません。仕事を辞めて退路を断ってこの世界に飛び込んできたんですから」

「でもな、僕から見たら君はお笑いじゃなく、グラビアとかに転向した方がまだやれると思う。顔も美人だし、身長が168㎝もあって、スタイルもうちのタレントの中ではずば抜けていい方だし。何なら僕の知り合いのモデル事務所に掛け合ってやっても良いんだぞ」

「そ、それはやめてくださいっ!」

「どうして?そっちの方が活躍できる場が多いと思うぞ」

「だって……グラビア雑誌って、男の人向けじゃないですか?ちっちゃなビキニを着て笑顔になる意味が分かんないし、私の写真を見て発情する男の人がいるとか、想像するだけですごく嫌だから」


 井原は麻里の返答を聞いて苦笑いを浮かべた。


「そんなに、お笑いを続けたいのか?」

「はい……まだまだこの世界でがんばりたいです」

「じゃあ、最後のチャンスをあげるよ」


 そう言うと、井原は上着のポケットからスマートフォンを取り出すと、誰かと連絡を取り始めた。


「あーもしもし、井原だけど。今から新宿に来れる?あっ、近くに居るんだね。じゃあすぐこっちに来てくれるか?そう、うちの事務所がいつもライブやってる場所だよ。待ってるからね」


 井原は再びポケットにスマートフォンを仕舞い込むと、自分の構想を話した。


「君は今までピン芸人でやってきたけど、これから紹介する奴と一緒にコンビでやってほしい。そいつも君と同じでピン芸人でやってきたけど、なかなか売れなくてがけっぷち状態でね。お前は素質が無いから転職しろって言ったんだけど、辞めませんって頑固に言い張って困ってるんだよね」


 井原がいらついた口調で話していると、ちょうど楽屋のドアを叩く音がした。


「こんにちわ~!小為替真二こがわせしんじで~す!」


 登場したのは、郵便局員のような緑色の制服に身を包んだ、髪の毛の薄い丸眼鏡をかけた小太りの男性だった。


「紹介するよ、小為替君。うちの事務所で君と同じピン芸人で活動している『あっぱれ!まりりん』さんだ」

「はじめまして~小為替です!この世界に入るまで、ずーっと郵便局で働いてましたぁ!郵便局ネタが僕の持ち味です。よろしくお願いしますっ。あ、かんぽ生命の簡易保険、よろしかったらご加入いただけませんか?」

「あのな、ここは営業の場じゃねえんだよ。これからお前にとっても、まりりんにとっても大事な話をするから、よく聞けよ!」

「はいっ、何なりとお申し付けくださいませっ」


 井原は、麻里と真二を交えて、さっきと同じ話を伝えた。


「そういうわけで、二人でコンビを組んで活動を始めて欲しい。コンビの名前とネタは、あらかじめこっちで用意した」

「え?マネージャーの方でもう用意したんですか?」

「ああ。悪いけど正直、君たちのことは全然信頼できないからね。余計なことはせず、僕の言う通りに動いてくれよ」


 そう言うと、井原はコンビ名を提示した。


「コンビ名は、今から言う三つの中から選べ。一つ目は『お腹いっぱい』、二つ目は『只今値引きセール中』、最後に『ナレソメ』。どうだ?」

「一つ目の『お腹いっぱい』って何ですか?」

「ああ、君らのネタはありふれていてつまんない、お腹いっぱいってことだよ」

「そんな自虐的な名前は嫌です。二つ目は、どういう意味ですか?」

「君らはスーパーで言うところの『売れ残り』だ。値引きするから買ってくださいっていう意味だよ」

「じょ、冗談言わないでくださいよっ。僕らは売れ残りなんかじゃありませんっ!」

「しょうがねえな……じゃあ君らのコンビ名は、三つ目の『ナレソメ』に決まりだな。これ以上の異論は許さないからな」

「ええ?そ、それって、私たちが付き合い始めのカップルみたいじゃないですか?」

「売れてない癖にごちゃごちゃ文句いうな!さ、次はネタだ。事務所の先輩芸人達にも手伝ってもらって台本作ってくるから。ここまで面倒みたんだから、これで外したらさすがに許さないからな!」


 井原は立ち上がると、勢いよくドアを閉めて楽屋から出て行った。


「はあ……もう後がありませんね。とりあえず、お互いラストチャンスですから、一緒にがんばりましょうっ!まりりんさん」


 麻里の隣に座る真二は礼儀正しそうだが、薄い髪の毛と福助小僧のような見た目がどうしても受け付けなかった。しかも、真二と二人で『ナレソメ』なんて名前で活動するなんて、苦痛と屈辱以外の何物でもなかった。


 ☆☆☆☆


 数日後、事務所に呼び出された麻里と真二は、井原から台本を渡された。

 麻里は台本に一通り目を通したが、読むうちにだんだん腸が煮えくり返ってきた。


「どうして?こんなオチじゃ、私はこの人に気があるって思われるじゃないですか?」

「出来ないのか?何なら今すぐ辞めてもらってもいいんだぞ」

「わ、わかりましたよ……」


 麻里はふて腐れた顔をしながら再び台本に目を通した。これが与えられた最後のチャンスである以上、麻里には断るという選択肢は無かった。


 数日後、二人はいつも出演している新宿のライブハウスで、『ナレソメ』の名前で初めて舞台を踏んだ。

 真二はいつものように緑色の郵便局員の制服姿で、そして麻里は派遣社員としてスーツ姿で登場した。

 麻里は机の上で事務処理をしていると、制服姿の真二が近づいてきた。


「どうも~!新宿郵便局の小為替真二です。お忙しい所すみませ~ん。ちょっとだけ、お時間いいですかあ?」

「え、は、はい……何でしょうか?」

「今日は私ども郵便局の方で扱っている、かんぽ生命の簡易保険のご案内に上がりましたぁ。どうです?保険があれば、一・生・安・心!」

「そうですね、でも、今の私は要りませんから」

「じゃあ、この商品なんかどうでしょ?学資保険、これさえあれば、お子様の進学の時には大助かりですっ」

「あの、私はまだ子どももいません。というか、結婚もしてませんし」

「そりゃまずい!じゃあ、一緒に相手を探そうじゃありませんか。そして生まれてきたお子さんには、ぜひともうちの学資保険を!」

「いい加減にしてくださいっ!もう結構です。私、仕事があるんでこれで失礼します!」

「……すみません、僕、このままじゃ帰れないんです。契約が一つでも取れないなら、左遷だって言われてるんで」

「私にそんなこと言われたって……」

「じゃあ、僕と契約しませんか?」

「え?保険じゃなくて、あなたと?」

「そうです!僕が一生かけて、あなたを守ります!」

「あのお……それって、プロポーズ?」

「そういうことに……なりますかね?テヘヘ」

「しょうがないわね。そこまで言うなら、契約しますよ」

「やったあ!あっぱれ!しんじ~!」

「ちょっとちょっと、そこはあっぱれ!まりりーん!でしょ。人のネタ盗まないでよ!」

「あはは、バレたか。どうもありがとうございました!」


 二人はネタ披露を終え、深々と頭を下げた。

 予想外に受けたようで、客は二人の演技に目を向け、最後には拍手を送ってくれた。しかし、座席に座っていた客の数は、麻里がピン芸人で活動していた時と同じ位だった。

 その後も『ナレソメ』は何度かライブに出演したが、人気が上がることは無く、しびれを切らした事務所は、ついに二人の解雇を決定した。


 ★★★★


 解雇通知を受け取った帰り道、落胆する二人は夕暮れの道を並んで歩いた。


「私たち、どうしよう?これから……」

「そうですね、どうしましょう。生活費もないし、とりあえず、郵便局関係の仕事に戻ろうかなって考えていますよ。麻里さんは?」

「私はもう会社には戻れないし、派遣で働こうかな……」


 その時二人は同じことを思ったのか、歩みを止め、お互いの顔を見つめ合った。

 二人はしばらく沈黙していたが、麻里が口火を切った。


「ねえ、私ともう一度コンビを組まない?」

「え?」

「お笑いだけじゃなく、プライベートでもね」

「麻里さん……僕も実は、そう思っていました」


 麻里も真二も恥ずかしそうな様子で少し言葉を濁したが、しばらくたって麻里が早口でまくし立てるように自分の気持ちを伝えた。


「だって、真二さんに何度も何度も『僕と契約しませんか?』って真顔で言われるうちに、私の心が真二さんに惹きつけられてきちゃって……」

「ははは。僕もですよ。何度もその台詞を言ううちに、麻里さんのことが本当に好きになったというか……」

「マネージャー、私たちがこうなることを予想して『ナレソメ』って名前にしたのかな?」

「かもしれませんね」


 麻里と真二は、どちらからともなく片手を差し出すと、お互いに手を握り締めながら、夕陽に照らされた駅へと続く道を並んで歩き始めた。



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