第4話 療養

 目が覚めて一番初めに見たものは見慣れた社務所の天井だった。温かい木の色がなんとも目に優しい。あんなところに染みがあるんだな……などと呑気なことを考えていたら、バタバタと廊下を走る音がしてズバンと襖が開いた。


「お嬢! 起きたのか!」


 入ってきたのは犬神だった。着替えたのか服は新調されており、体の傷も手当されている。神社の敷地内に満たされている霊気で彼も大分回復してくれたようだ。


「ええ、もう大丈夫よ。心配かけてごめんなさい。皆はいる?」

「あいつらも皆帰ってるぜ。たらふく飯食べてご機嫌だよ」

「そう、それなら良かったけど……そう言えば烏天狗はどうしてるの?」

「お嬢が調伏するってんで連れて帰ってきたよ。連れてくるか?」

「うん、ありがとう」


 杏が頼むと、犬神が頷いて部屋を出る。暫くすると、ぎゃあぎゃあと言い争う声が廊下の奥から聞こえてきた。


「だから、てめぇはもうお嬢の配下にいるんだろ! いい加減大人しくしろこの鳥ガラ!」

「ふん。人間の下につくくらいならこの場で祓ってもらった方がマシだ。人間風情がこの俺に指図するなんて不届き千万だな」


 連れてこられた烏天狗は、全身に封印の札が貼られていた。おそらくいつも杏のやり方を見ていて犬神が適当に貼ったのだろう。

 杏は布団から身を起こすと、烏天狗の前で居住まいを正した。


「急に連れてきてしまってすみません、烏天狗。ですがあなたと少しだけお話がしたいんです」

「俺は貴様らと話すことなどない。祓うならとっととしろ」


 札を貼られて身動きが取れない状況ではあるが、烏天狗は堂々としていた。プライドが高い性格なのだろう。誇り高い彼はツンとそっぽを向いたままだ。


「いえ、私はあなたを祓うつもりはありませんよ。どちらかと言いますと、あなたに協力して頂きたいと思っています」

「協力だと? お前は何を言っているんだ」

「私達神職者は悪霊の魂を喰らう悪鬼達を滅する為に手を組んでいるの。悪鬼達を狩ってもらう代わりに、あなた方妖達に人間の器と霊力を提供します。妖が霊力を高めるには大勢の人間食らうか高位の霊力者を食らう必要がありますが、逆に祓われる危険もある。私達に協力していただければ、少なくとも霊力を提供し続ける保証はするわ。どう? 悪い条件ではないと思うのですが」

「ふん、霊力を提供するだと? 人間なんぞに恵んでもらう力で生きながらえてたまるか」


 気分を害したように烏天狗が眉をひそめる。古来から存在し、強大な霊力を持つ妖達はこうやって人間を見下しているものもいる。調伏されそうになっていた所を救った妖や弱い立場のものは傘下に入ってくれるが、彼のようにプライドの高いものはなかなか首を縦に振ってくれないのだ。

 杏はひとつ大きく深呼吸をすると、静かにその金色の瞳を見つめた。


「人間が妖を使役するような関係になっていますが、私は違うと思っています。これはいわば共存ですね」

「共存だと?」

「はい。古来より私達人間は妖の存在を信じ、畏れ奉って来ました。時代は移ろい、信仰心を持つものも、妖自体もどんどんと少なくなってきているからこそ、私達は共存関係を結んでもいいと思っています。本当に高位の妖は、我々神職者よりもずっと高い霊力を持っていますからね」

「要するに、貴様らは俺達妖の霊力が欲しいだけだろ」

「うーん言い方が良くないですね。ではこうしましょう」


 そう言って杏は正面の金色の目を見つめる。


「主従関係や捕食関係ではなく、良き友になりたい……ではダメでしょうか」

「友だと? はっ、いかにも人間が言いそうなセリフだな。くだらない。悪いが話は終わりだ。さっさと俺を祓え」

「でもよ、お前そんなこと言ってっけど本当は人間のこと嫌いじゃねぇんだろ? お前の体から人間の血の匂いがしねぇからな」

「貴様! 余計なことを言うな!」


 犬神の言葉を受けて烏天狗が鋭い視線を向ける。だが彼から否定の言葉が返ってくることはなかった。

 口を結んでフイと視線をそらす烏天狗を見て杏はクスリと笑う。力を持たない人間から見ると妖は脅威的な存在だが、必ずしもすべての妖が悪い存在だとは限らないのだ。

 杏は懐から小さな白い珠を出すと、それを手のひらに乗せて烏天狗の前に差し出した。


「その小さい珠は何だ?」

「これは宝珠と言って、私達が妖に霊力を送る媒介となるものです。契約成立であれば、あなたにこちらを飲んでいただきたいのです」


 烏天狗は返事をしなかった。だが、無言でそれをつまむと静かに口に入れる。喉が微かに動いたところを見ると、要求を飲んでくれたのだろう。すると、みるみるうちに黒い毛に覆われた手足は逞しい男の腕になり、涼やかな目元の美丈夫に变化した。烏天狗が自分の両腕をまじまじと見つめる。


「ほう、これが人間の肉体というものか」

「ええ、我々の生活を知って頂くことも大事なことですから」

「ふん、悪くはない」


 指を広げたり伸ばしたりして動きを確認している烏天狗の隣で、成り行きを見守っていた犬神が大きく息を吐いた。


「お嬢、本当にこいつを仲間にするのか? 烏天狗なんて面倒くせぇし厄介者にしかならねぇぞ」

「貴様のような雑魚妖怪に言われるとは心外だな。そもそもなんだ、狛犬ではなく犬神なんぞを連れている巫女なぞ聞いたことがない。取り憑かれているの間違いではないのか?」

「あ? 何だとこの鳥ガラ」

 

 先程戦った中だからか、この二人はかなり相性が悪いようだ。バチバチと火花を散らす真っ赤な犬神と真っ黒な烏天狗の先行きは前途多難だが、頼もしい仲間が増えたには違いない。

 起き上がろうとして襟元を正していると、突如バタバタと大きな音がして襖が開いた。


「きゃーー! ちょっといい男がいるじゃなーい!」

 

 桃色の打掛を着た鵺が烏天狗に抱きつく。鵺にグイグイと頬を押し付けられて烏天狗はかなり嫌そうな顔をしているが、早くも古参の妖達に受け入れられたようで杏は微笑んだ。

 鵺が興奮するのも無理はない。人間の肉体を得た烏天狗はかなりの美男子だった。すっと通った鼻筋と美しい弧を描く柳眉。少し長めの黒髪と切れ長の金色の瞳は色っぽく、街中を歩いていれば女人がはしゃぎそうな見目だ。人間の器を得た時の見た目は生来の気質を反映するらしいが、たしかにプライドが高くクールな彼に合っている見た目だと思った。

 鵺に続いて部屋に入ってきた猫又と牛鬼も新しい妖を見て嬉しそうに口角をあげる。


「ははっ。これはこれは、なかなかの美男子が来たな。どれ、酒は飲めるか? 人間の肉体を得てから色々と飲み食いはしたが、これが滅法上手くてな、付き合え」

「お兄ちゃん僕とも遊んでよー!」

「うわっなんだ貴様ら! ええいベタベタさわるな気持ち悪い!」

「ちょっとー! 彼は私のものよ! あんた達自重しなさいよ!」

「ははは、先に言っておくが烏天狗殿、こやつはれっきとした男だからな」

「はぁ!? 男!? そのナリで!? 一体何なんだこいつらは!」


 鵺にベタベタと体を触られていた烏天狗の顔がサッと青くなる。ちゃっかり烏天狗の服のあわせから手を突っ込んで肌を触ろうとしていた鵺をベリッと引きはがして捨てると、鵺が「いやーん」と言いながら露骨に腰をくねらせた。


「あらもしかして烏天狗はこっちの方が好み? もうしょうがないわねぇ、今回は特別サービスよ♡」


 言うなり鵺がツルリと顔を撫でる。白い手の下から現れたのは、いつもの化粧をした女性の顔ではなく中性的な顔をした美形の男性の顔だった。長いまつげに囲われた若草色の瞳は切れ長で、薄い唇が妖艶に孤を描く。


「お望みとあらば、こちらの姿でお相手をさせていただくよ、烏ちゃん」

「な、なんだ!? 姿が変わっただと? おい、というかさり気なく床に押し倒すな!  ええい汚い手で俺に触るんじゃない!」

「あ、烏の兄ちゃん。言っておくけど鵺は男モードになると普段の三倍は男に積極的になるから要注意だよ。犬神もよく狙われてるし」

「ふふふ、烏ちゃんが良いなら、僕はいつでもどこでもお相手するよ。何なら犬神と交えて三人でも」

「何の話だ!? というかいい加減貴様は俺の上から降りろ!!」


 折角の美丈夫も、濃い彼らの中にいては型なしだ。だがじきになれるだろうと杏はひとまず胸を撫で下ろした。

 すっかりいつもの日常が戻ってきたのを確認した杏が起き上がろうとすると、またドタドタと音がしていつの間にかいなくなっていた犬神がまた部屋に顔を出した。


「お嬢、来客だ」

「来客? 誰ですか」

の国の道士だって言ってるぞ」

「わかりました。今行きます」

 

 二つ返事で了承すると、杏は手早く身支度を整えて部屋を出ていった。

 

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