二人の料理

南雲 皋

◆◇◆

 その娘を拾ったのは、もう五年も前のことだった。

 木の実やキノコを採りながら、いつもよりも森の奥に入り込んでしまった私の目の前で、崖の上から転がり落ちてきたのである。

 持っていたカゴを放り投げて少女の身体を受け止めに走り、擦り傷だらけになりながらも何とか死なせずに済んだのは奇跡と言っていいだろう。


 崖から転がり落ちる以前に満身創痍であった少女は、拾ってから二週間ほど目を覚さなかった。

 一番近い街から呼んだ医者がヤブだったのかと憤りもしたが、彼以外の医者を呼ぼうとすれば行きと帰りで何日かかるか分からない。

 教わった方法で看病を続け、ようやく目を覚ました時、少女は何もかもを失っていた。


 初めは、私が怖くて話せないのかと思った。

 しかし、どうやらそうではないことに気付く。

 少女はまるで生まれたての赤子のようだった。


 記憶も、言葉も、知識も、何もかもを失っていた。


 見た目は七つほどの少女であるのに、中身は空っぽ。

 そんな少女の面倒を見るのは大変なことだった。

 なにせ自分で自由に行動できるものだから、兎にも角にも何が危険であるかを教え込まねばならなかった。

 私は狩りに使っていた銃火器の類と、捌くために使っていた刃物の類を、鍵のかかる物置に全て収納した。

 腰に下げているナイフだけが、唯一の危険なものである。


 家に一人で置いておくわけにもいかず、常に共に行動するようになった。

 そのために狩りはしばらくできず、森の恵みと、家の周辺で育てていた作物のみで生活することになる。

 越冬のための干し肉の準備を、いつになく早く済ませていたのも何かの思し召しなのだろうか。

 少女と自分、二人分の命を繋ぐことに精一杯のまま、年月はあっという間に過ぎ去っていた。


「オルロ、おはよう」

「おはよう、イハヤ」


 イハヤという名前は私が付けた。

 結局少女はいつまで経っても何も思い出せなかったので、初めて発語した三文字を並べて名前にしてやったのだ。

 そんな適当な名付けであったのに、少女は私がイハヤと呼ぶと嬉しそうに笑う。

 その笑顔を可愛らしいと思えるくらいには、私もまだ人間であったらしい。


 イハヤは何も思い出さなかったが、食の好みがどうにも隣国の人間であるように思えた。

 私が好む味付けと、イハヤが好む味付けには差異があった。


「これは、私の家に代々伝わる料理だ。私の家は兄が継いだから、私にはオルロという名前とこの料理だけが残された」


 他の何も、与えられなかった。

 兄が成人した日、私は裸同然の格好で家を出された。

 それからしばらく歩き続けてこの山に入り、森の奥の廃屋で一夜を明かした。

 どこにも行く気力がなかったので廃屋を手直しし、そこで暮らすようになった。

 蓄えもある程度できるようになった頃に近くに街があることを知り、多少の物々交換などをするようになった。

 そこに転がってきたのがイハヤである。


 イハヤは私の差し出した皿から木の匙で掬って口に運び、もぐもぐと咀嚼して飲み込んだ。


「どうだ? 不味いか?」

「まずくない。おいしくもないけど」

「そうか」

「これ、オルロのりょーり? イハヤのりょーりある?」

「そうだな、お前の料理もあるかもな」

「イハヤのりょーり、とろとろで、もちもちで、なかにつぶつぶあまいの」


 それは、初めてイハヤが口にした記憶の断片だった。

 私はそんな料理など作ったことはない。

 イハヤは失った記憶の中で、その料理を口にしたのだ。


(だからどうしたと、昔の私なら思ったのだろうな)


 私はイハヤを連れ、いつものように採集をした。

 最近は小動物に限って狩りをするようにもなった。

 もうイハヤも、私の邪魔をしないくらいに気配の消し方が上手くなっていた。


「うさぎさん、ありがとう」

「ありがとう」


 血抜きの前に、二人で黙祷を捧げる。

 生きていたモノを、肉にして自らの糧とすることも、イハヤはきちんと理解していた。


 家に帰ってから、普段はしないことをしてみる。

 もちもち、というのは、どうすれば作れるのだろう。


 イハヤが私と食の好みが違うと気付いてから、私は一冊の本を所持していた。

 大体年に一度だけこの家に足を運んでくれる旅の商人に頼んで調達してもらった、隣国の料理本である。

 兄の体調が芳しくなかった頃に叩き込まれた知識のおかげで、隣国の本であってもある程度は理解できた。


 イハヤの好みの味付けを覚えてからはめっきり開かなくなっていたそれを、ひっぱりだして読んでみる。

 “クーグーもち”という単語が目に入り、頁をめくる手が止まった。


 ホトラスの実を蒸し、潰しながらジョーランの汁を混ぜて練る。

 カッホの房から取り出した豆を軽く炒った後、リィグィ水とルルーの蜜を入れて煮込み、水気を飛ばしたものを、練ったものに包み、焼く。


「イハヤ、お前の料理かもしれないものがあったぞ。作ってみよう」

「つくる!」


 練った生地を机の上に置き、やる気に溢れたイハヤを補助しながら鍋の中身を混ぜていく。

 水気が飛んだところで木ベラに付いたそれを味見したイハヤは、少し困ったような表情を浮かべて私を見た。


「どうした」

「あじ、ちがうみたい」

「どう違うんだ?」

「あのね、もうちょっとぎゅーってあまいの」

「ふむ……」


 隣国では、あまり甘味というものが好まれない傾向にあるようだった。

 料理本に載っているお菓子の類も、材料を見るに甘味がかなり抑えられているようだった。

 だとすると、イハヤは隣国と我が国との国境周辺に住んでいたのかもしれなかった。


 私はボッカロロの蜜を棚から取り出し、少しずつ鍋の中身に混ぜていった。

 数回蜜を追加したところで、イハヤが目を輝かせて私を見る。


「これか」

「これだ!」

「では包むとしよう」

「うん!」


 二人で鍋の中身を生地に包み、焼き上げる。

 出来立てのそれをオイの葉で包んで手に持つと、我慢できないといった風にイハヤがかぶりついた。


「あつ!」

「だろうよ。焦らなくともたくさんあるんだ、ゆっくり食べなさい」

「あい……」


 ふうふうと息を吹きかけて冷まし、ようやくかぶりついたイハヤは、伸びる生地を嬉しそうに噛み切り、笑顔のまま咀嚼して飲み込んだ。


「これ! イハヤのりょーり!」

「ああ、良かったな。これからはいつでも食べられるぞ」

「いっしょにつくる?」

「食べたくなったらな」

「まいにち!」

「それは……飽きないのか?」

「あきない!」

「まぁ、いいか」


 私はもちを摘んで口に放り込んだ。

 未だ熱い中身が口の中に広がり、生地と馴染む。


(この甘さは、私好みでもあるな)


 美味しそうにもちを頬張るイハヤを見ながら、私たちの料理を作るのも悪くないかも知れないと、そう思った。

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