Gave up

 空となった酒瓶が何本も入った半透明のゴミ袋を集積場に持って運ぶ。ご近所さんに見られないように、日の出前の暗い時間を選んでいたのに、その日はずいぶん寝坊をしてしまった。通りには小学生らの甲高い声が響いている。


 集積場から自宅の前まで戻ると、向いのお宅から島津さんが、ゴミ袋をいくつも提げて玄関から現れて、覚束ない足取りで車に近づき、トランクを開けようとしている。私は目を伏せて、自宅の玄関に入るべきだと思った。まず許せないと思った。それにゴミを他所で捨てようとしているのを見られたら、島津さんだっていよいよ立場がなくなるに決まっている。


 そもそも彼女は、私を犯罪者扱いした人間だ。ああいう人がそばにいて、自分を愛してくれる人が手の届く範囲にいない現実は、なんとひりひりしたものなのだろう。できるだけ早く、この世から足を洗いたいものだとつくづく思う。


 昼下がり、リビングのソファーに横になっていると、玄関のチャイムが鳴った。木下さんだった。


 「たまたま営業でこのあたりに来る用事があったんです。知り合いからイチゴをたくさんもらったので、おばさんにも食べてもらいたいなとも思って」


 私は話し相手が欲しかった。木下さんは濃紺のスーツ姿で、お邪魔します、と大きな声を上げてリビングに入ってきた。体調を気遣ってくれたのは何だかんだいって嬉しかった。


 「こっちのパックがおばさんの分で、こっちは海斗の分。おばさんのおうちには、お仏壇があるんでしょう?」


 一階にはリビングとダイニングキッチンのほかに和室がある。桐ダンスのうえには簡素な仏壇が置かれ、父と、息子の海斗の遺影が天井したに飾られている。


 私は木下さんを和室に案内した。和室に入ると木下さんは、あっけにとられたような表情をして、その場に立ち尽くし、ため息を漏らしてから言った。 


 「おばさん、この仏壇はいけないよ。まず小さすぎるし、タンスの上だから不安定で、ご先祖様も居心地が悪いと思っているよ、きっと。もっと大きな、がっしりした仏壇じゃないと海斗も浮かばれないよ」


 木下さんの目の奥に、怒りの炎が揺れているようにも見えた。


 「海斗がかわいそうだ、こんな仏壇じゃ」


 私は本当に、悪いことをしたような錯覚に陥った。父が他界した頃は蓄えもなく、小型で安い仏壇しか買うことができなかったのだ。


 木下さんはイチゴのパックを仏壇の前に置き、合掌ではなく揉み手をし、聞き取ることのできないほど小さな声で、念仏のようなものを唱えた。


 リビングに戻っても、仏壇の話は続いた。どのような仏壇がよくて、どういう風に設置するのが望ましいのか、木下先生はレクチャーをしてくれた。さらにスマートフォンを取り出して、仏壇メーカーのサイトにアクセスし、こういうのがいいよ、などとアドバイスをしてくれた。


 「へえ、今の仏壇ってすごいのね。高音質のスピーカーまで付いているんだ。海斗の、あの好きな音楽も流せるのね」


 目の奥に金色の輝きが見え始めた木下さんの表情が一瞬歪んだ。


 「同級生ならご存知よね」


 いつもとは違う張りつめた空気が漂う。私はもっと意地悪をしたくなった。


 「あなた仏壇売りたいだけでしょう」


 木下さんはここで黙ってしまっては、一段と自分の立場を危うくすると思ったのか、すぐに言葉を繋げた。


 「このスピーカーはね、音楽じゃなくてお経を」

 「そんなことはいいの。本当はそういうお仕事なんでしょう」

 「おばさん僕は絶対にそんなんじゃないですよ。約束しますよ」

 「じゃあ、海斗が中学時代に好きすぎて、問題行動を起こすことになった曲を当ててごらんなさいよ。あの子、放送部の子にCDとお小遣いを渡して、昼休みにこの閑静な住宅街に海斗の選んだ曲が大音量で響いたの、有名だったのよ。警察まで来て。ほらここまでヒントをあげた」


 男は黙って下を向いている。


 海斗の同級生だとずっと信じていた自分が浅はかで、少しずつ腹が立ってきた。葬儀のどさくさに紛れ込んだ、新宗教の勧誘を生業とするスカウトマンに過ぎなかったのだ。木下というのも偽名なのだろう。


 「次の約束がありますので」


 とうとう目を伏せたまま男は席を立ち、玄関に向かおうとした。


 「ちょっと待ちなさいよ、イチゴ要らないから持って行って」


 男は耳を傾けようともしなかった。その全身のシルエットから、すぐにでもその場を立ち去りたいという悲痛さが滲み出ていた。靴ベラを借りることなく、窮屈そうに革靴を履き、扉を開けて出ていった。私はイチゴパックを手に持ったまま、男の背中を追おうと戸外に出たが、男は振り返りはしない。やがて男の姿は米粒のように小さくなっている。追いかけようという気力も体力もなかった。


 呆然と立ちすくんでいると、背後から車の近づいてくる音が聞こえた。振る返ると、向いのお宅にお住まいの島津さんがハンドルを握っている。不覚にも目が合ってしまった。どこかで不法にゴミを捨てた後、漫然と車を走らせて、戻ってきたのだろう。すぐにそう直感した。


 私はそういう行為が許せなかったので、思わず彼女をにらんでしまった。すると運転席の島津さんは何度も、すみませんすみません、というように頭を下げてきたので驚いた。


 そこまで激しい謝罪を求めた訳ではない。思わず、イチゴパックを持っていない方の手のひらを彼女に向け、左右に小刻みに振って、違うの違うの、と伝えた。今度は島津さんが虚を突かれたようだった。その表情が、ちょっと可愛かった。


 運転席の後ろに、彼女が先ほど、提げていたゴミ袋が山積みになっているのがフロントガラス越しに見える。


 もしかしたら、不要な服とか靴とかをリサイクルショップに持って行って売却しようとしたのに、何らかの事情で引き取ってもらえず、止む無くそのまま戻ってきただけかもしれない。


 私は頬の筋力を緩めて会釈をし、自宅に戻った。


 イチゴのパックは、そういえば仏壇の前にもあった。捨てると仏罰にあたりそうでもある。


 向かいの島津さんにおすそ分けしようかな。いや、びっくりされるかな。そもそも私を、犯罪者扱いした人だし。おかしな人だけど、まだ許すには早いかな。


 私はイチゴのパックを冷蔵庫に入れて、二階にある海斗の部屋に久しぶりに足を運んだ。処分をためらった遺品に、海斗が買いあさったCDの山がある。


 あの子は、中学校の時から、ハウスミュージックという不良が聞きそうな音楽が好きだった。同級生にはDJになった子もいたらしい。私は全然その良さが分からなかったけど、息子がよく聞いていたのは、そうそうこれだ。The Good Menという方のGive it upという曲。海斗が放送部の子に、大音量で流してくれと頼んだ曲のなかで、近隣住民から学校にうるさいと苦情が集まって、私が先生に謝りに行く羽目になった正解の曲は、これでした。


 良い子は人生の諦めが本当に早い。アイドルに走るような、単細胞な子だったら長生きしたのかな。 


 (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

偶像の、気まぐれな鞭 フョードル・ネフスキー @DaikiSoike

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ