ビューっと来たら、バッと振れ

中田もな

第六感→第七感

 東京六大学野球、春季リーグ戦。東京大学野球部が、五対四で勝利した。七十三連敗を止めたこの試合は、観客の期待を良い意味で裏切り、またある一人の野球選手が、大々的に注目されるきっかけにもなった。


「弥生選手、大活躍でしたね」

「……ありがとうございます」

 インタビューを受ける弥生奏音やよいかなとは、平然とした様子を崩さずに、カメラの方を向いていた。筋肉質な体躯に、爽やかな顔立ち。焼けた小麦色の首筋から、透明な汗が滴っていた。

「どうですか、今のお気持ちは?」

「……まぁ、別に。普通ですね」

 弥生の冷めた表情は、言外の真意を一切読ませない。喜ぶ仲間とは打って変わって、彼は至極当たり前だと言わんばかりに、右手の甲で汗を拭った。

「そうはおっしゃいますが、弥生選手。やはり、あのホームランを打ったときの感動は、ひとしおだったのでは?」

 この試合で唯一の特大アーチは、二回裏に突如として放たれた。前の回を三者凡退で抑えられた東大は、四番打者のソロホームランで、いきなり一点を先制する結果となったのだ。その後も安打を量産した彼こそが、二年生ショートの弥生奏音だった。

「『感動』とかは、特になかったですね。あの球だったら、ああ飛ぶだろうって、打つ前から分かっていたんで」

 彼は素振りのポーズを取ると、少し不安定なフォームを見せた。試合を振り返ってみても、彼のバッティングフォームをいうものは、お世辞にもきれいとは言えなかった。

「……つまり、最初から、投球の軌道を見切っていたと?」

「まぁ、そうですね。ビューって来たから、バッと振ったんです」

 四回裏のセンター返しも、七回裏の鋭い長打も、全てオノマトペ的に打ち返したと言う。彼にしか感じられない世界が、きっとあるのだろう。インタビュアーは、そう思った。

「なるほど、素晴らしいですね。第六感……、とでも、言うべきでしょうか」

「……はぁ、そうですか」

 弥生は興味がなさそうに、小さく首を傾ける。取材の最初から最後まで、とことんつれない選手だった。






「お疲れ様です、弥生選手。二連勝、おめでとうございます」

「……ああ、どうも」

 連敗を止めた東大は、次の試合でも大番狂わせを起こし、絵に描いたようなサヨナラ勝利を果たした。チームをダークホースたらしめているのは、安打製造機のあだ名のついた、弥生奏音のおかげだった。

「今回の試合も、素晴らしい活躍でしたね。九回裏のホームラン、本当に、ナイスバッティングでした」

「……ありがとうございます。あれは、まぁ、ピッチャーの軌道が分かりやすかったんで」

 二対二で迎えた、九回裏。ツーアウト走者なしの場面で打席に立ったのは、他でもない彼だった。ボールくさい球を器用に打ち返し、まさかのホームランにしてしまったのだ。

「私の感想としましては、あのボール、結構外れていたような気がするのですが……」

「確かに、そうでしたね。ですが、まぁ、あれは打てますよ」

 飄々とした態度のまま、バッティンググローブをいじる彼。今まで注目されてこなかったのが不思議なほど、彼の活躍はすさまじいものだった。

「弥生選手。今回も、第六感が働きました?」

「さぁ、よく分かりません。なんか、第七感とかの方が、正しいような気がします」

 グローブのテープを剥がしながら、彼はボソボソとつぶやいた。「『第六感』とか言われたんで、友人に聞いてみたんですよ」とも言っていた。

「なるほど、第七感ですか……」

「まぁ、どうでもいいんですけどね。他にも、第八感とか、第九感とか、そういうのも聞いたんですけど、なんかスピリチュアルっぽかったんで」

 彼はそれだけ言い切ると、再びそっけない口調に戻った。心の深淵を司る、表現不可能な謎の感覚。その存在を信じることは、簡単なようで難しい。しかし少なくとも、「ビューっと来たから、バッと振った」弥生奏音が、今後も活躍し続けることは、誰の目にも明らかなことだった。

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