第5話 華の国

你好こんにちはあんず。ご無沙汰してます」


 現れたのは薄桃色と白の道士服を着た女性だった。服に合わせたような桃色のふんわりした髪をゆるく流し、頭には小さなお団子を左右に二つ、赤いリボンで留めている。全体的に可愛らしい雰囲気の彼女は、杏を見るとパッと顔を輝かせた。


「あなたが倒れたと聞いたからお見舞いに来たのよ。でも元気そうで良かったわ」


 そう言って微笑む彼女は何とも可愛らしい。久しぶりの親友の来訪に、杏は思わず涙目になる。


蘭花ランファ! 会いに来てくれてありがとう!」

「あらあら、どうしたのですか杏。そんなに泣いて。あら、なんだか顔色も悪いみたいね、好好吃饭吧ちゃんとご飯食べてる?」


 涙ながらに抱きついてくる杏の背中をよしよしと撫でながら、蘭花は「あ」と声をあげる。


「そうそう、貴女の為に月餅を持ってきたのよ。白鐸はくたく、お出しして」


 そう言うと、彼女の後ろで控えていた白髪の男性が絹の包を渡してくれる。白と青の漢服を着た、美しい青年だ。少しだけ首元ではねた真っ白な髪は腰まで長く、青い髪紐で一つに結わえている。額にはなぜかひし形の小さい文様が描かれており、瞳は髪紐と同じく空色で、形の良い唇はきゅっと結ばれていた。


「月餅です。御身体お大事に」

「わぁ、ありがとう! 私これ大好きなの!」


 杏が笑顔で受け取ると、美青年も上品に微笑む。だが、杏の後ろで同じように目を輝かせていた犬神を見ると、露骨に嫌そうな顔をした。


「おい犬っころ。それは蘭様が友にあげたものだぞ。妖であるお前はかすみでも食ってろ」

「珍獣だかなんだか知らねぇがお前も似たようなもんだろうが」

「なっ……! 貴様! 尊き瑞獣ずいじゅうを珍獣扱いしおったのか!? この無礼者め!! 瑞獣は吉兆の証だ。不幸の塊みたいなお前と一緒にするなぞ言語道断!」


 白鐸がきっと白い眉毛を釣り上げて犬神を睨みつける。薄く開いた口からは鋭い牙がチラリと見えていた。威嚇の姿勢を取る白鐸に、蘭花がペチンと右手を叩いた。


「私の友人の前で失礼なことをしてはだめよ、白鐸」

「も、申し訳ございません、蘭様」


 先程の横柄な態度とは打って変わって白鐸が慌てて居住まいを正し、蘭花に礼を取る。だが、再び杏と犬神の方を見るとふんと小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「蘭様、あんず殿もご無事でしたし、早く我が国へ戻りましょう。こんなかび臭い場所は蘭様に相応しくありません」

「おいコラてめっなんつった」

「本当のことを言ったまでだ。世界一美しい蘭様には、こんな古びた神社ではなく、花々の咲き誇る宮廷がお似合いなのだ」


 再び一触即発の雰囲気になった二人を、杏と蘭花がそれぞれ引き離す。お互いにぐるるると唸り合う二人を見て、蘭花が頬に手を当てながら困ったように小首を傾げた。


「あらあら、いずれは合同で悪鬼と戦わなければならないかもしれないのに、仲が悪いだなんて先が思いやられますね」

「合同? 合同での戦闘があるの?」

「ええ、杏はご存じなくて? 和の国は島国だからまだ要請が来てないのかもしれませんね。北欧や南方の小国などは、既に国境を越えて戦線を組んでいるところもあるのですよ。華国わたしのところも大陸ゆえにまだ国を越えての戦線は組んだことがないのですが……」


そう。蘭花の言う通り、悪鬼達を鎮め葬る機関は和の国だけに留まらなかった。死者がこの世にいる以上、悪鬼はどこにでも出現しうる可能性がある。そしてまた、各国に高い霊力を持つ怪異達も存在する。この機関は和の国だけに留まらないのだ。だが、国境を超えての共同戦線というのは初めて聞く。


「彼ら妖……蘭花達の国では瑞獣と言うのよね。彼らの力を借りるのは近年始まったことだと思うのだけど、まだ彼らの力の真髄もわからないまま随分話が進んでいるのね」

「ええ。私も西の国の者から聞いた話なのですが、どうやら近頃、悪鬼達を悪事に使おうと企む輩がいるようです」

「悪事に……?」


 にわかには信じがたい話だった。減り続ける神職者に代わって妖の力を借りるという話だったはずが、このシステムはもっと大きな所で動いているらしい。


「悪鬼達の食糧は死者の霊魂。そして、非業の死を遂げたり無念の死を遂げた者など恨みの念を持つ霊魂は悪鬼の大好物です。どうやら、生贄や処刑などと称して生者を殺し、無理やり悪霊にしてから悪鬼に与える組織がいるようです。まだ噂の域を出ませんが」

「そ、そんな……。私、自分の妖達でさえまとめきれていないのに、急にそんな組織がいるなんて言われても対処できないわ」

「ゆえに我々も国境を越えて協力するのですよ。大丈夫です、味方もたくさんおりますから。私みたいにね」


 そう言って蘭花が杏の手を取り、ふわりと微笑む。頼もしい親友の言葉に心が慰められつつも、杏は得も言われぬ不安を感じていた。

 自分は彼らのことを制御できていないどころか、彼らの真の能力すら見極められていない。不安気に肩を落とす杏に、蘭花が心配そうに背中をさすってくれた。そんな二人の様子を、白鐸が感激しながら見つめている。


「嗚呼、蘭様はなんとお優しい……見目だけではなく心まで美しいのだな。さすがは俺の使える主だ。お前のと違ってな」

「どうでもいいが過保護が過ぎると気持ちが悪いぜ、白んぼ」

「貴様のような粗暴なやつに言われたくなどないわ!」

「あ? やんのか?」


 またもやバチバチと睨み合った二人の間に、突如一陣の突風が吹いた。シャリンシャリンと美しい鈴の音色も聞こえる。と同時に、床に巨大な八卦の陣が現れ、光の柱が立つ。小さな手が現れたかと思うと、中からぴょこんと小さな男の子が飛び出てきた。


「蘭さま、お迎えにきてござりますよ」

「まぁ、らん。迎えに来てくださったのですね」


 蘭花と同じように道士服を着た小さな男の子はもじもじとしながらも控えめに蘭花に抱きついた。透き通るような薄水色の髪はくるくるふわふわと流れており、大きな丸い瞳は薄い紫水晶の色だ。


「蘭さまがお戻りになられないと、僕は寂しいのですよ」

「ありがとう、あなた一人で来たの?」

「いいえ、他の者達もおります」


 そう言って鸞が光の柱を指差すと、中から二人の男が出てきた。一人は緑の髪をした穏やかな顔の男、もう一人は輝くような長い金髪を惜しげもなくなびかせた美しい男だ。

 金髪の男が首を振って絹のような長髪を揺らめかせると、紫色の瞳でちらりと紗夜を見た。


「蘭花、お前まだこんなちんちくりんと付き合ってんのか。物以類聚類は友を呼ぶ。お前、こんな野暮ったい女と付き合っているとお前まで価値を落とすぜ」

「九尾、いくらあなたと言えども私の友人に無礼は許しませんよ」

「んだとこの野郎。お嬢だってそんな見てくれは悪くないだろ」


 蘭花が注意をし、犬神が噛みつく。この任務において美醜は関係ないから何を言われても気にはならないが、犬神にさえ気を使われているのはなんとなく虚しい。だが、二人の抗議など意に介さず九尾は金髪をサラリとかきあげながらふんと鼻を鳴らした。


「美しくないものは皆虫ケラと一緒さ。蘭花くらい美しければ俺の隣にいるのを許してやるが、他のやつは俺の半径三メートルに入ることも許さない。空気が汚れる」


 そう言って九尾が紫に金糸の入ったきらびやかな長衣の袖で口元を隠す。背後でニコニコと笑顔で見守っていた緑髪の男も、ずいと前に出て蘭花の前で優しく微笑んだ。


「ご歓談中失礼いたします、蘭花様。そろそろこちらへ戻っていただけませんか? 我々では霊亀れいきを抑えつけるのも手一杯でして」

「あらまぁ麒麟きりん、それは本当? それでは早く戻らなくてはね。獬豸かいちはどうしているの?」

「彼は見張りに残してあります」

「そうね、でも一人では可哀想だわ。そろそろ戻りましょうか」

「霊亀?」


 蘭花の言葉に杏は目を丸くした。それはあの最も有名な四大瑞獣と言われる玄武げんぶのことではないか。


「蘭花、もうそんな大物を配下に入れているの?」

「ええ、先日全員で調伏しましたの。さすがに高位の瑞獣ですから、骨が折れましたね」

「えっす、すごいよ蘭花! いいなぁ」


 思わず本音がこぼれてしまい、杏は慌てて口をつぐんだ。彼女が従える瑞獣達は皆思い思いのやり方で彼女を溺愛している。蘭花がふわりと微笑んだ。


「あなたにはあなたのやり方があるのですよ、杏。それでは再见ご機嫌よう


 そう言って瑞獣達に囲まれて八卦の中に消えていく蘭花を、杏は羨ましそうに見つめていた。

 同年代で道士になった蘭花は瑞獣達に愛され、そして遥かに力の強い霊亀まで配下に置いたと言う。


(私は彼らの主には向いていないのかしら……)


 悔しさと情けなさでキュッと胸が締め付けられる。だが、杏の問いに答えてくれるものは誰もいなかった。

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古今東西妖戦記 結月 花 @hana_usagi

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