受け継いできたチキンソテー

玉椿 沢

受け継いできたチキンソテー

 キッチンに男が立つ。備え付けられているガステーブルと同じくらい年季の入った、臙脂えんじ色と白のチェック柄のエプロンを着けて。


 男の名前はパイエティというが、大抵の人に関わりのない事であるし、今後の人生に無影響な事だ。


 それ以外の素性も同様だ。


 カウンタートップに並べる食材は、鶏肉、ブナシメジ、ネギ。



 作ろうとしているのは、母親が作ってくれていたチキンソテーだ。



 とはいえ、教えてもらった訳ではなく、遠い記憶を探って再現していくしかないが。


 ――多分、ムネ肉だったんだろうがな。


 今、パイエティの前にいるのはムネ肉ではなく、もも肉。


 一口大に切っていき、片栗粉をまぶす。


 油を引いてガステーブルにかけていたフライパンが温まっているのを確認すると、皮を下にして並べ、強火で炙っていく。


 ――焼くのは皮から。


 それがふっくらと焼くコツだという程度の事も、失敗を繰り返して気付いた程度にパイエティは料理の経験が浅かった。


 皮がパリッとなったら、ひっくり返して弱火に変え、蓋をして蒸し焼きにする。


 ――その間にソースだ。


 焼き上がるまでの時間は平行して作業を進めていく。


 ――しょう油、ニンニク、バター、みりん。


 その中でしょう油を手に取り、パイエティは首を傾げた。


 ――多分、お母さんは魚醤ぎょしょうだったんだ。


 少し癖のある調味料だった事は覚えている。ニンニクを入れるのは、その癖を消すためだった可能性があると思うが、実際に魚醤を使ってみるとパイエティの手に余る味になった。


 ――多分、魚醤にハチミツを混ぜていたんだと思うんだが、無理だ。


 魚醤とハチミツ、あとは何かの果実を煮詰めて作ったソースだったのではないかと推測しているが、それもパイエティの手に余る。


 しょう油とみりんで代用しようと考えたのは、正解のはずだ。


 熱したバターをしょう油に溶かし、刻んだニンニクを投入して煮詰める。


 記憶にある甘辛いソースを、みりんで味を調えて作っていくのだが……、


「いや、違うな」


 甘辛くするのはそうなのだが、甘いよりも辛い方に寄せる。


 味は母親の料理から遠のく。それはもう確実に。


 だが――、


「味じゃない」


 パイエティが最近、思う事はそれだった。


「味じゃない。引き継いでいくなら――」


 ソースの味と同時に確かめる考え。



「受け継ぐのは、味じゃなく、うまさ」



 ならば母親のレシピをコピーする必要はないはずだ。


 しかし思えば、パイエティの母親は料理の上手い人ではなかった。


 ――焼き物なんて滅多に作らず、煮物ばっかりだったな。


 少し思い出しても、作ってくれたおかずは煮物が大半だった。


 ――白菜や大根を煮てたな。


 その煮物も、しょう油と砂糖だけで味付けし、みりんや酒を使った事などなかったと記憶している。出汁も、場合によっては出汁の素すら使っていなかった。


 ――テンションが下がるおかずだった。


 ただし、今は逆。自分で作ろうにも、煮物はパイエティが苦手な料理だ。


 ――白菜を煮て、卵とじ。


 昭和のおかずだとバカにされる事がよくある卵とじという調理方法は、今では恋しく思う事もある。


 だからこそ、パイエテイが辿り着いた結論は、「引き継ぐのは旨さ」だ。


 ――あァ、めんつゆを使ってもよかったな。


 母親が元祖という訳でもないのだろうから、パイエティはパイエティで自分の好みに作り替えていくのが正解のはず。


 蒸し焼きにしていたムネ肉に火が通った事を確認して投入されるブナシメジとネギも、母親が使っていた野菜かどうかは覚えていない。ただキノコの旨味、ネギの香りがパイエティに合ったというのが使う理由だ。


 炒め合わせ、ソースをぐるりと円を描くようにフライパンに入れる。


 ジュッと音を立てて沸騰を始めるソースに、片栗粉をまぶしたもも肉はよく馴染んだ。フライパンから上がる湯気も、ネギの甘い香りとしょう油の焦げる香りとが腹を空かせる香りを纏っている。


 煮詰めていく。もも肉の表面にある焼け跡が、わずかに焦げ跡へと変わる程度に。


 火を止め、皿に移す段階で、「おっと」と一度、パイエティは手を止めた。


 ――レタスだな。


 皿の上に千切ったレタスを敷き詰めていなかったからだ。


 レタスの緑がなければ、チキンソテーの茶色はテンションを下げてしまう色ではないか。


 赤く縁取りされた白い皿に、緑のレタス、そこに載るチキンソテー。


 ――いいな。


 パイエティは成功だと思った。人に食べさせて美味しいといってもらえるかは兎も角、パイエティにとっては旨いに違いない料理だ。


 そして言葉を聞ける訳ではないが、家族に出しても上手いと行ってもらえるだろう。


 パンは出来合、スープはインスタントだが、それを揃えて食卓に置く。



「南イタリア風チキンソテー」



 パイエティの母親がそう名付けたのは、本来は魚醤とハチミツを使っているからだろうか。


「いただきます」


 手を合わせて挨拶。


 しかし箸を手にした次の瞬間、パイエティの視界は暗転していた。


 ――仕事かよ。


 食べ損ねる事になったらしい。


 ――お母さんのご飯派冷えても旨かったが……。


 果たして自分はどうなのかを考えたが、結論が出るより先に、とっとと仕事を済ます方に思考を切り替えた。



 パイエティ――悪魔は今夜も自炊する。

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