推し活(嫁探し)はゆずれない

蓮水千夜

二人の推し問答

「じゃあ、社長お疲れ様です」


 定時になったことを確認し、つかさはサッと荷物を片付けて社長室から出て行こうとした。


「お疲れ様。あっ、ちょっと待って、功刀くぬぎくん」

「……何ですか」


 今日はやっと迎えた金曜日で、今週到着した新作のギャルゲーをやるために、司は何が何でも定時に帰ると決めていた。そんなときに一体何だというのだ。


「功刀くんは、推し活って知ってる?」

「推し活って、推してるものを応援する活動でしたっけ。それなら、『メイガル』の優子さんをずっと推してますので、それですかね。それじゃあ、お疲れ様です」

 ずれた眼鏡を直し、目線を扉に向ける。


「待って待って、ちょっと待って!」

「……まだ何か。早く帰って、新作のギャルゲーやりたいんですが」


「じゃあさ、そのゲーム一緒にやらない? 一緒に推し活とかしたいなーって思って」


「は?」


 ――さっきから、何を言っているんだこの人は。


「いや、結構です。ゲームは一人でやる派なんで」

 そう言って、今度こそ社長室から出て行こうとすると、スーツの端を軽く引っ張られた。


「じゃっ、じゃあ、明日一緒に出かけない?」

 まるで子犬のような潤んだ瞳で訴えかけられ、一瞬心が揺らいだが、屈する訳にはいかない。


「……何でそうなるんですか。いい加減にしてください。まだ見ぬ未来の嫁が私を待ってるんですよ」

「未来の嫁もいいけど、今目の前にいる僕を推してくれてもいいじゃない!」


 ――だめだ。完全に面倒臭いモードに入ってる。


「ほらっ、君の好きな『メイガル』の聖地巡礼とか一緒にしようよ」

「だから、何で一緒に」

「ぼ・く・な・ら、『メイガル』の裏設定の場所まで案内してあげられるし!」

 一切引かない社長は、とうとう切り札を持ち出した。


「だって、僕が『メイガル』の原作者だからね!」


 そうなのだ。『メイガル』こと『Make Me Girl Friend』というギャルゲーは何を隠そう、この社長が発案し作ったものだった。司はこのゲームが好き過ぎるあまり、思わずゲーム会社に面接に行き、奇跡的になんと原作者の社長の秘書になってしまった。


 しかし、憧れていたこの社長は、まぁ変わり者で、気づけば社長に対しての扱いが日々雑になってきてしまった感は否めない。


 この提案は、とても魅力的ではあるが――。

「……でも、やっぱり一緒に行く意味がわかりませんけど」

 なおも渋る司に、社長の顔が曇る。


「……わかった。君がそこまで言うなら」


 やっと、諦めてくれた。そう思ったのも束の間――、


「優子さんとだったらどう?」


 社長はとんでもないことを言い出した。


「ゆ、優子さんと?」

 ありえない。だって優子さんはゲームの中の登場人物だ。だが――。


「そうだよ。だって、優子さんは君の一番の推しでしょう?」

「うっ……!」


 ――私は知っている。この得意そうな顔の意味を。




◇◆◇◉◇◆◇




 ――一体、何でこんなことになってしまったのか。


「お待たせ! ごめんね、待った? 司くん」

 少し小走りで来たその人は、美しい長い髪をはためかせ、その笑顔を振り撒いた。清楚で落ち着いた雰囲気の服がとてもよく似合っている。


「ううん。全然待ってないよ。優子さん」

 対して、司は白いシャツに黒のカーディガンを羽織り、ジーンズにスニーカーというラフな格好だった。これでも色々悩んだのだが、最終的に張り切り過ぎない格好で行くことにしたのだ。司は髪も短めなので、はたから見たら男性にも見えるかもしれない。


「司くん……!」

 優子さんは、その美しい顔を赤く染めて――、


「って、違うでしょ!?」


 つい、途中まで茶番に乗ってしまったが、目の前にいるのはあの社長だ。


 だが、ただの社長じゃない。

 社長だった。


 もっと正確に言えば、この姿こそ社長の真の姿というか。昔から女装が趣味で社長になる前は、ほぼ女装で生活していたらしい。


 そして、その女装姿をモデルにしてできたキャラが優子さんだった。


 ゲームの中の優子さんは正真正銘の女性なのだが、なにぶん社長をモデルにしているため、社長が女装すると優子さんそっくりになってしまう。

 だから、どうにもこの姿の社長に司は弱かった。


「えっ、何が違うの? いいからほら、早く行きましょう!」

「あっ、ちょっ、待って……!」


 司の葛藤をよそに、優子さんもとい社長は楽しそうに司の手を取って走り出した。




◇◆◇◉◇◆◇




 一通り聖地巡礼を楽しんだ後、二人は芝生の綺麗な公園に来ていた。


「楽しいね、司くん」

「そうですね、優子さん」


 お互い肩を寄せ合いながら芝生の上に座り、穏やかな時間が流れる。


「ねえ、司ちゃん」

 そんな中、優子さんが切り出した。


「私たち、付き合ってるんだよね?」


「はい――って、違います!」

 ――危なかった。危うく流されるところだった。


「優子さんは、主人公のことを司ちゃんとは呼びません」


「……チッ! やっぱダメかー!」

 途端に『優子さん』から社長に戻る。


「ダメに決まってるでしょう。むしろここまでなりきって付き合った私を褒めてください」

「あははー。確かに」

 そう言いながら、そのまま芝生に寝っ転がる。


「……ありがとう。僕の我儘に付き合ってくれて」

「……社長」

 いつになく真剣な顔で言うものだから、つい社長から目がそらせなくなった。


「今は、『社長』じゃなくて『弥生やよい』って呼んでほしいな」

 いつも以上に優しい瞳に促されて、思わすその名を口にする。


「――弥生、さん」


 その瞬間、『社長』でも、ましてや『優子さん』でもない、いたずらっ子のような顔で笑うから。


 ――あぁ、だから一緒になんて来たくなかったのに。だってこれ以上、この人のことを知ってしまったら――…。


「僕は推しに対して、すごく愛が深いんだよ」

 そう言って、司の手を取り、そっと指を絡ませる。


「これからも推し活していくから、覚悟していてね」


 意味深に笑う弥生に、鼓動が早くなる。


 ――別に深い意味はない。いや、あってたまるか。


 落ち着かないこの気持ちに、今はまだ気付きたくなかった。

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