第3話 虫の知らせ

〈雀蜂〉


「だーかーらさ」


 クルン、と青年がナイフを回す。

 それが机に置かれた人形の頭の真横に突き刺さった。


「危ねえな。これショーコヒンとかになるんだったか。触らないようにしねえと。触りたくもないけど」


 フーフーと空気の漏れるような音がする。

 青年の目の前には椅子に縛りつけられた男がいた。

 横にはそれの母親らしき中年の女も座っている。

 血走った目玉がこぼれ落ちんばかりに目を見開き、叫ぼうとするガムテープに巻かれた口からは水滴が滴り落ちる。

 よだれだろうな汚え、と青年は思う。

 ナイフを片手に持ち替え、片手に持った携帯電話でイラついた口調で喋る。


「俺の手取りぶんの計算はしっかりしろよ。お前の考案した計算とかじゃなくて。マジで給料減らしやがったらお前ブッ殺す」


 ピ、と通話終了ボタンを押して携帯電話を切る。

 今どきには珍しくガラケーだった。

 色は赤、やけに目立つがシンプルなデザイン。


「さてと」


 ビリと中年の女の口からガムテープを剥がすと青年は言った。


「なんで自分たちがこんな目にあってるかわかるか。まあだいたい想像はついてるだろうけどよ」

「なんで、なんでこんな目にあわなきゃいけないのよ!」


 女が唾を飛ばして喋る。


「あのことは話し合いで終わったのに。お金だって払ったから問題はないでしょう?それなのに」

「知らねーよ。お前のバカ息子がガキを殺したからだろ」


 ゴロリ、と人形の首を転がす。


「しかもこんなものをまだ取っておくとはな。よほど余裕だとみえる」

「この子のお気に入りなのよ」


 吐き捨てるように女が言った。


「裁判にだってならなかったのに。もうすべて終わったことなの」

「ところが終わってなかったようだな。なぜなら俺がここにいるから」


 ふん、と青年は言った。


「残念だったな」

「は?なに?」

「いや、依頼では謝罪の言葉が聞けたら見逃してやってもいいとかなんとか言ってたから。めでたく一言も聞けなかったけどな」

「だって私たちは」


 濁った目で女は言う。


「私たちは悪くないから。謝る必要なんてない」

「そうだな。まあ生死は問わずだったし」


 青年はベリとガムテープを破る。


「なにするの、やめなさい」


 再び女の口にガムテープを貼るとくぐもった声しか聞こえなくなる。

 顔から垂れるのは汗か鼻水か。

 まあ後悔の涙ではないだろうな、とは思った。


「最初から生かす気なんてなかったけど。ほら、俺顔見られてるし。でも最後になんて言い訳するかは興味があったんだよな。あんまり面白くなかったけど」


 ペラペラとよく喋る。

 喋りすぎると言われるほどだ。


「なあ知ってるか。ペンギンってよ、父親が卵抱いてガキを守るらしいぜ」


 ちらりと青年は部屋の片隅を見やる。

 そこには血だまりに沈む男の姿があった。


「親にそれほどの甲斐性があればなにか違うのかもしれねえな。ようは、自分の身を守るために世間に嘘をつくんじゃなくて」


 ナイフを振り上げて首元をかき切る。

 血が噴水のように吹き出した。


「もっとマシなやり方があるんじゃねえかってことだ。俺には関係ねえけど」


 床が真っ赤になっていくなか、息子がバタバタと反対側の椅子の上で暴れた。

 当然椅子に固定してあるからそこから動くことはできない。


「焦らなくても次の番はお前だよ」


 ナイフがもう一度振りかざされる。

 喉になにかが詰まっているようにうーうーという呻き声がして。

 やがてそれも聞こえなくなった。



 着ていた防水性のジャンパーを脱いで、青年は電話をかけ直す。


「終わったぜ、渡鳥わたどり

『時間通りだな。今日もいい仕事っぷりじゃねえか、チュン』


 チュンという言い方を聞いた青年が眉を上げていらついた顔をする。


「俺はチュンじゃなくて雀蜂すずめばちだっての」

『おっ今日は反抗的だな。いいじゃねえか、雀蜂って長いし。チュンのほうが言いやすいし可愛らしいじゃねえか』


 青年ーー、雀蜂よりおそらく十歳以上は年上のはずなのだが、いまだに大学生のようなノリの渡鳥にいらいらする。


「うぜえ」

『時間を守るやつは危険を回避できるぜ。あーそれでなチュン』


 ガサゴソと書類をかき回す音がする。

 そしてフーと煙草の煙を吐き出す声も。

 こっちが仕事している間にそっちは一服かよ、いいご身分だなと思う。


『次の仕事だ』

「はあ?!お前今俺が一つ仕事を片付けたばっかだってわかってるか」

『わかっているに決まってるだろ、お前じゃあるまいし』


 いちいちカンに触る言い方しかできねえのかこいつは、と雀蜂は思った。


『そこからたいして離れてねえ場所だよ。だからついでにってことで』

「面倒くさいやつじゃないだろうな」

『面倒くさいやつだろうが、違おうがどうせお前はやる』


 雀蜂は動きを止めた。

 渡鳥のにやける顔が目に見えるようだった。


『そうだろ?』

「……チッ」


 雀蜂は舌打ちする。

 うまく反論のできる言葉が出てこないのがむかつく。


「で、次はどんなやつなんだよ?また家族全員皆殺しにしろとかいうやつじゃねえだろうな」

『気が咎めるか?』

「は?いや全然。ただ人数が多いと疲れるからだっつうの」

『疲れるねえ。若者の言い分じゃねえな』


 じゃあお前がやってみろよ、と雀蜂は言いたくなる。


『お前みたいなやつは貴重だよ。殺し屋稼業といったってあれだ、情に惑わされるやつもいる』

「どういうことだよ?」


 携帯を耳に当てながらちらと雀蜂は棚を見る。

 いつの時代か親子で並んで撮った写真が飾ってあった。だいぶ色褪せていることから昔のものだろう。


『女や子どもを殺すなんてかわいそうっていうやつらさ』

「はあ?意味わかんねえ」


 雀蜂は本気で首を傾げる。


「今は男女平等の時代だぜ。子どもつったっていつまでもガキじゃねえ。すぐ大人になる。医者だって女だから子どもだから助けませんっていうのはナシだろ。殺すのだって変わらねえよ」


 ブハッと吹き出す音が聞こえた。


「なんだよ汚え。見えてないけど汚え」

『お前は本当に面白いやつだよ』


 クク、と渡鳥は喉を鳴らした。


「褒められてる気がしねえんだけど」

『褒めてないからな。そんなチュンなら楽勝な相手だ』

「だからチュンっていうのやめろって」

『次の標的は高校生だ。どこにでもいるような普通の男』


 その言葉を聞いて雀蜂は大いに疑問だった。


「なんだそれ。なんでわざわざ俺が殺しにいかなきゃならないんだよ」

『なんではナシだ』


 冷ややかに渡鳥は言った。


『これは仕事なんだからな。わかってるだろチュン』

「はいはいわかってるつうの」


 机の上をちらりと見て雀蜂は人形をゴミ箱に放りこんだ。



「次のニュースです。少女に暴行した容疑者が失踪しました。警察は関係者からの情報を募り……」

 見るともなしにテレビのそんな映像を見て雀蜂は感心した。

 失踪。世間ではそういうことになっているのか。


「まあ掃除屋の連中がキレイにしてるだろうからなあ」


 それも跡形もなく。

 役所近くの食堂で昼食をとり、雀蜂は外に歩き出す。

 次の県議員選のポスターが貼ってあってそこの一人に目が止まった。

木崎きさきあおい

 名前はそう書いてある。

 いつもにこやかに微笑んでいるような細い目、口元は男性にしてはどこか艶やか。中性的で端正な顔立ちだ。

 そしてまだ若い。雀蜂と変わらないくらいの年代ではないだろうか。


「議員ってよりはモデルでもやってそうな雰囲気だけど」


 実際黒スーツ姿は様になっている。

 だが。

 どこか胡散臭うさんくさいなこの笑顔。

 と、雀蜂は思った。


「まあ政治家なんてだいたいそんなもんか。外面そとづらが大事だもんな」


 興味を失った雀蜂はそのまま表通りを歩いていく。



 雀蜂は役所から歩いてすぐの距離にある図書館に入った。

 静かな場所はいい。

 図書館は好きでも嫌いでもないがそう思う。

 雀蜂は本に用事はない。

 用事があるのは。

 新聞・古書フロアに着いた。

 木の枠で区切るように司書の席がある。

 どこか漫画喫茶の席に似ているなと思った。

 保管資料の記録や整理が主な業務のここには人があまり来ない。

 とりあえず、そこの一角の机に雀蜂は腰かけた。


「おい」

「は、はひっ」


 小さな悲鳴のような声が上がる。

 ビクビクと小動物のように怯える一人の女性職員がいた。


「ミミズ。俺だ。次の依頼の情報渡せ」

「雀蜂さん。は、はい」


 屈んだ体勢で豊かな胸が強調される。

 宝の持ち腐れだなと思った。

 というのもミミズは(もちろん本名ではない)異性とまともに顔を合わせられないのだ。 


「先輩」


 隣の席から女性の職員が出てきてちらりと雀蜂とミミズの方を見た。

 だがすぐに興味を失ったようにそっぽを向くとミミズに言った。


「私休憩入りますねー」

「は、はいどうぞ……」


 この調子じゃ女ともまともに口を聞けないらしい。

 ミミズは足元の引き出しから薄いファイルを取り出した。


「次の依頼の資料です」


 雀蜂は受け取ると中身を確認する。


「ふん……」


 まったくよくわからない。

 標的の写真には平凡そうな男子高校生の写真が添えられていた。

『朝丘智雪』

 なんでこいつが狙われなければならない?

 ファイルから顔を上げるとブンブンと照明に羽虫が飛んでいた。

 無駄に明かりに体当たりしてはそれを繰り返す。

 何度も何度も。

 なにかこの案件は奇妙だ。

 そう思ったが雀蜂は深く考えないことにした。

 考えることは苦手でこの仕事に理由は禁物。


「邪魔したな」


 ファイルを置いて机から下りる。

 虫が力を失ったように地に落ちる。

 さっきの虫か?

 人間もこんなふうだったらいいのにな。

 雀蜂はふとそう思った。

 自然に地に落ち死んでくれれば。

 わざわざこちらから出向かずにすむ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る