―― 夜 ――

「邪魔するよ」


 大釜で炊いて、おひつに移したお米も残り僅か、そろそろ店終いかという雰囲気漂う、おむすびや。


 そこに、向かいの総菜屋店主の女性がふらりと訪れた。

 彼女が営む総菜屋は、主食もおかずも、夕食の副菜も、お酒のつまみも、何でもござれの、多種多様に渡った品数の多さが自慢の人気店だ。

 おむすびやと違って、向こうはこれからの商売である。


「よう。総菜屋」

「どうも。おむすびや」


 米とおかずが向かい合ってるわけだ。

 食の組み合わせとしては、相性が良い。


「おにぎり、頼む」


 彼女の、そのひと言で、店内の3人から営業用の表情が消える。


 若い男性店員は、壮年の男性店員に暖簾を下ろすよう、指示を出す。

 女性店員は、無言のまま奧に引っ込み、姿を消した。


 総菜屋の女店主は、その場で険しい表情のまま、動かない。

 若い店員は、腕組みしたままだ。


「鬼、か」

「ああ、『鬼切り』さ」


 ホームレスの老人を食って、人間の肉の味を覚えた鬼がいる。

 今晩、その鬼を切る。

 人の営みから外れた、お天道様に顔向けできない鬼の活動時間は、主に夜だ。

 そんな鬼だからこそ、夜に、切る、鬼を切る、鬼切りが、要る。


 若い店員は、額から手ぬぐいを解き、力強く頷いた。


「承った」


 そのとき、ここ、きこく町商店街は、古来よりのお役目、本来の名を、取り戻す。


 鬼哭町商店街に、夜が来る。


 呪によりて、人に仇なす鬼を誘い、刃によりて、鬼切りを為す。

 鬼哭啾々、鬼切りの町に。


 若い男女店員は、兄妹である。

 兄は、鬼切り。

 妹は、巫女。


 冷水にて身を清めた妹は、奧の神棚に置かれし御神刀『鬼切り』の前で、一糸まとわず、膝を付き、手を添え、御刀に神を降ろす。


 それが巫女の役割だ。

 鬼が持つ陰の気を祓う、陽の気を御刀に満たす。

 即ち、これ神気を帯びた御神刀なり。

 現世で契りを知らぬ穢れなき巫女に限り成せる秘術である。


 陶器もかくやというほどに玉肌の妹は、雫を浮かべた両手で恭しく御神刀を頭上に掲げ、白装束に着替えた兄に差し出す。


 兄の手に渡った御神刀は、鞘ごしからも充分に神気に満ち、夜気を震わせる。

 昂ぶっているのだ、刃が。


 それは、兄も同様である。

 幼さを未だ残す双眸は、不相応なまでに爛々と輝いて見える。

 決意の強さで引き締められた唇は、言葉を発することさえ許さない。


 片膝で側に畏まる壮年の男性も、戦装束に身を包み、付き従う。

 半人半鬼の呪われた身は、恩人の忘れ形見である兄妹を守るためにあると誓った。

 いかなる厄からも盾となり壁となるだろう。


 兄の背中に、妹は寄り添う。

 鬼の襲来による両親の死を目撃し、恐怖から言葉を失ってしまった妹。それでも健気に火打ち石を手に、切り火の儀式を行う。

 無事を――愛する、ただひとりの兄の無事を、願いながら。


 鬼切りの刀を手に、兄は、鬼哭町商店街の、夜にゆく。


 ――――――――

 ――――

 ――腹が、減った。

 喰っても、喰っても、喰い足りない。

 人の肉が、あのように柔らかく、甘美で、己を満たしてくれるなど、知らなかった。

 ああ、だのに、人は、喰える部分が、少なすぎる。


 あのジジイでさえ美味、ならば?

 肥えた男の肉は、どうだろう?

 熟れた女の肉は、どうだろう?

 穢れを知らぬ処女の肉は?

 生まれたばかりの赤子の肉は?


 喰うた肉が、腹に溜まり、喉に込み上げ、喰いきれぬほど、吐き気を催すまで。

 喰うて。

 喰うて。

 喰い続けたい。


 ああ――あの女は、言った。


 この世は、喰い物だらけだと――――そうだ、その通りだ、何故、気付かなかったのか。


 表皮がひび割れ、頭蓋が粉々になるかのような痛みと共に、額からは角が1本、伸びていく。

 口の中では、歯が全て抜け落ち、歯茎を突き破って牙へと変容していく。

 腕や足は変色し、パンパンに腫れ上がり、喰う為だけに腹だけが垂れて、腰に乗る。


 いたい

 くいたい。

 イタイ。

 クイタイ。

 喰痛い。

 喰いたい。


 痛みを忘れ、自我を忘れ、衝動に突き動かされ。

 己の内に芽生えた渇望に抗えない、獣以下の化け物――――鬼が、そこにいた。

 その姿は、醜悪なまでに歪で、強靱が故に愚かだ。


 だから、鬼は知らない。

 己を脅かす存在、鬼切りを。

 一般人を遠ざける人除けの護符を。

 鬼を知らず知らずに誘う、鬼送りの儀式を。


「喰ワセロオォ――――ッ!!!」


 肉薄する歪な巨躯の鬼。

 静かに佇み、刀を抜く兄。


 刀による反射した光は、地上に現れた鋭利な月の如く。 

 逆袈裟。

 斬り飛ばされる鬼の右手首。


 地上の影は、入れ替わり、振り返り。

 返す刀の一閃は、闇夜と共に額の角を叩き落とす。


 忘れたはずの痛みが、耐えがたい激痛となって鬼を襲っていた。

 無事な左手で顔を覆い、両膝をつき、顎を上げて天に吠える。


 だが、鬼切りの刃は、哭くことすら許さない。

 振りかぶり、振り下ろされ。


 斬――――!


 首が飛び、転げ落ちる。


 ――――残。


 白装束に返り血すらなく。

 血振りの動作で刀を払う。


「ご無事で、若」


 壮年の男から鞘を受け取り、刀身を収めると兄は御神刀を手渡す。


「お役目、見事でございました」


 惣菜屋の女店主も、昼間の様子とは打って変わって仰々しく頭を垂れている。


「後は、任せる」


「はっ」

「お任せを」


 絶命した鬼の後始末は、総菜屋ほか、商店街全ての者の務めである。


「ただいま」

「――っ!」

 

 兄が帰ると、健気に待ち続けていた妹は立ち上がり、駆け寄った。

 手にした皿から塩をつまんで、兄の両肩から振りかける。

 そうして厄除けを済ませた妹は、ひしと控えめに抱きついた。


「休んでいて、良かったのに」


 兄の言葉に、妹は頭を振り、ぱっと離れると、いそいそと準備する。

 茶碗に盛ったご飯に、鮭の身の欠片を乗せてお茶を注いでいるようだ。


 冷えて固まったご飯粒ひとつひとつが、ふやけて熱を帯び、鮭から塩気が伝わり、湯気と共に溶け出していく。


「いただきます」


 兄は、お茶漬けを受け取ると、箸でさらさらと口に運び、咀嚼も簡単に一気に飲み干した。


「ああ・・・・・・!」


 生きて、こうして温かいものを食べられる、そんな、万感の吐息だった。


「朝まで休む」


 空になった茶碗と箸を受け取った妹は、頷きながら安堵の笑みを浮かべている。

 優しく慈しむように、髪を撫でてくれた兄の背中に、妹は、深く頭を下げるのだった。


 さあ、朝だ。

 朝が来れば、人は生きる為に飯を食う。


 朝にいざなわれた『あなた』は、幸いである。

 美味しい朝食に出会えるだろうから。


 夜にいざなわれたとしても、鬼の手から『あなた』を守る者たちがいるだろう。

 明けない夜はない。

 人に仇なす鬼がいようと、誰もが迎えられる新しき朝の為に。

 鬼切りが、存在するのだ。


 ここは、きこく町商店街――おむすびや。


 具材のひとつひとつ、お米に至るまで。

 何らかの縁によって、この町、この店に、そこで働く人々と縁によって結ばれている。

 感謝。

 朝食を求める人々に、喜びと活力を。

 そんな思いと共に、おむすびを握る。


 だからこそ、『あなた』も再び来訪されたのではないか?


「いらっしゃいませ! また、お越し下さったんですね。ありがとうございますっ」


 了

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朝はおむすび、夜はおにぎり おおさわ @TomC43

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