あなたの推しが死んだから

水城しほ

あなたの推しが死んだから

 うああああああ、と恋人の明人アキトくんが大声で吠えた。同時にバサッと大きな音がする。

 手狭なキッチンで食事の支度をしていた私が視線を向けると、ベッドの上で寝転がっていたはずのあーくんが立ち上がっていて、床には漫画雑誌「週刊ステップ」の最新号が転がっている。どうやら力任せに叩き付けたらしい。


「ど、どうしたのあーくん」

「……死んだ」

「え?」

「ケリードが死んだんだよ! ベルッカのせいで!」


 ケリードというのは、私とあーくんが一番好きな漫画「インスタントバスターズ」に出てくるイケメン忍者で、あーくんが最も推しているキャラクターだ。ちなみにベルッカはケリードを慕う少女で、私の最推し。私たちはお互いに推しのコスプレをしていて知り合った仲なので、彼がどれだけケリードを好きなのかはよく知っている。


「ちょ、ちょっと待って。私も読むからネタバレしないで」

「れいちゃんは読まなくていい」

「え、だって展開気になる……」

「読まなくていいっつってんだよ!」


 あーくんは不機嫌を隠そうともせず、足元の雑誌を思いっきり踏みにじった。

 一年も一緒に暮らしてきて、初めて目の当たりにする、あーくんの粗暴な姿だった。


 あーくんがお風呂に入っている間にゴミ箱から週刊ステップを救出して、ベッドに潜りながら漫画を読んだ。確かにミスをしたベルッカをかばって魔獣に食いつかれ、さも即死のようなエグい描写がされているけれど、はっきり「ケリードは死んだ」と書かれているわけではない。魔法も存在する世界観だし、ミスリードを誘う演出の可能性も捨て切れなかった。

 お風呂からあがってきて、無言でベッドへ潜り込んできたあーくんにそれを伝えると、そっか、と優しい笑顔で頭を撫でてくれた。


「れいちゃんごめんね、ショックで取り乱しちゃった。怖かったよね」

「ううん、大丈夫だよ」

「本当にごめん……ねぇ、れいちゃん、抱きたいな」


 返事をする前に、キスをされた。

 その夜のあーくんは、いつもより丁寧で優しかった。


 あーくんが大暴れしたのは、その翌週だった。

 大学から帰った私に雑誌を投げつけ、うそつき、適当言いやがって、と大声で罵ってきた。投げつけられた雑誌をめくると、作中ではっきりと「ケリードは魔獣に食われて死んだ」と書かれていた。


「ご、ごめん。でも私もね、生きてると思いたかったんだよ」

「はぁそーですか、まぁお前の推しは生きてるからいいよな。俺の気持ちはわかんないよな。つーかベルッカのせいでケリード死んだんですけど、なんでお前は普通にしてられるわけ?」

「……それ、どういう意味?」

「お前の推しが俺の推しを死なせたのに、ちょっとは申し訳ないとかねーの?」


 ねーよ、と言いかけて飲み込んだ。あーくんの目が完全に据わっていたからだ。この人たぶん八つ当たりとかじゃなくて、本気で私にそう言ってる。

 どうしよう。せっかく楽しく暮らしてきたのに、このままじゃ別れるとか言い出しかねない。今回のことが起こるまで、あーくんは本当に優しかった。趣味も考え方もピッタリ合う、居心地のいい人だったんだ。

 こんなバカバカしい理由で離れてしまうなんて、いやだ!


「そんなこと言われたって困るよ、私がケリード死なせたわけじゃないのに!」

「そりゃそうだけど……ごめん、今はれいちゃんの顔、見たくない」

「え、なんで?」

「だってれいちゃんはずっと、俺のベルッカだったから。日付が変わるまでには帰るから、それまでにベルッカの衣装を捨てといてね」


 そう言い残して、あーくんは私の部屋を出て行った。待って、という私の叫びは完全に無視された。今までの彼からは想像もできないような冷たさに、ここが私名義の部屋でなければ追い出されていたような気がした。

 怒りと悔しさと空しさで、一気に涙があふれ出てくる。だってあんまりじゃないか、私はベルッカが大好きなのだ。好きだからコスプレをしていたし、ケリードとベルッカのカップリングを推してるあーくんと仲良くなった。ベルッカという存在がいなければ、私たちは出会ってすらいない。

 大好きな人と推し活をしながら過ごす毎日は、本当に幸せだった。漫画の中で二人が仲良くする描写があれば一緒に喜んだし、コスプレイベントで一緒に写真を撮るのも楽しかった。ケリードさんもベルッカさんも仲良しですねーなんて、周りのコスプレイヤーたちにからかわれるのだって、恥ずかしいけど嬉しかったんだ。

 それなのに、あーくんは私よりもケリードが大事だった。私は漫画のキャラクターに負けたんだ。そう思うと更に腹が立って、勢いのままあーくんにメッセを送った。


『なんで私が衣装捨てなきゃいけないの? 私とケリードどっちが大事なの?』

『それはこっちが聞きたいよ、れいちゃんは俺よりベルッカの方が大事だから怒ってるんじゃないの? 俺はベルッカが嫌いになったから、ベルッカのいる部屋では暮らせません』


 即座に送られてきた返信への反論が見つからず、私はベルッカの衣装と集めていたグッズの全てをゴミ袋に詰め込んだ。手作り衣装や限定グッズ、そのひとつひとつにあーくんとの思い出があって、幸せの記憶も一緒に捨てている気分だ。泣きながらゴミ袋の口を縛った。

 大切な思い出も、自分の気持ちも、こんな風に捨ててしまいたくなんてなかった。だけどベルッカを嫌いになったあーくんは、このままでは私のことも嫌いになってしまう。私とベルッカを切り離さなければいけない。

 思い出たちの片付けを済ませた後は、近所の美容室へ予約無しで飛び込んだ。美しい黒髪が自慢のベルッカと被らないように、ショートボブにして茶色に染めた。

 夜中にお酒の匂いをさせて帰ってきたあーくんは、別人のように変わってしまった私を見て目を丸くした後、かわいいよ、と抱きしめてくれた。


「れいちゃん、俺のためにここまでしてくれたの?」

「うん……私、二度とベルッカ好きだなんて言わない」

「それでいいんだよ。ああ、やっぱりれいちゃんは誰より俺をわかってくれる……!」


 酔っ払った勢いなのか、強引にベッドへ引きずり込まれ、気絶するまで解放してもらえなかった。


 次の日から、私は抜け殻のようになった。

 早起きして家事をして、大学で講義を受けて、帰りにスーパーで買い物をして、二人分のご飯を作って、寝る前にあーくんとセックスして……ただそれだけがぐるぐる回る毎日に、何の楽しみも張り合いもなかった。

 でも、あーくんは楽しそうだった。何かソシャゲをしているみたいで、食事の時もずっと上機嫌でスマホを触っている。ゲームのタイトルは教えてくれない。れいちゃんと同じ趣味を持って、また同じようなことがあったら嫌だから、って。

 あーくんの世界から、自分が消えてしまったような気がした。


 一年くらいそんな日々を過ごして、私の髪がベルッカと同じ長さに戻ってきた頃。

 大学の休憩所でお弁当を食べながらスマホを弄っていると、SNSのトレンドワードに「ケリード復活」と出ているのを見つけた。

 あーくんの怒った顔を思い出しながら、震える手でトレンドをタップした。

 どうやらあの後のインスタントバスターズは、ベルッカがレギュラーキャラになり、主人公やヒロインと共にケリードを生き返らせる方法を探していたらしい。そして今週、とうとうケリードの蘇生に成功したのだと書かれていた。おまけにケリードへ秘めていた想いが通じ、ベルッカはケリードの恋人になったのだという。

 もう我慢できなかった。午後の講義をサボってネットカフェに行き、一年分のコミックスを読み漁り、発刊前の話は全て電子版を購入し、店員に不審がられるであろう勢いで泣いた。

 私は今も、ベルッカのことが大好きだった。


 家に帰ると、ミシンで何かを縫う音がした。久しぶりに聞く音だった。


「おかえり、れいちゃん」


 ただいま、という前に声をかけられたのも久しぶりだった。あーくんはリビング中にたくさんの布を広げていた。片時も放さなくなっていたスマホが、ベッドの上に放置されたままだ。

 ベルッカの衣装を作っているのだと、一目見ただけでわかった。


「……読んだんだ?」

「うん、一年分読んだ。ベルッカ頑張ってた、ものすごく頑張ってた。なのに俺、あんなひどいこと言って……ごめんね、れいちゃん」


 あーくんが頭を下げた。

 この優しい声の「ごめんね」に、私は何度ほだされてきただろうか。


「衣装、作り直すから。だかられいちゃん、俺とまた一緒に――」

「ごめん」


 謝りつつも笑顔だったあーくんは、口をあけたままで固まった。断られるなんて思ってなかったんだろう。

 だけど私はこれ以上、あーくんと仲良くできる気がしなかった。

 あんなに頑張っていたベルッカを認めようともせず、私からベルッカを奪い取ってきたこの人を、これ以上好きでいられる自信はなかった。


「この部屋から、出て行って」


 あーくんは暴れることもなく、ただ「わかった」とだけ言った。


 翌月、久しぶりにコスプレイベントへ参加した。

 新しく作り直したベルッカの衣装は以前よりも見栄えが良くなり、たくさんの人に声をかけてもらって、ひとりでの参加だったけど寂しくはなかった。

 顔なじみの「ケリードさん」とツーショットを撮った時、今はお一人ですか、と小声で聞かれた。隠すことでもないので頷くと、彼の唇が耳元に寄せられた。


「実は僕も、ケリードとベルッカのカップルが推しなんです。もし良かったら、今日の帰りは僕と一緒に……」


 その言葉に、大好きだった人の顔がちらつく。もう連絡も断ったというのに。彼ともこうして知り合ったから、嫌でも思い出してしまう。

 でも、それはひとつの可能性でもあった。

 幸せだったあの日々を、この人なら再現してくれるかもしれない。

 大好きな人と推し活をしながら過ごす、素直な自分でいられる日々を。 


「いいですよ、グッズショップ寄りましょうか!」


 寂しさを振り払いながら、名前も知らない目の前の彼へ、とっておきの笑顔を向けた。


(了)

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