第5話 小火騒ぎ・2

 カツカツと男は狭いビルの階段を上がっていった。

 そこに入っている部屋の扉を開けて言い放つ。


「戻ったぞ」 


 一歩足を踏み入れて俺は思った。

 驚いた。

 本当に事務所だった。

 幅の狭いビルの一角のそこは普通の会社の事務所のような感じだった。

 感じだった、というのは会社なんて行く機会がないからそんな印象を抱いたというだけのことだが。


「よお、チュン」


 机をはさんで向こう側にある椅子が回転して、座っている男がこちらを見る。

 中年の男だった。

 なにかイヤな感じの目つきだ。

 爬虫類系の生き物を想像した。

 一見インテリなサラリーマンのように眼鏡をかけて、なかなか洒落たシャツを着ている。

 片手には書類、片手には吸いかけの煙草。

 机の上の灰皿は吸いがらが山盛りになっていた。


「チュンじゃねえって言ってんだろ」


 不機嫌な声で男は言う。


「はいはい雀蜂様だな」

「お前ブッ殺すぞ」

「殺し屋が言うと笑えねえなー」


 そう言いながら男は笑っている。


「ようこそ、朝丘少年」


 芝居がかった口調で中年の男はそう言った。


「まあ自己紹介だ。俺は渡鳥わたどりでそこのは雀蜂すずめばち


 そこのは、のところでむすっとしている青年を男ーー、渡鳥は指差す。


「もちろん本名じゃないがね」


 なにが面白いのかニヤリと笑って渡鳥は言った。


「なんで俺ここに連れてこられたんですか」


 声が震えないように言う。

 今すぐ帰りたい。

 入ってきた扉のほうに振り返りたかった。


「そうだな、まず質問。お前能力者なのか?」

「そうだよその話!」


 不平の声をあげるとドカッと雀蜂は渡鳥の前の机に腰を下ろした。


「超能力者なんて聞いてねえぞ!普通の高校生だっつっただろが!追加料金払え追加料金」


 そうつっかかる雀蜂に渡鳥は答えた。


「俺だって聞いてねえよ。追加料金どころか本物の能力者ならこの仕事は願い下げだ」


 手に持った書類を放る。


「はあ?」

「命があっての物種だからな。なあに、いい戦力 の従業員をみすみすなくすわけにはいかねえだろ」

「それって俺のことか」

「他に誰がいるんだよ」

「よっく言うぜ。俺がいなくなったら真っ先に他のやつがお前の首狙いにくるからこえーんだろ」

「まあそうとも言える」


 安い挑発に乗らない渡鳥を雀蜂はいらだった目で見た。

 この二人はなんだ?

 上司と部下だろうか。

 雀蜂は殺し屋のようだが、渡鳥のほうはまるで戦闘に向かないように見える。

 見た感じ会計士か事務員といった印象だ。

 会話や雰囲気からどう見てもカタギじゃないというのはわかるが。


「働きアリどもはなにしてるんだよ。仕事しろ仕事」

「まああいつらにもわからないことはあったってことだな」


 雀蜂の肩を小突いて、渡鳥は言った。


「仲良くおしゃべりしてる場合じゃないな。お客がお待ちだ」


 できればこちらにはずっと構わないで二人の世界にいてほしいと思った。


「それで?どうなんだ朝丘」


 呼び捨てで言われて俺はビクッとした。


「俺は……」

「ぜーったい能力者だってこいつ!」


 雀蜂が叫ぶ。


「俺はこの目で見たんだか、でっ!」


 置いてあった盆で渡鳥は雀蜂の頭を叩いた。


「なにすんだよ!」

「おい雀蜂。オジサンはな、今この少年と話してるんだよ」


 雀蜂という青年。

 この渡鳥とかいう男といたら途端に子供っぽくなるなと俺は思った。


「ちっ」


 舌打ちして雀蜂がガンをつけてくる。

 話しづらい。


「……まず最初にいいですか」


 俺がそう言うと渡鳥はニヤッと笑った。


「いいぜ。質問か?」

「なぜ俺はあなたたちに命を狙われなければならないんですか」


 黙って渡鳥が俺を見た。

 値踏みするような視線。

 自然と背筋が硬直する。


「命を狙われる理由ねえ……それは単純にお前が生きていたら不都合な誰かがいるってことだ」

「それは」

「例えば」


 俺の言葉を遮って渡鳥は言った。


「電車で乗っているときに誰かの肩にぶつかった。道で走っているときに誰かの前を横切った。あるいは興味本位で見てはいけないものを見てしまった」


 見てはいけないものを。

 見てしまった。

 その言葉に愕然がくぜんとする。

 もしかして、数日前のあの火災。


「殺される理由なんてそれぐらいいろいろある。それぐらいなんでもアリなんだよ」


 吸いかけのまだ煙が出ている煙草を灰皿でぐしゃりと潰した。


「そしてそれを請け負うのが俺たちってわけだ」


 雀蜂のほうを見て。


「まあ仕事は俺が受けて、こいつが殺すってのがここのやり方だけどな」

「本当だぜ。ったく。てめえは事務所で新聞読んでるだけだろうが。戦場に出てみれば国のお偉いさんだって戦争をしようなんて言わなくなるだろ?そうならないのはこういうわけなんだよ。ジシュセイがないんだジシュセイが」

「飼い犬と飼い主だったら飼い主が偉いのは当たり前だろ」

「誰が犬だ」

「いわば俺は使う人間、お前は使われる側の人間だってことだ」


 はん、と雀蜂は鼻を鳴らした。


「偉そうに」

「俺は偉いんだよ。っと、喋りすぎたな」


 そう言って渡鳥は机の引き出しを開けた。

 中から何かを取り出す。


「拳銃だとでも思ったか?残念ながらただのリモコンだ」


 ジョークがよくわからないがそう言って、渡鳥は大型テレビのスイッチを入れた。

 小さな部屋でそのテレビだけは異様な存在感がある。


「実はオジサン見てたんだよな。チュンとお前が戦っているところ」

「戦ってるというか俺が一方的にやってるだけだったけどな。ていうか盗み見してたのかよ」

「お前が手抜きしてないか見張るためにな」


 そう言ってやれやれと首を振った。


「冗談だよ。予想外のことが起こらないか見るためだ。そう今日のようにな」


 俺のほうを見る。

 このアングルは街の監視カメラの映像を盗んでいるのだろうか。

 画像は粗かったが確かに俺と雀蜂が映っていた。


「面白いよな。こんなの見たことないぜ」


 渡鳥はそう言って、壁にヒビが入ったところで止める。


「だけど不思議だよな。お前は自分の能力に戸惑っているように見える」


 少し画面を進める。

 俺が突進して、電柱が倒れた。


「危なかったな雀蜂。お前ここの下にいたら潰れてたぜ」

「バカ。かわしたんだっての。それにそんな簡単なことで俺がヤレるわけねえだろ」

「はいはい」


 ドヤ顔をする雀蜂に渡鳥は面倒くさそうな目でうなずいた。


「なんだその目は信じてねえのか」

「まさか、俺がお前を疑ったことがあったか」


 少し考えるそぶりを見せて雀蜂が言った。


「わかんね」

「そうかそうか」


 どうでもよさそうに渡鳥は言う。


「まあここで俺の推論を一つ」


 冷たい目で渡鳥は俺を見た。


「こういうことが起こるなんて予想外だったんじゃねえか、朝丘」


 鋭い。

 隠し事は無理か、と思う。


「はあ?どういうことだよ」

「だから本人は超能力を持っているって自覚がなかったってことだよ」

「そんなことがありえるのかよ」


 疑わしそうな目で雀蜂は渡鳥を見る。


「お前と情報屋のショクムタイマンなんじゃねえの?」


 その通りです。俺は能力者でもなんでもないただの人間なんです。

 そう言ってしまいたい。

 でも。


「だったらなんなんですか」


 俺は相手をきっと見つめて言った。


「俺が能力者だとか能力者じゃないとかなんの関係があるんですか」


 カチン、と音が鳴った。

 いつの間にか渡鳥がライターを出して、煙草に火をつける。

 フーと煙を吹き出した。

 雀蜂が大げさに咳き込んでみせる。


「くせえっての。事務所で吸うのやめろよ。外行け外」

「このお兄ちゃんはよほど度胸があると見える」


 冷たい声で渡鳥は言った。


「自分が袋の鼠だってわかってるのか」


 机の下に手を伸ばす。

 出てきたのは、ナイフだった。

 雀蜂が使ってるのと同じようなナイフだ。


「おいチュン、お前こいつとここで戦ってみろ」

「は?ヤだよ。面倒くせえ。しかもこんなせまいところでかよ」


 思いきり嫌そうに雀蜂は顔を歪める。


「まあ聞け。お前がここでこいつを殺せたらそれでヨシ。ここでお前がやられたらまあ手に負えなかったとか言い訳ができる」


 ピョンと雀蜂が机から降りた。


「さっきも言ったけど俺が負けるわけねえだろ」

「さあどうする少年。とりあえずナイフを取れよ。超能力だけで倒してみせろって言いたいところだがまあハンデってやつだ」


 渡鳥はナイフを指さす。


「うまくいけばお家に帰れるかもしれないぜ」


 うまくいくわけなんてない。

 相手はプロだ。

 震える手で俺はナイフを手に取る。

 でも選択肢はない。


「さあショータイムだ。好きにはじめてくれ」


 パンと渡鳥が手を叩いた。

 ジリジリと見つめあって。

 瞬間、雀蜂が動いた。

 俺はとっさに飛びのく。

 見えなかった。

 汗が滴り落ちる。

 今のはまぐれだ。

 次はない。

 雀蜂がナイフを振り上げる。

 俺はもうどうにでもなれとそれを顔の前にナイフを出して受け止めた。


「へえ、やるじゃねえか」


 ギリギリとナイフが噛み合う。

 重い。

 このままじゃ振り切れる。

 その時、また瞳の奥がうずくような感じがした。

 また点が見えた。

 ナイフの一ヶ所。

 そこだけにマークをつけたように。

 俺はなんとか一歩飛びのいて。

 ナイフをそこに当てた。

 切ったなんて上等なものじゃない。

 それでも信じられないことが起こった。

 ナイフがそこで粉々に砕けたのだ。

 茫然とそれを見ている雀蜂の表情が見えた。

 俺は息を乱しながら膝をつく。


「勝負あったな」


 渡鳥が笑った。


「喜べ少年。こいつに勝つやつなんてなかなかいねえんだぞ」

「おい渡鳥。なんかこいつ様子がおかしいぞ」

「ゲホゲェッホ」


 息をするのが苦しい。

 目の奥、喉の奥、胸が熱い。


「ほう。能力が珍しいわりに副作用もでかいってやつかね」


 俺はなんとか立ち上がって、二人を睨みつけた。


「気に入った。気に入ったぜ朝丘少年」


 なぜか称賛の拍手を送られた。


「というわけで雀蜂。ずらかるぞ」


 そう言ってなにか机の上をガサゴソやりだす。


「は?!どういうことだよ」


 俺が反撃すると思ってか、別のナイフを構えていた雀蜂が言う。


「聞こえなかったのかよ。トンズラするんだよ。まあこの業界にいる以上すぐに誰かの耳には入るだろうが仕事投げていつまでも事務所にいるのはさすがにまずいだろ」


 そう言って金庫からもなにかを取り出した。


「安心しろアテはある」

「はっ。じゃあ俺も行ってやるよ」


 なんだ。

 なにを言っている。

 グラグラと視界が揺れる。

 顔に生温かいものが垂れた。

 思わず顔に手をやると赤い水がついた。

 鼻血……?


「おい」


 雀蜂がそう言った声を最後に俺の視界は真っ黒になった。




 はっと目が覚める。

 高い天井が見えた。

 家じゃない。

 どこかのベッドの上で俺は横になっているらしい。

 ここは……。

 急速にさっき起こったことを思い出す。

 超能力。殺し屋。

 体の痛みがこれが夢じゃないことを訴えている。

 夢なら覚めてくれ。


「夢じゃないのかよ……」


 俺は片手で顔を覆った。


「目が覚めたかよ」 


 ガチャ、と扉を開けて誰かが入ってきた。

 明るい髪の青年。

 雀蜂。

 夢じゃない。


「ここは……」


 ようやくそれだけ言うとドカッとソファに雀蜂は座った。


「大変だったんだぜ。お前が鼻血出して倒れるからよ。渡鳥のやつは働きもしないし。とりあえず引きずってきた」


 どうやって、などは聞かないでおく。

 聞いてもどうしようもないことだ。

 雀蜂が言った。


「渡鳥が詳しいこと言わねえからわからねえけどよ。俺だってバカじゃねえ。お前けっこう上のところから圧力かかってるらしいぞ。本当にその歳でなにしたんだよ」


 じっと俺を見下して雀蜂は言った。


「お前これからどうするんだよ」


 これからどうするんだ。

 最近よく聞くな、その言葉と思った。


「はは……」

「……?なに笑ってんだ」


 これからどうするか。

 そんなの俺が知りたい。


「まあ身の振り方を考えとくんだな。それとこの部屋から出るなよ。出たら殺されても文句は言えねえな。まあ死んでたら口もきけねえだろうけど」


 そう言って雀蜂はもう一度出ていった。

 俺は起き上がる。

 少し汚れていたが制服姿のままだ。

 壁にブレザーがかかっている。

 ポケットを探ってみると、音楽プレーヤーと携帯電話があった。

 それだけでもホッとする。

 警察に電話するか?

 一瞬そう考えたが、無駄だなと思った。

 やつらがその行動を読んでないわけがなかった。

 なぜ携帯を服に残しておいたのかも謎だ。


「身の振り方、か……」


 この状態でなにもすることがないというのは落ち着かない。

 まわりを見るとどうやらここはどこかのホテルの一室であるらしいということがわかった。

 ビジネスホテルではなく、それなりにいい部屋だ。

 机の上にリモコンがあったのでテレビをつける。

 ローカルチャンネルはどこもきたる県議員選挙の話題でもちきりだった。

 チャンネルを変えるとニュースがやっていた。


「放火事件が多発しています。最初は建物や器物に火をつけるだけだったのが、近頃になって直接服に火をつけられるという被害が出ました。幸い被害者は軽症ですが……」


 火。

 また火だと思った。

 ビルの放火事件はなにかとつながっている?

 夕映に会わなければ。

 不意にそう思った。

 夕映はあのビルの件について何か知っているようだった。

 今ごろは家に帰っているだろうか。

 雀蜂には釘を刺されたが智雪はホテルを出ることにした。

 会って、話をしなければ。

 そうじゃないときっと前に進めない。

 そんな予感を胸にしながら、ブレザーを着た。

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