副部長の第六感

葵月詞菜

副部長の第六感

 そろそろ新しい高校生活も慣れて来た初夏の季節。

 稲荷いなりすずめは相変わらずのんびりとマイペースに文芸部に通っていた。

 部としての活動日は週一回――水曜日となっていて、その日は比較的部室に人がいるような気がする。その他はそれぞれ小説を書いたり詩を書いたり読書をしたり、好きなスタイルで活動していた。

 当のすずめはというと、別に書き物をするわけでなく、ただ気分で読書をするくらいだった。

 そもそも、特に目的もなくただ人に誘われて流れで入部してしまったのだ。


 部室に行くとだいたい、馴染みになった同じ一年のメンバーがいた。


「あ、稲荷さん」


 いち早くこちらに気付いた高観たかみ雲雀ひばりは、誰にでも気さくに声をかける明るい男子生徒だ。

 その横で目が隠れるくらいの前髪の男子生徒・寒河江さがえつぐみが、少し恥ずかしそうに会釈をした。


「あれ、今日は白鳥しらとりさん一緒じゃないの?」

美雛みひなちゃんは今日友達と約束があるんだって」


 雲雀の問いにすずめは苦笑しながら返した。最近すずめが一人で部室を訪れると、彼は決まって先程のように訊ねるのだ。

高観たかみ君ってもしかして美雛ちゃんが気になるのかな)

 白鳥しらとり美雛みひなはすずめのクラスメイトで、誰とでもフレンドリーに接する明るい女子生徒だ。雲雀とは似通ったタイプのせいか、いつも楽しそうに会話をしている印象があった。

 そして、この美雛こそがすずめを文芸部に誘った張本人だった。彼女には気になる人がいるらしく、たまたまそこに居合わせたすずめを巻き込んで入部した。

(その気になる人とやらは黙々と絵を描いているけれど)

 机の上にスケッチブックを広げて、かわいらしい動物の絵を描いているつぐみを見る。彼は絵本の制作に励んでいた。

 ――もしかしなくても、勝手に三角関係が出来上がっているのでは?

 そんなことを思いつつも、自分には関係ないとすずめはそれ以上考えるのをやめた。


 すずめは改めて部室の中を見回した。

 普通の教室の三分の二程の広さに、机と椅子がいくつかの山に分かれて置かれている。

 雲雀と鶫が座っているのは手前の方だ。

 真ん中辺りに眼鏡をかけた二つくくりの女子生徒がいて、開いた本を見ながら何かを夢中でメモしている。

 その時、ガラリと扉が開いた。

 入って来たのはひょろりと背の高い男子生徒で、部室の中をぐるりと見渡す。そして微かに眉を顰めた。


「まだ来てないのか」


 週一回、水曜日には必ず姿を見る二年の山道やまみち先輩だった。この文芸部の副部長だ。


「どうかしたんですか」


 固まっていたすずめと鶫を前に、雲雀が持ち前のコミュニケーション力で声をかけた。


「部長……河原かわら先輩を見てないか」

「部長ですか? さあ、俺たちが来てからはまだ見てませんけど」


 雲雀の言葉に、山道は腕を組んで首を傾げた。


「うーん……今日は来ると思ったんだが」

「何か用事があって約束されてたんですか?」

「いや、何も。ただ今日は来ている気がしたから来ただけだ。掴まえられたら次のミーティングの打ち合わせをしたかったが……」

「あの、それ連絡を取った方が良くないですか?」


 会話を聞いていたすずめも思わず口を挟んでいた。

 普通、ミーティングの打ち合わせなど大切なことを話し合う場合、事前に連絡して日時を決めておくべきではないだろうか。


「あのね、うちの部長、スマホとか連絡手段を持ってないの」


 別の方向から答えが飛んで来た。眼鏡に二つくくりの先輩――確か二年の峯吉みねよし先輩だ。


「え、スマホ持ってないんですか」


 今時珍しい。すずめと雲雀が唖然とする中、山道は苦笑しながら頷いた。


「実はそうなんだ。まあ最終手段として家電があるんだけどな。でもまあ、掴まえられるなら学校で話したいだろう。だがあの先輩は毎日部室に来るわけじゃない」


 確かに、水曜日には必ず姿を現すが、それ以外ではまだあまりお目にかかったことがない。


「俺も毎日部室に来れるわけじゃないし……」

「――部長のクラスを訪ねてみるのは?」


 珍しく鶫が小さな声で提案する。だが山道は長い息を吐いた。


「それがなあ、部長の教室を訪れるといつも空振りするんだ。もう避けられてんのか、ってくらいタイミングが合わない」

「うわあ……」


 意図せず、一年三人三様の呻きが重なった。これはもうどうしようもないのではないか。というよりそんなことが本当にあるのか。

(下手をすると山道先輩がストーカーになっちゃいそう……)


「あの、先輩たち、そんなに相性悪いんですか?」


 失礼だと思いつつ、恐る恐る訊いてみた。今までの水曜日の活動で見て来た二人は、特に険悪でもなさそうで、むしろ和やかな雰囲気だったと思う。


「いやあ、そんなことないと思うけどなあ」

「私も別に悪くないと思うけど」


 急に飛び込んできた新たな声に、その場にいた全員がぎょっとした。

 山道の向こう、開いた扉の前に背が高く長い黒髪を背に垂らした女子生徒が立っていた。――今話題になっていた河原部長だった。


「部長!」


 山道が「良かった!」という気持ちを前面に表した顔で振り返る。


「いつも探させてごめんなさいね。それで、次のミーティングの件か何かかしら」

「そうです。次の水曜日に……」


 二人が話しながら奥の机に向かうのを、すずめたちは呆然と見送った。

 まあ二人が無事に出会えたのなら何よりである。自然とほっと胸を撫で下ろしていた。

 くすくすと小さな笑い声が耳に入り、すずめは峯吉を見た。


「先輩、どうかしたんですか?」

「いえ、何か不思議だなあと思って」

「不思議?」

「そう。実はね、山道君がこの部室に来る日って、必ず部長が来る日なのよ」

「え?」


 それはどういうことだろう。すずめは奥のスペースで打ち合わせをする二人をちらと見遣った。


「さっき山道君が『今日は来ると思った』って言ってたでしょう? あれ、あながち外れていないんだよね。すごいと思わない?」


 つまり、山道の『今日は来ている気がしたから来ただけ』がただの気のせいなどではなく、的中するということだ。


「それは……すごい、です」

「でしょ。こういうのを第六感って言うのかもね。部長に対しての、だけど」


 峯吉はふふふと楽しそうに笑って、自分の作業に戻って行った。


「……部長を掴まえるのって大変なんだな」


 ボソリと雲雀が呟く。その横で鶫もうんうんと頷いていた。すずめは苦笑する。


「ほぼ毎日ここにいたら会える可能性は上がると思うけどね」


 他の部員たちよりは圧倒的にこの部室にいることが多い一年メンバーは、恐らく一番河原部長と会える可能性が高いはずだった。




 すずめが部室に行くと、今日も彼らの姿があった。他に部員の姿はない。

 すずめに気付いた雲雀がこちらに手を上げる。


「美雛ちゃんならいないけど」


 彼がいつもの質問をしてくる前に言ってやると、雲雀は開きかけた口を閉じて、


「うん、見たら分かる」

「そう」


 すずめもそれ以外に返す言葉が思い付かず、お互いの間に沈黙が流れた。

 何となく話題を変えたくて、すずめは思いついたまま訊いてみた。


「そういえば、わたしが部室に来ると決まって二人はここにいるけど、もしかして毎日来てるの?」

「まさか」

「毎日じゃないよ」


 雲雀が即答し、だいぶ馴染んで来た鶫も小さく答えた。


「そっか。てっきり毎日来てるのかと思ってた」


 すずめはこうして一人でふらりと来ることもあるし、美雛に連れられて来ることもある。だがどちらの時にも必ず、部室には彼らの姿があった。

 色鉛筆を指で転がしながら、ふいに鶫が口を開いた。


「稲荷さんが来る日は――ふぐっ」


 鶫の口が雲雀の大きな手で塞がれて言葉が消える。


「え、高観君どうしたの。ちょっと、寒河江君大丈夫?」


 鶫がパタパタと雲雀の手を叩いて抗議し、数秒後解放された。


「雲雀っ……何するんだ」

「お前こそ何を言おうとしたんだよ」


 雲雀はどこか拗ねるように頬杖をついてそっぽを向く。

(何なの……?)

 すずめはわけがわからずポカンとしたまま二人を交互に見比べていた。

 鶫は小さく溜め息を吐いて、すずめに「ごめんね」と謝った。


「雲雀はたまにどうしようもなく子どもっぽくなるから」

「おい。どういう意味だ」

「うん、何となく分かる」


 すずめも思わず頷いてしまって、そっぽを向いていた雲雀が机に突っ伏した。


「稲荷さんまでひどい」


 すずめは鶫と顔を見合わせて笑ってしまった。



***

 部活の帰り道、鶫は雲雀と並んで歩きながら何となく口を開いた。


「ねえ、雲雀のも第六感なんじゃない?」

って何だよ」


 雲雀が前を向いたまま聞き返す。


「稲荷さんが来る日が何となく分かるっていう勘」

「……っ」


 いつもなら言い返してくる口が静かだ。横からそっと彼の顔を窺うと、夕日に紛れて微かに頬が赤いような気がした。

 少しだけおかしくて、嬉しくて、鶫は微笑みを浮かべてしまった。


『あれ、今日は白鳥さん一緒じゃないの?』


 最近していたあの問いは、雲雀自身も本当かどうか確かめていたからじゃないだろうか。

 結論として、確かに雲雀はすずめの来る日が『何となく分かる』ようである。少なくとも、すずめが来なかった日に、彼から『部室に行こう』と誘われたことはない。


「最近、両手で字を書く練習とか、字を綺麗に書く練習もしてるよね」

「……暇だからな!」


 少しムキになるところがやっぱり怪しい。

 字の練習云々は、全てすずめの影響だろう。彼女は書道をしているらしく、字が綺麗なのだ。また、両利きでもある。


「綺麗に書けるようになったら、稲荷さんに見てもらえると良いね」

「あれはただの練習だ。てか何だよその上から目線!」


 雲雀が手を伸ばして来たので、鶫はさっと躱して前に出た。また口を塞がれるのはごめんだ。

 久しぶりに、小学生の時のようにふざけ合って帰った。

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