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はじめまして

20年以上前、大学時代は文芸部に所属していました。今考えたら慢心の至りでしたが、日本語力にはそれなりの自信があり、選んだ道が新聞記者です。試験に出たのは漢字の読み書き、英文読解、時事問題です。

運よく筆記試験を通過して、面接試験で君は何が書きたいのかと問われ「〇〇社の労務問題をテーマにしたい」と言うと、編集幹部は「そんなのはね、書きつくされているんだよ」と言われました。

頭に来たので、面接官をにらみつけて「でも改善されていないじゃないですか」と言い放つと、相手は何も言わず何やらメモをしています。

記者としての素地が備わっているのか、きっと見極めるための質問だったように今振り返ると感じます。

会社員となり、しかも文章を書いて飯を食える。それは素晴らしいことでした。

時は流れ、私は今、新聞社を退職し、記者とは全く違う仕事をしています。肉体の衰えを感じながら取材活動を続けた結果、幻聴と幻覚に苛まれるようになり、休職と復職を繰り返しました。そうこうしながら、自分が定年まで歩むであろう道を見定めた時、これはひどいな、と絶望感を覚え、転職できるうちに転職しようと考え、転職しました。

取材をし、記事を配信し、読者の反応を確かめるという行為をずっと続けてきて、それはそれで楽しい時期がありました。

しかし自分が得意分野だとされる分野が定まっていき、その世界の取材対象と自分(と所属する組織)との微妙な「関係性」を強く意識しながらのコミュニケーションは、文芸部にいたような、細やかな精神を持つ自分には、かなりの重荷となっていたのだろう、と思います。

そうはいっても今の会社は社風が合わず、あーあ、という感じで、本当、中途半端な状況の自分に嫌気が差してきます。

さて今回、創作に取り掛かろうと思ったのは、

1)書くという作業が本来の自分には、楽しい、自由を感じられることなのだというのを、確かめる作業としたい(←自己満の世界)
2)自分が記者時代に得た知見を腐らせるのは何だか勿体なく、できれば社会に還元したい(←自己満の世界に加わる後付けの理由)
3)社会への影響力がどうであれ、書き続けなければいけない、任務じみたものを漠然と感じている(←過剰な自己愛?)

という何とも恥ずかしいものであります。ちなみに日本語力は記者になった後、退化していった感覚があります。理由はいくつか思い当たりますが、ここでは深く掘り下げないでおきます。

こんな精神状態なので、仕事以外で他者と、ちゃんとしたコミュニケーションを取れるようになるまで、少々時間が掛かるのだろうと思います。

家族を抱えながら、かつ40代で転職後の落ち着かないなかでは、執筆活動に時間を割くことは物理的に難しいものがあります。(そんななかでも作品を出し続けている方には、本当に頭が下がります)

平日は可能な限り更新をしたいと思いますが、スキップせざるを得ない日がどうしても出てきてしまうことをご了承ください。

画像に選んだ切符。旭川から750円で行ける駅のそばに、私が好きな作家の記念館があります。誰でしょう???(旭川という時点で、分かる人には分かるかも)

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