第6話 小火騒ぎ・3
〈夕映〉
はあ、と息をついて
電話がつながらない。
もしかしてまだ帰ってないのかあいつはと
星を見るのが好きで、気がつくと何時間もそれほど時が過ぎるのを忘れて見てしまうと言っていたから。
「ちゃんと出るときに引っ張り出せばよかったな……」
警備員や当直の先生に嫌味を言われてないだろうか、何事もなく夜道を帰っているだろうかと考えてしまう。
「って、俺はあいつの保護者かってーの」
乾いた笑みを浮かべるが実際そのようなものだった。
智雪の両親は突然事故で亡くなった。
家を越したくないし、親戚の家に厄介になるのも気が引けるということで智雪は両親が残したお金と叔父からの援助で現在のマンションに住んでいる。
夕映は家が隣同士で同い年の幼馴染ということもあり、なにかと世話を焼いたり行動をともにしたりしている。
そういう関係だった。
「なあ、夕映」
幼い頃の、智雪の声。
「俺、夕映が友だちでよかったよ」
なぜだろう。ふと、そのことを今思い出した。
玄関から外に出る。
隣の智雪の家には明かりがついていない。
まだ寝るような時間ではない。
「やっぱり帰ってきてないってことか」
なにより、電話に出ないのが気になる。
「一応学校まで行ってみるか」
ため息をついて夕映は歩き出す。
過保護かもしれないが、昨日の今日であんなことがあったばかりだ。
トラブルに巻き込まれてないともいいきれない。
思い過ごしだといいが。
「やっぱり、いないか」
校門は固く閉ざされていた。
警備員が巡回して生徒がいないのを確認して鍵を閉めたんだろう。
今さらだが行き違いになったらただの無駄骨だなと思う。
そう思って、いつもの帰り道に差しかかったところだった。
ネクタイが落ちていた。
それは学校指定のもので夕映や智雪が毎日身につけているものだ。
眉をひそめて、夕映はそれを手に取る。
裏返して見て、息を呑んだ。
「これ……」
いつか智雪が言っていた。
「この前体育の時間に誰かが俺のネクタイ間違って持っていったらしくてさ。職員室にも落とし物届いてないみたいだし。先生にまた怒られるのめんどいから今度はちゃんと自分の名前書くことにした」
「ださいな。持ち物に自分の名前書くとか小学生かよ」
「なんだとコラ。しょうがねえだろ、替えのネクタイ買うのだってタダじゃねえんだし」
そんな他愛のない会話。
「なんで……」
そこには、黒いマジックの字で『
珍しい苗字だ。学年はもちろん校内にも同じ名前のやつはいないだろう。
あたりをきょろきょろと見渡すが当然智雪の姿はない。
思い過ごしじゃない。
やっぱり何かあったんだ。
駆け出そうとして、その瞬間悲鳴が聞こえた。
「やだ、なにするの!」
高い女の声だ。
こんなときに、と無視しようかと一瞬思ってそれを打ち消した。
そちらに目を向けると、若い女と中年らしき男が揉み合っている。
「はなして!」
どうやら一方的に男が絡んでいるようだ。
「うるさい!」
男が大声を上げる。
女は一瞬その言葉に怯んだがやはり逃げようともがいている。
男の手にはライターと何やら液体が入った瓶があった。
「なっ……」
警察に電話する?
いや、こんな状況で確実に間に合わない。
そうこうしている間に急に赤い明かりが目の端に見えた。
男が女の服に火を点けたのだ。
女は半狂乱になって暴れている。
男はぶつぶつとわけのわからない言葉を呟いている。
「お前が悪いお前が悪いお前が悪い」
そう聞こえた。瓶に手をかける。
まずい。
夕映は反射的に飛び出した。
男に体当たりをする。
手から離れた瓶は地面に当たって粉々に砕け散った。
そうしている間にも女は燃え続けている。
「早く!」
熱に耐えて、夕映は女に手を伸ばした。
道の向こう側に小さいながら川がある。幸い橋から水面までの高さはそれほどない。
橋から迷わず女を落とした後、夕映も飛び込んだ。
水面に顔を出し、女を掴むと岸にたぐり寄せる。
「あ、ありがとう……」
むせながら女は弱々しく言った。
幸いすぐに飛び込んだおかげで軽傷ですんだようだ。
それでも、皮膚には赤くただれているところがある。
「大丈夫。とりあえず救急車を……」
ポケットに入れておいたおかげもあるが防水仕様の携帯電話はイカれていなかったようだ。
ボタンを押そうとして、男が小走りにこちらにやってくるのが見えた。
「そいつをよこせぇえええ」
よだれを飛ばしながら男が叫ぶ。
鬼気迫る様子に夕映も女も息をつめる。
どうする。
こんな状態の女を連れてすぐには逃げられない。
男は尋常な様子ではない。この女に危害を加えるどころか殺すつもりかもしれない。
何があったのかは知らないが逃げなければ。
「立て!」
女の腕を夕映は掴んだ。
女の足は震えて今にも崩れ落ちそうだ。
ダメだ。
こんな状態じゃ走れない。
俺が引きずってでも、と夕映が思ったときだった。
男が目の前に迫ってきていた。
ふらふらと歩く姿はまるでゾンビのようだ。
「お前もそいつの男か?ええ?」
低いだみ声で言う。
「だったらお前からコロ、ッ」
爆裂。
そうとしか言いようがない速度で男が火に包まれた。
「なっ……」
一瞬で炎の渦があたりを巻き込む。
辺りが火の海としか言いようがない状態になるのを、夕映は呆気に取られて見ていることしかできなかった。
獣のような断末魔を上げて火に一番最初に飲み込まれた男がのたうつ。
「離れろ」
女の手を引いて夕映は男から距離を取る。
踊るように数歩進んだかと思うとドウと男は倒れ伏した。
動かない。
もう消し炭のようになっている。
夕映はゾクリとした。
一瞬でどれくらいの高温の火が男を燃やしたのか。
まったく想像もできず、冷や汗が出る。
夕映はハッとした。
少し離れた位置に黒い男が立っていた。波打つ黒い髪に黒い瞳、作業場で使うツナギのような黒い服を着ている。
間違いない。
はっきりとは見ていないが火はあそこから放たれた。
男は指差すように構えていた指をスッと下ろす。
指の先には燃え尽きた男の姿があった。
「いったい……」
あれはなんなのか。人間なのか?
冷たい無表情のその顔は人形のようですらあった。
でも今のはおそらく超能力。
こんな威力の高い破壊の力を持つのは。
「もしかしてマスターファイブの一人……」
そう夕映が呟いた瞬間、黒い男はこちらを見た。確かに視線が合った気がした。
だが、興味がないように背を向けると男はその場を立ち去っていった。
夕映の背中にゾッと寒気がこみ上げる。
真っ黒な底なしのようなあの目の先にあったのは死。
あのまま男に目をつけられたら、死んでいた。
本能的に夕映はそう感じた。
救急車のサイレンが鳴る音が近づいてくる中、夕映は女と二人その場を動けなかった。
「あのまま離れてよかったんですか?」
「ええ。出してください」
男が指示すると黒塗りの車が滑るように路地から大通りへ抜ける。
川べりでの出来事を男は車の中から見つめていた。
あえて声はかけなかった。
そのおかげで、興味深いものが見れたと思う。
「救急車を呼んでおいたから大丈夫ですよ」
落ち着いた声で言う男にそういう意味ではないのだが、と運転手は思う。
「まったく知らない人のために行動できるなんてすごい人ですね、あなたは」
運転手の賞賛を受け取って、男は
「いち市民として当然の義務ですよ」
男は窓の外を見た。
夜の景色が流れていく。
車の群れは魚、暗い夜空は水底のようで。
まるで川の流れのようだと男は思った。
行き着く先はどこか。
散った火の粉は誰に降りかかるか。
きっとまだ誰もそれを知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます