Top of the World
鱗青
Top of the World
「絶対
未明の新宿、歌舞伎町の片隅。小便の臭いの立ち昇ってきそうな汚い裏路地。場末のラーメン屋は排気ダクトからゴンゴンと豚骨スープの湯気を吐き出すので、慣れない人間には胸焼けがするだろう。
夜勤明けの警備員やホストが料理をかっこんでいる姿に囲まれたテーブルで、僕はどぎついスカジャンを痩せた肩に引っ掛けた少年の肩を叩いた。
彼の名前は
絶賛家出中だというが、あまりにも圧倒的な存在感に惹かれて彼に賭ける事にしたのだ。
彼を、僕の働く芸能事務所の看板アイドルにすると。
「…嘘だったら殺す」
生まれて
「僕の命ば懸けて誓う。名声も金も地位も、君の欲しか夢は、どがんしても手に入れさせてやるけん。任せんさい!
「胡散臭ぇ」
そう吐き捨てて
「…万一それが叶った時は、俺が酒でも奢ってやんよ」
「頼むばい!」
僕は笑った。
これが今から四年前。
クリスマスの深夜、閑散とした同じ店の同じ席。僕は手持ち無沙汰に天井から吊るしてあるTVを眺めては、すっかり冷え切った炒飯を
画面にはキラキラと
ワンツーで踊り出すバックダンサーも登場。しかし本職の彼らより
「人気出たよな、この坊主。
上京以来通い詰めて、すっかり顔馴染みとなった腕
「もう違うけん」
TVの
脚を上げる角度も、指先まで集中力の満ちた上肢の振付も、
「四年前から随分成長しよったなあ…」
訓練生になった当初、生意気で無愛想な少年はアイドルとはかけ離れていた。しかし運動神経に優れハイFを易々と出す事のできるテノールは事務所の中で彼だけだった。他の大人達や訓練生との交流にはとことん付合いが悪かったが、なぜか僕の言う事はちゃんと聞くし練習にも熱心だった。
そんな彼が周囲と衝突したり干されかける
もう遠い世界だ。
既に彼は、僕の手の届かない
四年間、眠い目を擦り朝も夜もなく走り回り、各方面に頭を下げてきた。僕には作曲のセンスもなければ作詞の才能もない。口八丁で相手を丸め込むだけの
それでもやってこれた。なぜなら僕の胸は希望に満たされていたから──
ふと戸口の磨りガラスに映った自分を見る。無駄な肉ばかりついた巨体、トドのような顔の造作。まだ三十代だのに髪は薄くスーツは疲れ切って…
「…こら捨てられるばい」
事務所で解雇通知を渡してきた女社長の台詞が甦る。
「正式に外部の
「ばってん僕は
「そういうのが邪魔だっての!
ぐうの音も出ず、
だけど。それでもやっとメジャーデビューに漕ぎ着けた。
それに無愛想で剣呑な不良少年だと見向きもしなかったのは社長自身だ。それを今更。
「イメージが大事なのはその通りよ。今度のマネは作詞作曲までできる上に高学歴のイケメンなの。きっと
「そいぎ…用済みゆうわけですか」
そこから先は、待ってましたとばかり口紅を塗ったくった唇から溢れた
まさか社長から
半ば追い出される形で机を整理してきた。それが今日。全ての努力を否定され、手塩にかけた
夢に敗れた男。それが今の僕だ。
このまま夜明けまで待って、佐賀行きの切符を取ろう。いつまでも結婚のけの字も出ない僕は親戚から「
曲を終えた
『実は担当マネジャが退職したんです』
「おっ?これ
店長の反応と同時に、僕はお冷やをがぶ飲みして席を立ち、直立不動の姿勢になる。どんな言葉でも受け止めよう、それが最後の彼への態度だ。付合いが長い分だけ
マイクを握った彼は心温まる笑顔。僕の育て上げたアイドル…
『だから俺、これで事務所卒業します』
一拍。
二拍。
三拍めにスタジオを
僕の頭は真白。
ドン、と肩パンを食らって横を見ると、そこに
「な、な、な、なんで
「俺を拾った最初の日に連れてきただろ。絶対居ると思った」
「四年前やなかか‼︎よう憶えとったな⁉︎」
「ごちゃごちゃ
腹にグーパン。いいところに入ってしまい、僕は軽く
「と、とにかく急に辞めるなんて馬鹿な真似を!すぐ社長に連絡すっけん、謝らんね!心配なら僕も一緒に土下座すっけん、どがんしてももう一度」
「
「僕の頭なんかぶっ壊れても構わん!そいよりも、
「俺の夢を勝手に決めつけんな。金だとか名声だとか地位だとか、そんなモンは
店主が気を利かせて、まるで
「なんして…」
唖然としている僕に、
「まだ俺を
なんてこった。もう終わりだと思ってたのに…
「俺のマネジャができんのは手前だけだし。言ったじゃねえか、俺を推しまくる、って。アレは嘘だったのか?」
僕は胸ぐらを掴む勢いで
「ありがとう…‼︎」
「へっ⁉︎あっ⁉︎オイ⁉︎」
「僕…こがん嬉しか事はなかよ!また一緒に活動できるんやね!君の為に頑張ってよかかね‼︎」
目頭が熱くなり、相手の表情が滲んでいく。頬を赤くしているらしい。最高の、クリスマスプレゼントだ。
「泣いてんじゃねぇぞ、三十越えてるだろ手前!」
「あ、ゴメン。暑苦しかとは嫌いやったね」
「…別に俺はそういうの…構わねえし。で?答えは?」
僕はそれこそ発情したトド
「じゃあこれからも俺の為に働けよ。降りたりなんか許さねえし。一度言ったことは死んでも守れ。それが九州男児ってモンなんだろ」
「うん、うん。君と──
「じゃあ始まりの祝杯だな…ホラ」
彼が掲げた烏龍茶のグラスに破れんばかりの勢いで乾杯する。
「
「あ、そ」
表情筋をピクつかせる
三十分後。
僕は泣き顔のままテーブルに突っ伏していた。九州男児にあるまじきながら、実はお
「勝手に盛り上がって勝手に寝落ちするし…」
そっと。
まるでキスのように。
繊細な掌で僕の毛むくじゃらの手の甲に触れる。
「もうとっくに手に入れてっし…一番欲しいモンは」
僕はというと、「嬉しかにゃあ…」と寝言を漏らすばかり。
「歌も
一旦言葉を切る。
「…いつも一方的なんだよ。俺だって手前が…こんな俺を
僕は
Top of the World 鱗青 @ringsei
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