第5話

 醜妖精ゴブリン。魔物の端くれとして人に害なす人類の敵。数ある魔物の中でもトップクラスの知名度を誇るが、それは偏に彼らが魔物としてあまりに脆弱に過ぎるから。「魔」物であるにも関わらず身の内に秘める魔力を満足に扱うことも出来ない、名前倒れの半端モノ。彼らを魔物に含めることは適当ではないのではないか、と、述べる賢者もいるほどに、弱い。


 しかし、それはあくまで「魔物としては」との注釈がつく。騎士が一対一で相対せねば勝ちを拾えない豚面獣オークや騎士3人がかりで無ければまともに太刀打ち出来ないほどの剛力を誇り、魔力により表皮を強化し、鋼鉄の剣とも徒手空拳で打ち合える人喰鬼オーガと比べれば人間の胸ほどの背丈しかなく、魔力による強化もできない彼らは弱い。弱いが、灰色の表皮を持ち上げる隆起した筋肉から繰り出される一撃は決して侮れるものでなく、脆弱さを補うように集団で生活する彼らとひとたび出会えば騎士と言えど嬲り殺されることすらあり得る。基本的に少数で行動する豚面獣や人喰鬼より下手をすれば厄介なことも往々にしてあり得るのだ。醜妖精の群れに滅ぼされた村の話など、枚挙に暇がない。


 つまるところ。視界に入りきらないほどの量の醜妖精と相対してしまったこの状況は、二人にとって致命的に過ぎた。








****************






 人よりずっと恵まれた魔力量をもち、魔法師団長直々の教えを受けて。太陽に愛された娘などと持て囃されて調子に乗った。実戦の経験などなかった。でも、アタシは特別だから。王の子として生まれたから。この国を、民を守らなくちゃいけないから。竜を殺さなくちゃいけない。そう思った。出来ると思った。いっぱい勉強して訓練したもの。


 だから、醜妖精なんてものの数じゃない。アタシの覇道の障害にすらなり得ない。だってあいつらは最弱の魔物で、アタシは勝利を約束されて生まれた『太陽に愛された国』の第二王女なんだもの。




 ・・・・・・そうよね?






 猛る醜妖精共の叫喚が届く。どうしてか分からないけれど、体の芯から震えが走る。咄嗟に構えた杖の先が細かく震えているのが視界の端に映った。


 きっとこれが騎士団長の言っていた武者震いというやつなんだと、自分に言い聞かせた。直ぐに剥がれる鍍金だと、自分が1番分かっていながら。










****************






 『醜妖精』と名付けられたのも頷ける、醜い相貌を更に歪ませて吠える。唐突に現れた闖入者への警戒か、眠りを邪魔された怒りか。はたまた、丁度いい玩具を見つけた嗜虐心からくる喜びか。思い思いに打ち上げた咆哮が重なり合った不快な共鳴が木霊する。森の中奇妙にポッカリと木の一本、草の一本すら生えていない荒れ地が不協和音で満たされた。




「一旦戻って下さい。お早く!これは逃走じゃなく、戦略です!」




「分かったわよ!耳元で怒鳴るのやめなさいよね!」






 満ち満ちた騒音に押し出されるようにして、シャルフはハイディを急き立て脱出口へ駆け戻った。いくら気勢を吐いたところでまっこうから醜妖精と戦うなど愚の骨頂、強いも弱いも関係なく、数の暴力に押し流されて終いだ。正確な数も分からぬほどの大所帯、騎士団であっても飲み込まれかねない。なればこそ、二人に残された選択肢は元来た道へと戻ることしかない。しかし、そのまま城へと戻ることは出来ない。王族としての誇りが醜妖精如きを相手におめおめと逃げ帰ることを許さず、従僕たるシャルフもまた、王族の見栄っ張りに付き合うしかない。最善の手段は四方八方から集られ嬲り殺されることを防ぎ、終わりのない持久戦に持ち込むことだった。








 吠えながら迫りくる醜妖精が汚らしく黄色に濁った分厚い爪をシャルフに振るう。背負い袋が引き裂かれ、財宝の数々が零れ落ちた。澄んだ音を立てる金貨、鈍い音と共に砕けるペンダント。


 幾らか軽くなった背負い袋を放り捨て、醜妖精の注意をなんとか逸らす。真っ青な顔に脂汗を滲ませながら、転がるようにして通路の奥へ、奥へ。呪文を唱える暇もなく、暗い通路の奥へとひた走る。怪物共の追撃に、一拍の間が生まれた。




「今です!」




「分かってるわよ!」




太陽の加護を此処にアウルム・グローリア






 ハイディの呪文に呼応して、魔力が金色の光の膜となって現出しシャルフを包む。目の眩むような眩い光を一瞬放って、彼の中に溶け消えた。


 変化は劇的だった。彼の暗い闇夜のような目の中に細かい光の粒が舞う。烏と同じ黒一色の髪に一房、金髪が混じる。血管に沿って光の筋が走り、真っ暗な通路の中彼の体を象る。


 見知らぬ現象を警戒し立ち止まる醜妖精に向き直る。2人の顔に、先刻までの焦りの色は無かった。




「だらしないとこ見せんじゃないわよ」




「何とか死なないように頑張ります……」




 気弱な返答とは裏腹に、腰だめに剣を構える姿には一分の隙もない。ひょろりと長く、さして力強さを感じさせるわけではなかった手足も奇妙なまでに力強さを感じさせた。数瞬前には、ひ弱な印象を拭えなかったのに。




「全部朝飯前に屠って見せますよ、ぐらい言ったらどうなのよ!」




「そんなこと言われましても……」




 敵を前に悠長に会話を続ける2人の顔に、先ほどまでの焦りは見えない。まるで、魔法が発動した時点で勝負は決まったのだと言わんばかりに。そんな2人の態度に遂に痺れを切らしたか一斉に飛びかかる怪物共。正規に訓練を受けた騎士ですら抗えず嬲り殺されるしかない。2人の命は、風前の灯と消えるかと思えた。




 銀色の線が暗闇に走った。




 怪物達が銀の線でズレていき、バラバラになりながら地面に落ちた。真っ二つに切り開かれた断面部から真っ青な血が流れ出し通路を覆っていく。静かに広がる血の海に躊躇なく足を踏み出し、踏みにじりながら、あまりの出来事に思考を止め立ち竦む醜妖精を睨み据える。




 後から後から通路に詰め掛けてくる同族の圧に、シャルフの前まで押し出されてはまた同じように切り裂かれ斃れ伏す。鮮やかにまた一本、銀の線が暗闇に浮き上がった。


 ここに至り、怪物と恐れられる彼らはもはや、処刑を待つ罪人に過ぎなかった。首を刎ねられ胴を断たれ、数多の死体が積み上がり、狭い通路が更に窮屈になっていく。数十匹にものぼる怪物共を斬り殺してなお、シャルフの剣には血糊の一滴たりともついておらず、美しい銀の腹を煌めかせている。ハイディの呪文により著しく引き上げられた身体能力が生み出す馬鹿げた剣速が、それを可能にしていた。




「やっぱり、パパの剣持ってきて良かったでしょ!?」




「持ってるだけで寿命縮みますよこんなの……」




 国王の私室に飾られていた、稀代の名工ダリウスの手による一振り。銘を、フランマ。折れず曲がらずひび割れず。そんな願いを込め鍛え上げられた刀身は何物にも勝る圧倒的な硬度を誇る。とても値がつけられないほどの価値がある、文字通りの国宝。こんな名剣、飾っておくだけじゃあ勿体無いとはハイディの談。




 怪物染みた身体能力と国有数の名剣が合わされば、醜妖精如きはそこいらの雑草と同じ。怪物共は山ほどもいたにも関わらず、いつの間にか片手の指で数える程度にまで減ってしまっていた。




 むせ返えるような血の匂いと、金色を反射してテラテラと不気味に光る青色に染まった通路。あちらこちらに、醜妖精共だったパーツが転がっている。その中心で剣を構え、全身の血管を金に浮き上がらせるシェルフ。




 遂に恐れをなしたのだろう、ジリジリと下がっていき、1匹、また1匹と背を返して脱兎の如く逃げていく。外の光の中へと次々に消えていった。




「ハイディ様、全て討伐してございます」




「ご苦労様!これからも、アタシに仕えて勝利を捧げることを許してあげる!」




「ありがたき幸せ」






 2人、どちらともなく見つめ合って笑い合った。なにか一つかけ違えば、きっとこうなってはいなかった。だからこそ、互いを称え、幸運を寿ぐのだ。多少不恰好でも勝利は勝利。まして、2人とも初の実戦。恐怖と緊張から解放され、安堵感に包まれて。ただ、こうして無事でいられることを喜ぶのだ。




 こうして、竜殺しの偉大なる旅路、その一歩目が、刻み込まれた。




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蒼天を仰ぐ~お転婆王女と気弱な従者~ 龍二 @Ryuuji

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