ベッドの下の男
南雲 皋
違和感
大学に入ってから初めて出来た友人。
カオリの家に遊びにくるのは何度目だろう。
1LDKのこじんまりとした賃貸マンションだけれど、オートロック付きの玄関に、一階には女性の管理人さんがいてくれる、女性に安心という売り文句でサイトに載るような家。
白と薄い桃色で構成された室内はいかにも女の子の部屋といった感じで、いつ来ても髪の毛が落ちたりしていない毛足の長いカーペットに感心するばかりだ。
よく晴れた土曜日だった。
駅前で待ち合わせをし、スーパーで食材やお菓子、飲み物を買い込む。
レンジでチンするだけの昼食を食べながら、サブスクで配信されたばかりのドラマを観た。
韓国の、恋愛を絡めたお仕事もので、バリバリ働く女主人公が婚約者に振られたり同僚に迫られたり、危うく不倫してしまいそうになりながらも、会社の中で確固とした地位を築いていくという話だった。
パスタの空容器をビニール袋に入れ、私たちの前には木皿に入ったポップコーン。
今日だけはと解禁したコーラを飲みながら、こんなにも楽しい休日なのにどうして胸がざわざわして落ち着かないのだろうと思った。
カオリの部屋の匂いが変わったせいだろうか。
いつもはフローラルな香りの多いこの部屋だが、今日はバニラとココナッツの甘い香りがしていた。
私はあまりココナッツの匂いが得意ではなく、そのせいで落ち着かないのかもしれないなと思った。
その日の気分で香水を変えるカオリのことだから、きっと次に家に来た時には違う匂いになっているだろう。
もしかしたら明日の朝には違う匂いにしているかもしれない。
陽も暮れて、ドラマもキリがよくなったので夕食の支度をする。
夕食と言っても、ただの鍋である。
野菜を適当に切って、パックの出し汁を入れた鍋に放り込むだけ。
白菜の芯を先に入れてある程度火を通し、豚肉を入れて少し煮込んでからアクを取る。
それから残りの野菜や豆腐を入れてまた煮込んだ。
ビールで乾杯をして、小皿に取り分けた鍋を食べる。
さっきまでドラマを流していたノートパソコンはテレビの隣に置いておいて、今はテレビからお笑い芸人のコントが流れていた。
テンポのいいやりとりに思わず笑ってしまった瞬間、ゾワリと背筋が粟だった。
胸がざわざわして、落ち着かない。
今はバニラの匂いなんて気にならない。鍋のいい匂いしかしない。それなのに、じわじわと、言葉に言い表せないような気持ちの悪さが私の全身を駆け巡っている。
何が原因なのかと視線を彷徨わせて、気付いた。
ベッドの下に男がいる。
何も映していないノートパソコンの画面に、部屋の内部が見えて。
私とカオリの体の向こう、一人暮らしにしては少し大きなベッドの下の暗闇に、男が横たわっているのが見えた。
「……!」
ごくりと豆腐を飲み込んで、出来るだけ平静を装って小皿をテーブルに置いた。
放り出していたスマホを引っ掴み、空になったビールの缶を振る。
「あー、ビールなくなっちゃったー。ちょっとコンビニ行って追加で買ってくるよ」
「え? チューハイあるけど」
「ビールがいいの!」
「ホノカ、そんなにビール好きだっけ?」
「何か、今日はビールの気分なの。すぐ帰ってくるから!」
「あ! ホノカ〜?」
カオリの声を背中に残し、必死で玄関を出る。
オートロックなんて結局何の意味もないんじゃないか。
そんなことを思いながらエレベーターを待ちつつ、カオリにメールした。
『早く家から出て、ベッドの下に男がいる』
『は!? マジ?』
『マジ! エレベーター呼んでるから、早く』
『分かった』
玄関の扉が開き、青ざめた顔のカオリが出てくる。
その体は震えていて、今にも泣き出しそうな表情に胸が苦しくなった。
「ホ、ホノカ……」
「カオリ!」
扉の前に崩れ落ちそうになるカオリにを支えようと咄嗟に駆け寄った私は、一瞬何が起こったのか分からなかった。
衝撃と、熱さと、遅れてやってくる痛み。
私の胸には深々と包丁が刺さっていて、私を見上げるカオリの顔には涙なんてなくて、ただ、底の見えない瞳と、貼り付けたような笑顔があった。
「危なかったぁ。逃げられちゃうところだった。やめてよね、変なところで観察力発揮しちゃってさぁ」
「カ、オリ」
「ベッドの下の、あれカイトだから。お前らが浮気してんの、気付いてないと思ってた? ねぇ、どんな気持ちで私と友達してたわけ? どんな気持ちで私の相談に乗ってたわけ? 舐めてんじゃねーよ、クソが、クソがっ」
「う、ぐぅ……っ」
カオリは私の髪を掴み、引きずるように家の中に連れ込んだ。
包丁は刺さったまま、傷口から滲み出た血液がじわじわとベージュのブラウスを汚す。
ベッドの横に突き飛ばされ、床に転がった。
毛足の長いカーペットの向こうから、
ベッドの下の男 南雲 皋 @nagumo-satsuki
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