狸の推しヒーロー
藤咲メア
狸の推しヒーロー
闇夜に棚引く赤いリボン。
それが彼女の、
大百足殺しで名を挙げた、私の最推しヒーロー・
「やっぱりいつ見てもかっこいいなああああ!!!」
テレビの代わりにスマホで「イマドキ!ヒーロー特集。あなたの推しヒーローは誰!?」というバラエティ番組を眺めながら、私は奇声をあげてのたうちまわる。
「妖怪のくせに、討伐者を推すなよ」
うんざりした兄の声が聞こえてきたが、無視だ、無視。
今、ちょうど始まった弓塚様のVTR。決して目を反らすわけにはいかない。網膜に焼き付けろ。
その時、いきなり下腹部にくすぐったい感触が沸き起こり、こらえきれずに私は吹き出した。
「ちょっ!今いいところなのに!ひゃうっ、もう、ひいいいいいい!あっはっはっはっは」
途端にぼんっと土ボコリの様な煙が舞い上がって、私の化けの皮が剥がれてしまう。せっかく人間の女の子に化けていたというのに。そして今いいところだったのに!
見れば、化けの皮が剥がれた衝撃で地面に落ちたスマホの画面は真っ暗、おまけにバキバキのヒビだらけ。
本来のもふもふ狸姿に戻った私は、思い切り兄貴の鼻面を前足で叩きまくった。
「馬鹿兄貴!馬鹿!死ね!弓塚様が消えた!スマホがご臨終された!」
「ひどいな!死ねはないだろ!」
私の猛攻撃に、同じく狸姿の兄が体を丸めて抗議するがもう遅いわ。
「お前があんまり夢中だから、ちょっとくすぐってみただけだって!」
「推し活を邪魔するとは!実の兄といえど万死に値するうううっ!くたばれ!」
「痛いって!!」
そうやって二人でコロコロ暗い路地裏を転がっていると、次第に怒りが消えてあの夜のことを思い出す。私が妖怪の身のくせして、妖怪退治を生業とするこの街のヒーローを推すようになったきっかけを。
*****
『大百足事変』
あれはそう呼ばれている。
平安時代、
その時、私の両親も死んだんだ。
いや、私も馬鹿兄貴も死ぬはずだった。倒壊したビルの下敷きになって、死ぬはずだったんだ。
あの夜、まだ吹けば飛ぶ毛玉のようだった私たち子狸兄妹は、両親の骸に抱かれながら、倒壊したビルの残骸の中で、生き埋めになっていた。
化け狸の子供なんで、誰も助けやしないとわかっていても、私たちは助けを求めながらわんわん泣き叫んでいた。
東京に強力な妖怪が出現するようになって、早数十年。東京には妖怪を退治するための討伐庁が敷かれ、そこに所属する戦闘員という新たな職業が誕生した。
彼らは、古の妖怪退治の豪傑たちにまつわる宝物や武具の複製品を用いて戦う。その姿は、ヒーロー映画に登場するヒーローそのもの。いつしか彼らは本当に「
こうして私たちが生き埋めになっている今も、彼らは市民を守るために戦っているのだろうし、救いの手を求める人々を助けているのだろう。
そう、彼らは人間の味方なのだ。人間の脅威となる妖怪を討伐し、人間を助ける。これまでもこれからも、彼らは何百人もの人の命を救うだろう。
じゃあ、私たちのような弱い妖怪は、誰が助けてくれるの?
やがて泣き疲れた私たちは、助けてと声をあげることもできないまま、死ぬことを待つしかできなくなった。
冷たくなった両親の体はひどく恐ろしかった。擦り寄ると、いつもふわふわしていたはずの彼らの体はゴワゴワしていて、全く別のものに思えた。私たちも、じきそうなるのだ。
数時間経ったのか、それとも数分しか経っていないのか、突然、パラパラという音と共に、冷たい夜の外気が私たち兄妹の顔にぶつかってきた。続いて、ドンッと重たいものが地面に落ちるような音がする。
「もう大丈夫だ」
続いて人間の手が伸びてきて、衰弱した私たちの体を瓦礫の中からすくい上げた。
兄は気を失っているようだったが、私は起きていた。
閉じていた目を開けた途端、私は出会ったのだ。
当時、まだ無名だった大百足退治の鬼巻と。
最高の推しと。
あの時、私たちに向けられた彼女の優しい眼差しは、完璧に網膜に焼き付いている。
*****
「あ!スマホ生き返った!!!」
兄貴を殴るのにも飽き、人間に化け直した私は、ダメ元で電源ボタンを押したスマホの画面がパッとついたのを見て、小さく拳を作った。
ロード中の輪っかがくるくる回った後、先ほどの番組が流れ始める。
奇跡的に、まだ弓塚様の特集は続いていた。どうも、過去の映像を流しているらしい。
小さなスマホの画面の中で、豊かな黒髪を赤いリボンでハーフアップに束ね、討伐者の
そして、走りながら矢を取って弓につがえ、急停止。
彼女の視線の先にあるは、真向かいの高層ビルに取り付く大百足。
この怪物は、赤黒い甲殻に覆われた長い体をビルに巻きつけ、今まさにビルをヘシ折らんとしている。
空には巡回するヘリコプター、地上には安全地帯から固唾を飲んでヒーローの戦いを見守る都民たち。
彼女は弓を引き絞り、射る。矢が放たれる。鏑矢が吠える。
その昔、源頼政が宮中に出現した
進むごとに鏑矢の音は高音に達し、やがては一本の稲妻と化す。
そして、周囲に雷鳴を轟かせて、鎌首をもたげた大百足の頭部を正確無比に貫いた。大百足の頭部は焼き焦がされ、頭部に空いた風穴から稲妻のような文様が身体中を走り抜け、その巨体をビルから引き剥がし、地へ堕とす。
そこで画面はスタジオに切り替わった。
「本当にその人が、俺たちの命の恩人なのか?」
いつの間にか馬鹿兄貴も人間に化け、私のスマホの画面を覗き込んでいた。
「だからそうだって言ってるでしょ。ま、兄貴はあの時気絶してたし、信じられないのも無理ないでしょうけど……で?どう思った?」
「何が?」
「弓塚さまの活躍をよ!!」
「え、まあ。うん、かっこいいんじゃねえの?」
「でっしょ!!!」
私は兄貴の胸ぐらを掴み掛かる勢いで迫った。
「うわびっくりした」
「兄貴にもやっとこの良さが伝わったか!さあ、どんどん布教してやるから、覚悟しなさい!!」
私の推し活は、まだまだ始まったばかりである。
狸の推しヒーロー 藤咲メア @kiki33
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