砂埃のせいにして

ナナシマイ

 ザァ……ザザァ…………


 朝凪の刻が過ぎて、窓の外から波の音が聞こえてきた。

 わたしはのっそりと起き上がり、薄い夜着の上からガウンを羽織る。ここはそんなに寒い地域ではないけれど、肌を露出するにはから必須だ。それから顔を覆うヴェールも。色とりどりの小さな石が縫いつけられていて可愛いし、ちょっとやそっとの風では捲れることのない優れもの。それに丈夫なもので、もう何年も使っているお気に入りである。

「手紙が届いた気がするの。取りにいってくるわ」

 温かな朝食のよい匂いがするほうへ声をかけると、「お気をつけていってらっしゃいませ」と妙に人間味のある口調で機械音の混じる声が返ってきた。

 扉を開けると、海からの乾いた風がヴェールを揺らす。朝日を反射する石がきらきらと視界の端で輝くのがわかった。

 ごつごつと硬い岩混じりの蹴って小走り気味に波打ち際へ向かう。

 ……ああ、やっぱり。

 強めの風が吹き、砂しぶきが上がった。そのなかに、普段なら――いや、十年前までであれば見かけることすらなかったであろうものを見つける。

 この辺境の島に住んでいるのはわたししかいないし、浜辺に流れ着くのはもう誰のものでもないものばかりである。だけど送り主の性格を表すように丁寧に密封されたその瓶は、たしかにわたしに宛てられたものだ。

 わたしは一応ほかにも目ぼしいものがないか確認してから、砂にまみれて薄汚れたそれを、ぎゅっと胸に抱いて家へ戻った。


「……本当に、そればっかりは外さないのですね」

 居間に入ると同時にそんな言葉をかけられた。質素なエプロンを身に着けた自律機械がわたしの手もとをじとっと見つめている。やや含みのある彼女の言葉に、ついそっぽを向いてしまう。

 わたしは魔女だ。ただし、世間一般の常識からはかけ離れた、まるで力のない魔女。わたしにできることは「花びらの魔女」というとってつけたような二つ名の通り、花を出すことくらいで、ほかの魔女ならできて当たり前という奇跡なんてとてもじゃないけれど起こせない。

 ただまあ、人よりちょっとだけ勘がいいみたいで、昔から虫が知らせるみたいなことはあったし、そのおかげで助かったことだってたくさんある。

 ――あの日だってそうだった。

 浜辺に流れてきた動かぬ砂竜と、なににも関心を持っていないかのような目をしていた彼のことを思い出しながら、わたしはパチンと指を鳴らす。

 朝食の並ぶテーブルの端に置かれた空の花瓶。そこに突如として茎から花びらの先までやわらかな緑色をした花が現れる。それを見た自律機械が非難がましい視線を寄こしてきて、それから諦めたように首を振った。

「これくらいはいいでしょう? せっかく彼からお手紙が届いたんだもの」

 何年か前に彼と別れてから、数か月に一度の頻度で手紙が届くようになった。内容はどこどこで食べたこんな料理がおいしかっただとか、とても珍しい遺物を見ただとか、そんな他愛もないことだらけだけれど、自律機械以外に話をする相手もいないわたしにはどんな内容でも新鮮に感じられたし、嬉しいものだ。

「彼からはなんと?」

「ええとね、砂竜の群生地に行ってきたのですって。あの砂竜に似た子がいたけれど、寂しさよりも懐かしさが勝って、なんだか不思議な気分だったって」

「もう大人になりましたからね」

「……そうね」

 別れ際にわたしが散々心配したことを気にしてくれているのか、手紙の最後には必ず「僕は元気にやっているよ。あなたもどうかお元気で」と書かれている。わたしはいつもと同じように、その言葉を指先でなぞった。


       *


 彼からの手紙は途切れることなく続いている。わたしから送る術はないから一方通行の関係だというのに、やめるつもりはないらしい。

 最後に会ったのはもう五十年くらい前のことだ。長生きな魔女であるわたしとは違って、彼はもう立派な老人になっていることだろう。皺だらけの手で、見えにくくなった目を細めてこの手紙を書いているのだと思うと、自然に頬が緩む。……いや、もしかしたら視力を矯正する遺物を手に入れて、今もシャンとしているかもしれない。案外ちゃっかりしたところがあるからなあ、なんて思いながら。

 ――砂の海とわたしの住む辺境の島に変わりはないわ。

 そう伝えられたならどんなにいいことか。

 なんて、思いながら。


 それからさらに二十年が経って、少し乾燥しやすくなったけれど皺のひとつもないわたしの手には、見慣れた瓶があった。

 たった今、砂の波に流されてきたものだ。わたしはそれを、いつも通り寝起きに「届いている気がする」と思い海辺に出てきたところで拾った。

「それは……」

 自律機械が戻ってきたわたしの手もとをみて苦い顔をする。機械である彼女に寿命なんてないから、三百年以上生きているわたしが生まれる前から動いていたし、多分、わたしが死んでしまったあともずっと動き続けるだろう。

 そんなわたしたちにとっては、たった七十年のことだ。

 けれど、彼にとっては違う。

「彼はもうとっくに――」

「わかっているわ。少し前から、もしかしたらそうなんじゃないかって、思ってた。でも……じゃあ……」

 手紙の筆跡が彼のものであることに間違いはない。だとしたら、この手紙はいつ書かれたものなのだろう。

 いったいいつから、彼は未来のわたしに向けて手紙を書いていたのだろう。

 わたしが生きるあいだ、どれだけの言葉を……。

「虫の知らせはなかったのですか」

 よしよしと背中をさすってくれる自律機械がそんなことを聞いてくる。行動は優しいのに、言葉は辛らつだ。彼女はいつだってこんな調子で、その変わらなさにわたしは安心する。

「なかったわよぅ……きっとそのときは、風の強い日が続いてて、砂埃がわたしの感覚を鈍らせたんだわ」

「あなたよりよほど繊細なこの身体は、砂埃で調子を崩したことなどありませんが。まあ、そういうことにしておきましょうか」

 耳に痛い言葉と、背中をゆっくりと撫でる温度のない手の感触に包まれながら、わたしは玄関の乾いた床を少しだけ濡らした。

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