時間ですよ

新座遊

第1話(最終話) アカシックレコード

人間には五感があるという。それぞれ、物理・化学現象を認識するためのセンサーである。

視覚、聴覚、触覚は、物理的現象のセンサー。

嗅覚、味覚は、物理的現象をもとにした化学的現象のセンサー。

これらの五感で身体にまとわりつく世界を認識し、現実世界として認定を行うわけである。

世界を認識をするのは、たぶん脳内になんとなくあるんじゃないかと思われる意識。魂と言ってもいいかもしれない。その意識のために情報を集めるデバイスとして目や耳や鼻や舌や皮膚があると解釈できる。


場末の居酒屋でひとり、焼酎のロックを味わいながら考える。この味覚から感じる酒の美味さは幻かもしれない。飲めば飲むほどに、感覚が鈍くなっていくのがなんとなく感じられる。俺を騙そうとしているに違いない。酒恐るべし。

大学生らしき集団が店に入ってきて、予約と書かれた席になだれ込む。視覚と聴覚が騒がしくなってきた。何かのイベントの帰りがけなのかすでに酔っぱらった風体の若者たち。生きる不安を糊塗するように言葉と言葉のキャッチボールがドッジボールのようだ。

今を生きる若者たちよ、世の中は知ったかぶりしてからあとでこっそりと判らないことを調べるのがいいのさ。どうせ誰も本当なんて知らないのだから、即断的に間違えるほうが考え続けるより結果を残すはずだ。まあ、考えてるつもりになってるかもしれないけどね。まずは嗅覚を鍛えろ。何か怪しいものがあれば、臭いでわかる。


企業戦士というつもりはなくても、自分の存在意義をそこに見出して、やりたくもない仕事を36協定無視の残業でこなしていた俺だが、もういいや、という気になっている。嗅覚が鈍かったのだろうな、今ならわかる。未来を予想し、それに向けて努力したところで、結局のところは環境変化に翻弄されて、いつの間にか必要とされない老戦士になっていた。これは愚痴ではない。立ち位置の変化を受け入れる儀式に過ぎない。俺は会社と自分との不可分性に賭けていたが、賭けに負けただけのことだ。

灰皿を頼み、煙草に火をつける。ライターの熱が触覚を擽る。

今人生をやり直せるなら、煙草の煙に紛れて学生時代にタイムスリップしていただろう。学生時代?どの段階だろう。どこに戻っても、結論は同じような気がする。選択肢は無数にあったが、同じ選択を繰り返すだけなのかも。

五感が身体を現実世界に束縛する錨だとしたら、錨を揚げるには、あともう一つの感覚が必要だったのだ。

第六感というやつか。そんなものあるのかね。何らかの直観。物事の本質をつかむ心の動き。

世界の本質ってそもそも何だろうか。四次元時空という。横縦高さに時間を入れて4つのディメンジョン。それが本質か。五感は、縦横高さの空間的センサーではないか。だとすると時間ってなんだろう。時間は五感とは切り離された何かだ。

ああ、そうすると第六感ってのは時間か。時間感覚がもう一つの感覚なのか。

過去から未来に至るすべて。時間とは物質変化の可能性のことか。あらゆる可能性のすべて。それはアカシックレコードそのものだ。

時間感覚が人の意識にある理由は何か。因果律を意識できる理由は何か。すべての可能性を、実は知っているからではないか。エントロピーとは変化を意識する指標か。


時間感覚があると、生身の身体が不滅ではないことを知ってしまう。しかし、情報としては、すでにあるものを物質の現象に投影しているだけで、永遠という意識は不滅であることすら知っていたのだ。ただ単に、不滅が恐ろしいから忘れていたのだ。

そうか、俺は知っていたんだ。あらゆる可能性の中で、現実をひとつ選んだだけで、別の俺は、また別の現実を選んでいる。それは無限に折り重なって、干渉波のように強弱をつけているだけのことだ。

お客さん、時間ですよ。お勘定を。

なんだもう閉店か。いつのまにか騒がしかった大学生たちも消えていた。俺も帰るかね。


翌日、二日酔いで頭痛に苦しみながら出勤する。昨日、なんかすごいことを発見したような気がするが、酔っぱらった頭で考えたことなんか、たぶん大したことじゃない。

とりあえず水を一杯。酔い醒ましの水は美味いね。味覚が喜んでいるよ。






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