ロボットの俺と魔女と雪の日のおでかけ

澁澤 初飴

第1話


 嫌な予感は的中した。

 その日は朝から吹雪だった。


 前々から出かける予定を立てていて、彼女も仕事を頑張って一段落させてくれて、やっと合わせた平日の休みに、吹雪。


 嫌な予感はしていたのだ。


 俺は雨男だ。名字が雨野あまのだからなのだろうか。しかし親族の中でも俺は特に雨に降られやすい気がする。その日は雨が降りそうだな、とちらりとでも思ったらほぼ降る。特殊能力として誰か認めてくれないだろうか。履歴書に書けたらいいのに。


 事故で体を失い、ロボットになってしまったのだが、それでも雨にあたることが多いのは変わらなかった。人だった時の血や肉や骨はひとかけらも残っておらず、俺を俺だと認識するのはこのデータとして引き継がれた記憶と思考パターン、小さなチップに収まる程度の記録だけなのに。まさかその中に雨男の特性まで引き継がれるとは思わなかった。


 しかし。吹雪は、ひどすぎる。

 立春からもうひと月以上過ぎているのに。ちなみに積雪も20センチ以上ある。昨日の天気予報を見て嘘だろと思ったが、嘘ではなかった。新幹線も予め運休を決定するレベルの雪は半端ない。せめて雨なら。いややっぱりどちらも嫌だな。


 外を眺めてため息をついていると、彼女が後ろでくすくす笑った。

「あなたと出かけるんだもの、このくらいは覚悟してるわ」

 ええ、この吹雪も想定内なのか。俺はますますがっかりする。

 バスで隣町のショッピングモールに行って、映画を見て、ごはんを食べて、本を買う予定だったのに。

「バスに乗ってしまえば、降りたらお店だから大丈夫よ。バス停までがんばりましょ」

 彼女が俺にマフラーを巻きながら笑う。俺はロボットだからいいけれど、彼女が寒いと可哀想だ。

 彼女は大丈夫よ、あったかくするから、と去年俺がプレゼントしたマフラーと手袋を手にして笑った。どうしても出かける気だ。風邪を引いたら大変なのに。

「あなたもあったかくしてね、温度センサーの切り方、まだ調べてないんでしょ」

 去年の夏、暑過ぎて、何でロボットなのに暑さでバテているのか自分でも馬鹿らしくなった。センサーを切ろうと思って、しかし調べるのを面倒がっているうちに今に至る。俺は寒いだけで風邪は引かないからいいんだ。彼女は生身なので心配だ。


「少し明るくなってきたわ」

 先に玄関を出た彼女が雪の中で振り返る。風が弱まり、雪も小降りになったようだ。昨日までだいぶ進んでいた雪解けが、まるでなかったことになっている。冬だ。

 それでも春の雪は踏むとすぐに固まってキュッと鳴る。俺と彼女は玄関前の除雪を横着して20センチの積雪をかきわけ、何とか道路まで出た。


 彼女と手をつないで歩きながら、この手があたたかかったらな、と思う。そしたら、少しでも彼女の手をあたためられるのに。


 バス停で待ちながら、俺はなるべく風が彼女に当たらないように立ち位置を調整した。彼女がそれに気付いてありがとう、と微笑んでくれる。俺はそれより彼女が寒くないか心配だ。


 バス停の隣の仏壇屋が除雪を始めた。この辺りの店舗は大抵小型の除雪機を持っている。仏壇屋ももちろんそうだ。除雪した雪を飛ばすタイプなので、俺は彼女と立ち位置を変えた。万が一雪が飛んできたら危ない。

「心配性」

 彼女が俺を見上げて笑う。そんなの、君が一番わかってるだろ。


 この雪道なのに、ほぼ定刻通りにバスが来た。雪国のインフラはすごいな、と思いながら俺が少し道路側に身を乗り出した時だった。

「うわわわわわ」

 雪がどさどさと頭の上に降ってきた。降ってきたが空からの雪のようにふわふわではなく、しっかり重さがある。つまり除雪中の雪が俺を直撃しているのである。

「人がいます!」

 彼女が慌てて除雪機を操作しているおじさんに向かって叫ぶ。俺は半分埋まった。もちろんバスに乗れる状況ではなく、バスは一応停まってくれたが、彼女が断った。


 俺は無事掘り出された。謝られ、蝋燭を一箱もらった。気持ちはありがたいが、いらない。

「電車で行きましょう。駅までは融雪歩道だから大丈夫よ」

 彼女が微笑む。


 俺はよくこんなことがある。ついてないと言うか、巻き込まれやすいと言うか。そんな俺にこうして彼女を付き合わせる時、本当に申し訳なくて悲しくなる。しかし彼女はそんな時、そっと俺の手を握って微笑んでくれる。


 どうしてなのかな。嫌にならないのかな。


 幸い電車は止まっていなくて、俺と彼女は無事に乗ることができた。電車だと最寄駅から地下鉄に乗らなければいけない。しかし彼女は酔いやすい癖に乗り物が大好きだから、地下鉄を喜んだ。

 彼女の嬉しそうな顔が見られたから、いいか。


 だが俺の嫌な予感はまだ止まらない。


 地下鉄でショッピングモールに直結している駅に着き、映画を見ようとして、これかと思った。

 見たいと思っていた映画は明日からだった。他の映画館ではもう始まっていたから、ここでも当然かかっていると思い込んでいた。

「ごめん、ちゃんと調べれば良かった」

「仕方ないわ。ねえ、こっちのは?」

 彼女が黄色いキャラクターがドタバタするアニメを指差す。子供じゃないんだからと思ったが、子供は学校にいる時間だからたまにはいいかとそれを見ることにした。

 なかなか楽しかった。彼女は気に入ったようで、映画が終わってから黄色いキャラのバッジを買っていた。俺も何か買おうかと思ったが、俺の気に入ったおじさんのキャラクターグッズはさすがになかった。いい味のおじさんだったのに。


 ごはんを食べに入った店では待たされたまま忘れられ、本屋では目当ての本が雪で遅延して入荷しておらず、まあ俺にとってはいつも通りのことが起こった。俺はその度に彼女に申し訳なくてたまらなかった。嫌な予感はこのことだったのだろうか。


 帰りは無事バスに乗れた。

 彼女の膝にはプリンの箱が乗っている。いつもは開店とほぼ同時に売り切れてしまう話題のプリンが、今日は雪のせいかまだ残っていたので買えたのだ。初めて食べるので楽しみだ。

「楽しかったね」

 彼女が笑う。散々な目に合わせた気がする俺は、曖昧に笑った。


 帰宅して少しゆっくりしてから、プリンを食べた。さすがに話題のプリンだけあって、おいしかった。

 俺はふと思った。嫌な予感が消えている。やっと終わったのか。

 俺はまた思った。もしかして、せっかくの彼女とのデートを嫌な予感が心配で存分に楽しめなかった。これが一番嫌なことだったのではないだろうか。

 あああ、と頭を抱える俺を見て彼女が笑った。



 彼はロボットだ。


 事故でほぼ死にかけたのを、私が無理矢理ロボットにしてよみがえらせた。

 彼は人の厄を引き寄せやすいと言うか、かぶりやすいと言うか、とにかく彼は他人の厄を背負い込んでしまう。

 彼と付き合い始めた時、私はそれが心配でたまらなかった。

 私は魔女だ。厄を人に与えることもできるが、もちろん払うこともできる。私は彼が心配で、強い魔法で彼を守り、徹底して厄を払った。


 その厄は積もりに積もって、一撃で彼を瀕死にさせた。


 私のせいなのだ。今までのように厄が降りかかるのに任せ、少しずつ災いを受けていれば、彼本来の強さで何とかしてしまえていたのに。


 それがわかったので私は必要以上に厄を払うことをやめた。ロボットになった彼はだからちょっと人よりうまくいかないことも多いけれど、元気にしている。そして、彼も厄を払ってもらった人も全く気付かないまま、彼は少し不幸に、厄払いしてもらった人は少し幸せになっている。


 私はそんな彼が好きだ。


 私はきっと彼にいつも厄を引き受けてもらって、だからこうして幸せにしていられるのだろう。彼にはそれを説明したこともあるのだが、何だかぽかんとして聞いていた。あまり理解してもらえたようには思えない。


 だから彼は何かあるとくよくよ悩む。雪が降ってはため息をつき、バスに乗れなかったと私に謝る。

 私はその時彼が誰かを、もしかしたら私を助けて、それを乗り越えて元気でいてくれたのだから、心から嬉しく思っている。

 しかし彼はそんな私の気持ちが信じがたいようで、よくどうして一緒にいてくれるのかわからないと言う。私はどうして彼が自分の不幸を嘆かず私のことで悩むのか、そっちの方が不思議だ。


 彼は不幸を嘆かない。それはそれで、のほほんと受け入れ、受け流してしまう。それが彼の強さだと思う。そこが好きだ。その上で、私から見ればそんなことで、と思うようなことで悩む。例えば、ロボットだから私をあたためられない、とか。そこも好きだ。


 彼の体は確かに硬くて冷たいけれど、実は右肩の少し下の一部分はあたたかい。私は知っている。たまにそこに頬を寄せてあったまっている。

 そうしていると、彼は私を心配する。冷たいよ、硬いよ、疲れたなら布団敷こうか。気遣われて私の心はますますあたたかくなる。


 今日もあんなに色々あったけれど、私は彼が元気だから嬉しい。楽しかったねと言ったら微妙な顔をしていたから、きっとまた私のことで悩んでいるのだろう。本当に楽しかったのに。


 プリンを食べていたら、彼はおいしそうに食べていたのに、突然頭を抱えた。きっとまた何か変なことで悩んでいるのだ。

 私は笑い、私が笑うと彼はなんとも言えない顔をして、しかしそのうちつられて笑い出す。


 笑いながら私はふと言った。

「雪が止んだわ」

 彼はわざわざ窓まで開けた。

「本当だ。すごいね、何でわかったの」

「第六感、よ」

 私はわざと大袈裟に言ってみた。彼が素直に感心するから冗談にならない。

 でももしそんなものがあるのだとしたら、私はかなり鋭い方だと思うのだ。


 だってあなたに出会えたんだもの。


 私は彼に寄り添った。窓から入る風もあなたの体も冷たいけれど、あなたの右肩の下のここと、私の心はあったかい。


 目の前は雪景色。

 けれど、風も、あなたの体もあたたまってくる春は、きっともうすぐそこだ。

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ロボットの俺と魔女と雪の日のおでかけ 澁澤 初飴 @azbora

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