Top of the World

鱗青

Top of the World

「絶対世界一トップのアイドルにしてみせるけん!アーシタは僕の希望の星ばい‼︎」

 未明の新宿、歌舞伎町の片隅。小便の臭いの立ち昇ってきそうな汚い裏路地。場末のラーメン屋は排気ダクトからゴンゴンと豚骨スープの湯気を吐き出すので、慣れない人間には胸焼けがするだろう。

 夜勤明けの警備員やホストが料理をかっこんでいる姿に囲まれたテーブルで、僕はどぎついスカジャンを痩せた肩に引っ掛けた少年の肩を叩いた。

 彼の名前は赤槻あかつきアーシタ。本人曰くとの事だが、南方系の肌に目立って整う顔立かおだち二筋ふたすじの銀メッシュの入った天然パーマを見れば納得だ。それを理由に半グレに因縁をつけられボコられかけていたのを、幸い体力と腕力だけは恵まれた元相撲部の僕が助け出した。

 絶賛家出中だというが、あまりにも圧倒的な存在感に惹かれて彼に賭ける事にしたのだ。

 彼を、僕の働く芸能事務所の看板アイドルにすると。

「…嘘だったら殺す」

 生まれて以来このかた誰も信じた事はない──そう雄弁に語る眼差し。

「僕の命ば懸けて誓う。名声も金も地位も、君の欲しか夢は、どがんしても手に入れさせてやるけん。任せんさい!して推して、推しまくるぜ‼︎」

「胡散臭ぇ」

 そう吐き捨ててアーシタ焼豚チャーシュー麺を啜った。僕のなけなしのポケットマネーをはたいた、最高のご馳走を。

「…万一それが叶った時は、俺が酒でも奢ってやんよ」

「頼むばい!」

 僕は笑った。アーシタは仏頂面で表情筋をピクつかせるだけ。

 これが今から四年前。

 

 クリスマスの深夜、閑散とした同じ店の同じ席。僕は手持ち無沙汰に天井から吊るしてあるTVを眺めては、すっかり冷え切った炒飯を蓮華レンゲでこねくっていた。

 画面にはキラキラと光輝こうきこぼす衣装の男性アイドル。ステージ中央にスタンバるアーシタだ。

 ワンツーで踊り出すバックダンサーも登場。しかし本職の彼らより余程よほど際立きわだった動きのキレ…

「人気出たよな、この坊主。貴方あんたがマネジャしてたんだろ?」

 上京以来通い詰めて、すっかり顔馴染みとなった腕まくりの店主の言葉に半笑いで返す。

「もう違うけん」

 TVのアーシタは照明に囲まれ、天使のような笑顔を振り撒いている。汗もなく舞い、完璧な音程ピッチで甘く爽やかなラブソングを歌い上げる。

 脚を上げる角度も、指先まで集中力の満ちた上肢の振付も、申分もうしぶんのない舞踏。歌唱と合わせ、曲に対する理解も表現も他のアイドルとは異次元の完成度。

「四年前から随分成長しよったなあ…」

 訓練生になった当初、生意気で無愛想な少年はアイドルとはかけ離れていた。しかし運動神経に優れハイFを易々と出す事のできるテノールは事務所の中で彼だけだった。他の大人達や訓練生との交流にはとことん付合いが悪かったが、なぜか僕の言う事はちゃんと聞くし練習にも熱心だった。

 そんな彼が周囲と衝突したり干されかけるたびに僕は女社長の前で床に額を擦り付けるようにして頼み込んだ。彼に活躍できる場を提供したい。僕はギャラ無しでいい。手柄など、要らない。ただこの無愛想だが性根は真っ直ぐな原石と一体となって頑張りたい。輝きを生み出すための研磨剤になれたならそれ以上は望まないから、精一杯やらせて欲しい…と。

 もう遠い世界だ。

 既に彼は、僕の手の届かないところに羽ばたいていってしまった。

 四年間、眠い目を擦り朝も夜もなく走り回り、各方面に頭を下げてきた。僕には作曲のセンスもなければ作詞の才能もない。口八丁で相手を丸め込むだけの魅力カリスマもない。無い物ねだりをして何になる。だからスーツの中を汗みどろにして靴を何足も履き潰し、私生活プライヴェートを、命を削ってきた。足りないものを埋める為に。

 それでもやってこれた。なぜなら僕の胸は希望に満たされていたから──

 ふと戸口の磨りガラスに映った自分を見る。無駄な肉ばかりついた巨体、トドのような顔の造作。まだ三十代だのに髪は薄くスーツは疲れ切って…

「…こら捨てられるばい」

 事務所で解雇通知を渡してきた女社長の台詞が甦る。

「正式に外部のPプロデューサーが付く事になったから。この際マネからスタイリストから刷新する事にしたの。大体あの子アーシタはアンタの下に居ていい器じゃないわ」

「ばってん僕はアーシタの為に」

「そういうのが邪魔だっての!一々いちいちタレントの仕事に口を出して、やれイメージをクリーンにとか歌唱うたとか舞踊ダンス稽古レッスンに精を出せとか古い古い!昭和じゃないんだから」

 ぐうの音も出ず、うつむいて拳を握り締めた。泥にまみれてなんぼ、苦労をしてなんぼ…僕の考えが時代にそぐわない事は自分でも身に染みて感じている。

 だけど。それでもやっとメジャーデビューに漕ぎ着けた。勿論もちろん頑張ったのは僕だけではない。アーシタ本人の積み重ねがあったればこそ…

 それに無愛想で剣呑な不良少年だと見向きもしなかったのは社長自身だ。それを今更。

「イメージが大事なのはその通りよ。今度のマネは作詞作曲までできる上に高学歴のイケメンなの。きっと業界人お仲間への受けもいい」

「そいぎ…用済みゆうわけですか」

 そこから先は、待ってましたとばかり口紅を塗ったくった唇から溢れた非難囂囂ひなんごうごう。「段取りが悪い」「頭の回転が遅い」「気が利かない」「汗臭い」「デブ」「田舎者」「不細工」…後の大半は単純に悪口だった。

 まさか社長からまでそんな風に思われていたなんて。精一杯やったつもりでいたけど、想いは届いていなかった…いや、そもそも僕ではダメだったのかな。

 半ば追い出される形で机を整理してきた。それが今日。全ての努力を否定され、手塩にかけたアーシタとは別れの挨拶あいさつすらできなかった。

 夢に敗れた男。それが今の僕だ。

 このまま夜明けまで待って、佐賀行きの切符を取ろう。いつまでも結婚のけの字も出ない僕は親戚から「自分わがどんより一回りもわかか子、それも男に入れ上げよるロクデナシ」と呼ばれているけれど。

 曲を終えたアーシタがトークエリアへ戻る。深夜帯には珍しい生放送で、司会が次の話題を振ろうとするのをさえぎって話し出す。

『実は担当マネジャが退職したんです』

「おっ?これ貴方あんたの事じゃねえのか?」

 店長の反応と同時に、僕はお冷やをがぶ飲みして席を立ち、直立不動の姿勢になる。どんな言葉でも受け止めよう、それが最後の彼への態度だ。付合いが長い分だけ辛辣しんらつに評されるだろうとも。

 マイクを握った彼は心温まる笑顔。僕の育て上げたアイドル…

『だから俺、これで事務所卒業します』

 一拍。

 二拍。

 三拍めにスタジオを阿鼻叫喚あびきょうかんが揺るがした。カメラをぎるAD、慌てて飛び出す新マネ、戸惑う司会を置き去りにしてアーシタは軽やかに画面から消える。

 僕の頭は真白。

 ドン、と肩パンを食らって横を見ると、そこにアーシタが。上気した顔に衣装のまま。現場から走ってきたのか。

「な、な、な、なんで此処ここに」

「俺を拾った最初の日に連れてきただろ。絶対居ると思った」

「四年前やなかか‼︎よう憶えとったな⁉︎」 

「ごちゃごちゃ五月蝿うるせえし‼︎」

 腹にグーパン。いいところに入ってしまい、僕は軽く嘔吐えづいた。慌てて汚してしまったテーブルを拭く僕を脇目に、彼はビールと烏龍茶を注文。

「と、とにかく急に辞めるなんて馬鹿な真似を!すぐ社長に連絡すっけん、謝らんね!心配なら僕も一緒に土下座すっけん、どがんしてももう一度」

手前てめえをボロ雑巾みてえに使い捨てにした奴らに頭下げるつもりかよ。どんだけお人好し?」

「僕の頭なんかぶっ壊れても構わん!そいよりも、アーシタ自分わがどんの夢ばこがんとこで捨てよったらいかん!」

「俺の夢を勝手に決めつけんな。金だとか名声だとか地位だとか、そんなモンはもとから二の次なんだよ」

 店主が気を利かせて、まるで黒子くろこのように忍びやかに二人分の飲み物をテーブルに置く。

「なんして…」

 唖然としている僕に、アーシタうそぶく。

「まだ俺を世界一トップにしてねえだろ?」

 なんてこった。もう終わりだと思ってたのに…

「俺のマネジャができんのは手前だけだし。言ったじゃねえか、俺を推しまくる、って。アレは嘘だったのか?」

 僕は胸ぐらを掴む勢いでアーシタの手を取った。節くれ立つサラミのような僕の指と違い、細く柔らかい。

「ありがとう…‼︎」

「へっ⁉︎あっ⁉︎オイ⁉︎」

「僕…こがん嬉しか事はなかよ!また一緒に活動できるんやね!君の為に頑張ってよかかね‼︎」

 目頭が熱くなり、相手の表情が滲んでいく。頬を赤くしているらしい。最高の、クリスマスプレゼントだ。

「泣いてんじゃねぇぞ、三十越えてるだろ手前!」

「あ、ゴメン。暑苦しかとは嫌いやったね」

「…別に俺はそういうの…構わねえし。で?答えは?」

 僕はそれこそ発情したトドさながらに頷く。

「じゃあこれからも俺の為に働けよ。降りたりなんか許さねえし。一度言ったことは死んでも守れ。それが九州男児ってモンなんだろ」

「うん、うん。君と──アーシタとまた一緒に頑張れるなら、なんでんしてやるばい‼︎」

「じゃあ始まりの祝杯だな…ホラ」

 彼が掲げた烏龍茶のグラスに破れんばかりの勢いで乾杯する。

美味うまかッ」

「あ、そ」

 表情筋をピクつかせるアーシタ。ステージ外にいる時の、本物の表情。たった一日離れていただけなのに、それが懐かしくてたまらず、僕は一気にビールを飲み干した。

 三十分後。

 僕は泣き顔のままテーブルに突っ伏していた。九州男児にあるまじきながら、実はお屠蘇とそですら昏倒してしまう下戸げこなのだ。

「勝手に盛り上がって勝手に寝落ちするし…」

 アーシタは呆れ顔で呟く。そして抜け目なく周囲の視線がない事を確認し。

 そっと。

 風花かざばなが草の上に落ちるように。

 まるでキスのように。

 繊細な掌で僕の毛むくじゃらの手の甲に触れる。

「もうとっくに手に入れてっし…一番欲しいモンは」

 僕はというと、「嬉しかにゃあ…」と寝言を漏らすばかり。

「歌も踊りダンスも演技も苦手だ。つか、向いてるとは思わねーし。だけど」

 一旦言葉を切る。

「…いつも一方的なんだよ。俺だって手前が…こんな俺をクソ程夢中になって推してくれてる手前が、俺の推しなんだぜ。いつか世界一トップに立っても離さねえからな、絶対」

 僕はアーシタの告白も聞かず、幸せな眠りに落ちていくのだった。

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