第42話 夕星・22 ~目覚め~


 帳の隙間から射し込む朝の柔らかな光の気配を感じて、夕星はゆっくりと瞼を開いた。

 不思議なことに、左の脇腹に痛みも……それどころか何の痛みも感じなかった。反射的に刺された傷があるはずの場所に手を当てたが、そこには巻かれているはずの薬布もなく、肌は傷痕ひとつなく滑らかだった。


 夕星は、朝の光の眩しさに目を細める。

 細めた目に、見慣れた蒼い瞳が映った。


「シオ……どの?」

「おはようございます、夕星さま」


 寝台の脇に座っていたシオが、まるで毎朝同じことを繰り返しているかのような慣れた口調で、そう言った。


「私は……?」


 まだ夢とうつつの狭間を彷徨っているかのような口調で呟く夕星に、シオは笑いかけた。


「ようやく起きて下さいましたね。あなたは三月みつきも寝ていたんですよ」

「三月……」


 夕星はまだ半覚醒の状態のまま、シオの言葉を繰り返す。

 そうして何かを確認するように、自分に向けられた蒼い瞳を見つめた。


「ずっと、夢を見ていた」


 シオは少し黙ってから、優しく聞き返す。


「どんな夢です?」

「あなたの夢を」


 夕星は独り言のように、言葉を続ける。


「夢の中で……私はあなたの夫で、あなたは私の妻だった」


 そうですか、とシオは微笑む。

 そうして半ば皮肉げに半ばおかしそうに言った。


「私はさぞや悪妻なんでしょうね。あなたが私のためにしてくれていることを何もわからず、好き勝手に生きて、たまに帰ってきたと思ったら的外れなことを言ってあなたを困らせてばかりいるんでしょう」


 今と大して変わらないな、というシオの言葉を聞いて、夕星は安心したように小さく笑った。

 シオはしばらく黙ったあと、微妙に視線を逸らしたまま夕星に聞いた。


「傷は大丈夫ですか? ……私が刺した傷は」


 シオの言葉に夕星は大きく瞳を見開く。

 シオはぼやくような口調で言った。


「何なんでしょうね、私は。夕星さまを守る、と言いながら、あなたを傷つけてばかりいる。あなたのことがとても大事なはずなのに、思い通りにいかないと苛立ったり、あなたに意地悪をしたり、自分の気持ちもよくわからなくなったり。本当に何なんだろう、と思うことがあります」


 俯いているシオのほうへ、夕星は手を伸ばした。

 そうして、そっとシオの手を握る。


「シオどの、あなたは私の妻だ」


 シオは虚を突かれたように、夕星の顔を凝視する。そうして夕星の見ている前で、徐々に悪戯っぽい笑顔になった。


「そうですね、あなたは私の夫ですものね」


 寝台から半身を起き上がらせた夕星の姿をしげしげと見ながら、シオは言葉を続ける。


「何だか……不思議なものですね。十二の時に夕星さまに求婚して、もうずっと夫婦として生きてきたような気持ちなのに。……これから結婚するだなんて」


 寝台の上の夕星の顔に、驚きと期待が浮かぶのを見て、シオは笑った。


「忘れちゃったんですか? ちゃんと言いましたよね。私と結婚してください、私があなたを守るから、あなたは私の居場所を守って下さいって」


 シオの言葉を聞くと、夕星の瞳に涙が浮かんだ。

 瞳を涙で潤ませながら、夕星は頷く。

 シオはその様子を柔らかい眼差しで見守っていたが、しばらくして照れ隠しのように声を大きくした。


「これから忙しくなりますよ。大法院から結婚の許可をもらわないといけないし。許可が下りたら誓約の巡礼にも行かないといけませんからね。陛下に報告して、宮廷にもそれとなく広めないといけないな」


 まったく、貴族になんて生まれるもんじゃないですよ、面倒臭いったらありゃしない。

 シオは何かを誤魔化すかのように、ことさら不満げにブツブツとぼやく。

 そうして、ふと笑顔で自分の言葉を聞いている夕星に視線を向けた。

 シオは寝台に手をつき、身を乗り出すようにして訝しげに首を傾けた夕星の顔に顔を近づける。


「でもその前に……夫としての務めを果たしていただこうかな」

 

 シオは夕星の唇に唇を重ねる。

 赤くなった夕星の耳に唇をつけ、愛撫するように囁く。


「約束でしたものね。夕星さまのお加減が良くなったら、抱いて差し上げるっていう」


 うっすらと頬を染めて俯いた夕星の顔を捕らえて、頬や顎、首筋に唇を当てる。

 心地よさそうに震える夕星の体をシオが押し倒そうとした瞬間、慌ただしい気配がして御帳がパッと開いた。


「シオさまっ! もしや夕星さまが……っ!」


 人が動く気配を感じて、礼儀を頭から吹き飛ばして御帳台の中に飛び込んできたミトは、目の前の光景を見て一瞬で硬直した。

 シオは夕星の上にのしかかった姿勢のまま、ジロリとミトを睨む。


「このタイミングで入ってくる? 相変わらず空気の読めない子ね」

「もっ、申し訳ございませんっ!」


 これ以上はないというほど顔を真っ赤にして、外に飛び出たミトに、シオは帳の間から顔を出して声をかけた。


「これから久し振りに夫婦水入らずで過ごすから、邪魔しないでね。昼になったら呼びに来て。とりあえずアシラス殿下のところに、お断りとお詫びのために行かないと」


 およそ「詫び」という言葉からは縁遠い表情で、シオは「ふん、自慢してやる」と口の中で呟いた。



「シオどの」


 朝の光が射し込む寝台の中で、夕星は妻の獣のようにしなやかな体に手を回す。

 その体をしっかりと抱き締めながら、夕星は言った。


「これから私たちは、ずっと夫婦なのだな」

「そうですよ、夕星さま」


 シオは、自分の体を抱き締める夫の動きに応える。

 そうしながら、心の中で囁いた。



 私たちは夫婦です。

 これまでも、これからも。


 昼の想いの中でも夜の夢の中でも。


 この先、ずっと。



(終)







★後書き★


元々この話は、「昼想夜夢」という言葉から思いつきました。

そこにずっと書きたいと思っていた「女攻め(男受け)」「会わない恋愛」という要素を入れてみました。


「女攻め」は男キャラが全てにおいて受け身にならないと成立しづらいので、既存の男キャラの造形だと描くのが難しいなと思ったのですが、BLの受けキャラを参考にしたら比較的すんなり書けました。

「女攻め」は余り人気がない超マイナージャンルらしいですが、(タグ検索してもほとんど出てこない)自分は好きなので書いていて楽しかったです。


お時間があったら、評価・感想などをいただけると嬉しいです。


「女攻め」がジャンルとして広まって欲しいので、また何か思いついたら書こうと思います。

その際は、「女攻め」が好きなかた、もしくは好きになってくれたかた(いたら超嬉しい~)に読んでいただけたらと思います。


最後になりましたが、ここまでシオと夕星の夫婦の話を読んでいただいてありがとうございました。


苦虫。

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昼想夜夢 ~昼に想い、夜に夢見る~ 苦虫うさる @moruboru

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