豚箱行き

高黄森哉

肩叩きしてあげる

「あら、今日もお疲れね。肩叩きしてあげるから、ちょっとじっとしてなさい」

「ああ、どうも」


 その男の妻は、伊吹という。彼女はとても献身的で、いつも夫のマッサージを買って出た。夫の肩を揉む、その時、彼女はとても幸せそうな顔をする。男はそれを、首を曲げて確認するのだが、なぜ妻がそんなに幸せそうなのか分からなかった。ただ、こんな妻をもって幸せだなと感じた。


 カラン


「おい、また変な音がしたぞ。首を強く押さないでくれと言っただろ」

「あら、すいません」


 妻は澄ました顔で言った。よく、首を押さえられた時、からん、というのだ。それは空虚な音である。男は、その反響を耳にすると、もやもやする。一体、身体のどこからなっているのだろうかと考えた。しかし、答えは出ない。



「うーむ。最近、ちょっと体が重い気がするんだよな」

「あら、そうかしら。もうそろそろかしらね」

「もうそろそろってなにがだ?」

「秘密」


 一つや二つ、秘密があってもいいかもしれない。なんせ、こんなに良い人間なのだ。道の真ん中で、妻として一つの完成系だ、と声高に主張できるくらい。と、男は本当に思った。

 リモコンを手に取りニュースを回すと、どこもかしこも、下らないスキャンダルばかりだ。


「えー。不倫なんて、あり得ない」


 若いタレントが不満げに非難する。


「いやあ。良い人に思えたんですがね。そういう人こそ注意ですぞ。シーソーと同じ、いい分だけ、悪いところがある。無いと思っても必ずあるんだ。もし、無い人がいたら、それは調査がたりないだけ」

「さすが、堀北大先輩の言うことは違う。経験者は語る」

「コラ! 君。あとで楽屋に来なさい」

「はい、次の話題です」


 男の妻はどうであろうか。もしかしたら、何か隠しているのかもしれない。急に、心配になって来る。尋ねてみよう。


「なあ。お前は、隠してることはないよな」

「もちろん」


 その時、彼女は、目を右に反らした気がした。


「あなた。金が成る木って知ってるかしら? 」

「なんだ突然。俺のことか」

「いいえ。そもそも、あなた、そんなに稼いでないじゃない」

「いわれてみればそうだ」


 そういって、机の上のウーロン茶をガブリと飲む。男の収入はごく平均的だった。会社では、そこまで成績が悪くはないはずだが、いかんぜん目立たない。


「じゃあ、金が増える貯金箱はどう? お金を定期的に振り込んで、それで万が一の時に壊すの。すると、倍になるって」

「いいや」


 チャンネルをいじろうとしたそのとき、男は一つ、その貯金箱に似たものを思い出した。がしかし、口にすることはなかった。口に出す前に、背後で肩を揉んでいた妻が、『あなたのことよ』と、ハンマーで、男を叩き割ったためである。フフフ、と妻は笑う。

 そんな哀れな男は、さいごの一瞬まで自分が貯金箱だとは思わなかった。では、男は、先の妻の問いかけに何を連想したのだろうか?




 ―――――― それは、生命保険であった。

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豚箱行き 高黄森哉 @kamikawa2001

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