第6話

 梢から降り注ぐ木漏れ日が眩しい。山の緑が作り出す、空気が濃い。

「ここまでで結構です。これは明日の20時までのお金です。ホテルにあと一泊できます。レンタカーを返却し、明日朝8時58分の電車に乗れば20時までに帰れます。ありがとうございました」

 洞窟の入り口で、篠原少年は言った。そして真帆に封筒を渡すと、一人、洞窟の中へと入っていった。

 真帆は封筒の中を確認する。六万八千円。出会った時から一時間千円で計算した金額と3回分残った切符が、そこに入っていた。



 洞窟の中はひんやりと寒い。

 少年は狭い通路を迷いのない足取りで進んでいく。やがて、水の流れる音が聞こえてきた。


 それは、青い――果てしなく深い、透明な青の世界。

 鮮やかすぎる、青の深淵――。


 第一地底湖は水深35m。水中のライトに照らされて、水底の岩場に手が届きそうなほどの透明度だ。

「……こんなに美しいなんて――深淵は悪で、闇の部分の筈なのに」

 頭上には乳白色の空洞が遥か上方まで続いている。太古の昔から遥か未来へと流れる悠久の時の中で、一滴一滴形成されていく鍾乳石。

 少年は手すりから身を乗り出して、透明すぎる青に吸い込まれるように見入った。

「綺麗だね。これが、君の深淵?」

 唐突に声を掛けられて、少年は我に返った。

「真帆さん、なんで」

 真帆はそれには答えず、通路を進んでいく。あちこちにある分岐点には『立入禁止』の看板が掛かっている。

「この洞窟は公開されているのは700mくらいなのですが、実際には全長が5km以上あるという説もあるそうです」

「すごい、その未知の洞窟に潜んで、もうそこで暮らしたいよ」

「そう、思いますか?真帆さんも」

「うん。ここで誰にも知られずに、生きて、死ぬの」

 蝙蝠がその肉を食べるだろう。そうして生命は循環していく。

「誰にも知られず」

「白い骨になるまで」

 それは甘い夢物語。けれど、愚者フールを演じ続けるよりもずっといい。

 二人は第三地底湖まで来ていた。水深98m。更に、深い。

(でも、未知の洞窟に隠れ住んでも、青い地底湖は見えないんだ――)

 水中深く設置されたライトに照らされていなければ、こんなふうに青くは見えない。ひたすら冷たいだけの闇。

「――わたくしといふ現象は、仮定された有機交流電燈の、ひとつの青い照明です……」

「何?それ」

「『春と修羅』の冒頭です。――風景やみんなといつしよに、せはしくせはしく明滅しながら、いかにもたしかにともりつづける、因果交流電燈の、ひとつの青い照明です……」

 少年の目から、はたり、と涙が零れた。

 いかにも確かに灯り続ける。

 風景や、みんなと、一緒に。


「……そろそろ出ましょう、真帆さん。近くに科学館があって、大昔、洞窟内で生活していた原始人の資料が見られるらしいです」

「え!ほんとにここに住んでた人たちがいたの!?」

「興味ありません?」

「見たい見たい!行こう!」

 真帆は出口に向かって駆け出した。少年がその後を追う。

 長い通路の先に、眩しい外の光が小さく輝いている。

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青に沈む サカキヤヨイ @sakakiyayoi

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