怒れる私と暴れる将軍
久里 琳
上様推し
モスグリーンの、無地のロングスカート。ケープの揺れが私のテーブルの手前で止まった。
「どうしたの、めずらしい」
かるくあかるい声が降ってきた。なんにも拘泥することのなさそうな、鴻毛よりもかるい声。
私は思考を中断して、スカートの主を見あげた。
「かわいい店ね。通っちゃおっかな」
言いながら、私のむかいの椅子をひく。
「ふたりだけで会うなんて、もしかして初めてじゃない? いっつも太郎と、るみちゃんがついてくるもんねえ。るみちゃん元気? 今日は太郎はどしたの? けんかでもした?」
太郎は夫で、るみは娘だ。このふたりが私についてくるんじゃない。莉子さんと会うときどっちかというと主役はこのふたりで、おまけでついてくるのは私の方だった。私があいまいに首をふると、莉子さんは自分ばっかりしゃべってることに気づいて、いけなぁいって目をしてちょっと黙った。
けんかしたっていうのは間違っていない。もっともけんかなんてしょっちゅうで、いまさら騒ぐことでもないんだけどね。
怒りのあまり娘を置いて家を出て、とはいうものの行くあてもないから喫茶店へとしけこんで、はらだちまぎれに莉子さんを呼び出したってわけだ。
けんかの発端は一週間前、憧れの京都旅行のときに遡る。
私はためいきついて、莉子さんへ恥を晒す覚悟をきめた。
京都
近くに広隆寺ってのがあってさ。ここの半跏思惟弥勒菩薩がそりゃもう優美で神々しいんだ。太秦に来たなら、これを見なきゃ。
何を言ってるんだろうこのひとは。そう思った私はなにか間違っていただろうか?
いっしゅん気の遠くなった私が意識をとりもどし猛然と反論すると、彼は「じゃあ午後は別行動するか」と言った。しれっと言いやがった。
わなわな全身をふるわせながら、せっかく来たんだから町娘のコスプレはしたいし撮影シーンも見たいしもし俳優さんなんかに出会ったら握手とかサインとか一緒に写真とかアレとかコレとか、そんなときあんたが荷物持たないでだれが持つってのよこのバカ、それにるみも放っとけないし、それを、それをあんた、別行動だあ? おもわず声を高くした私に、周りの客たちの目が集中した。もしかしたらその日私たちは映画村でいちばんおもしろい見ものだったかもしれない。
今から思えばそこで旦那を荷物持ち要員あつかいしたのは失言だった。それはたしかに失礼な話かもしれないけれど、憧れの地に来た妻のわがままを一日ぐらい許してくれたって
……
さて、場面を京都は太秦に戻して――太郎は殊勝なふりで、荷物はぜんぶ引き受けると請け合った。
るみもパパといっしょに来るかい? 仏さまを見に行こうよ。
つづけて娘を誘ったが、七歳児が仏像見てよろこぶと本気で思ってるなら精密検査を受けた方がいい。そのまま脳髄ぜんぶ取り替えてもらってしまえ。
案の定るみは尻ごみした。お侍やお姫さまが闊歩する
しかたないな。パパはひとりで行くよ。
そして娘を私に託したのだ。
明らかに計画的犯行である。筋書きどおり、まんまと娘を置いて去ってしまったのである。弥勒だか助六だか知らんがやたら年代物の、木彫りの仏さまを見るために。
おのれ越前屋。おぬしワルにもほどがある。私は怒りでえええいそこへなおれ、成敗してくれる……と心中沸騰していたが、つづけて頭のなかでなんども太郎のやつめを斬りすててやったところでちょっと気はおさまって、そのあと映画村のなかを遊びまわるうちすっかり機嫌を直したのだった。
それが先週末の顛末。
そして今日である。
朝から私は「暴れん〇将軍」と大福餅をふたつながらに味わい
な・の・に、だ。
わざわざ太郎は言ったのである。
「あー、こいつ、カツラだってまるわかり」
いやあ、やっぱ映画村でカツラつけてる人たち見たから目が肥えたんだろね、すぐわかっちゃったよ。まあふた昔前のドラマだし? 技術も未熟だったのかもなあ。したり顔で言いやがったのだ。
私の怒りは爆発した。
だいたいこいつは、やれ吉宗のとき江戸城天守閣はなかっただの、やれ吉宗の独身設定はおかしいだの、なにかと以前から細かい難癖つけてくるのだ。こちとらリアリティなんて端っから求めちゃいねぇんだよ、時代劇はスカっと爽快、わかりやすく面白えってのが命なんだよ。だいたい火消しのめ組に居候の新さんって時点で史実なんざ思いっきり此の世の涯まで蹴っとばして知らんぷりをきめこんでるってのに、なぁに言ってやがんでぃこんこんちきっ。
それにだ、映画村に半日っきゃ居なかったあんたが、えっらそうにほざくんじゃねぇっ。
悪代官はあわあわ口を動かしやがったが、その罪……断じて許さん。
そうして私は、家を飛び出したのだった。
さっきから莉子さんは笑いをこらえている。
うらめしげに私が睨むとごめんごめんと手を振って、太郎らしいや、とやっぱり笑った。
こんなとき私のきもちは複雑だ。彼女は太郎の大学時代の同級生。ふたりの間には私より長い歴史がある。
気性のさっぱりした莉子さんはなぜか太郎と気が合ったようで、卒業後もずっと仲がいい。妻としてはすこし気になるところだ。むかし恋人同士だったりして? 以前ストレートに訊ねた私に、莉子さんはまるで話にならないって顔で否定した。
ないない、ぜんぜんあり得ないよう、って笑って否定したあと妻の私にそれも失礼かって気づいたのかいやまあいい男だとは思うのよ? と一応フォローした。そして当の太郎の頭をぼんぼん叩いて、でもねえ、こいつ石頭でしょ、こんなのと四六時中顔つき合わせてたら毎日衝突しまくりにきまってるわ。
その石頭と私結婚して、現に四六時中いっしょなんですけど。とちょっとむっとした私の心中を知ってか知らずか、莉子さんはあっけらかんと平気にあかるく笑ったのだった。
莉子さんはいいひとだし好きではあるのだが、私はちょっと苦手というか、負い目というとヘンだけど話すときは気合を入れなきゃっていうか、とにかく会うとなると私は平常心ではいられないのだった。
それは嫉妬なのかもしれない。ひとつには太郎のことを私よりよほど理解していること。もうひとつは、彼女が美人なうえに、完璧キャリアウーマンだってこと。片や私はスーパーのパートのレジ打ちなのだ。負けてない、負けじゃないぞ、私は結婚して子供もいる、対して彼女は独身だ……と呪文のように念じて、かろうじて私はプライド前線崩壊を免れている。
だがそれさえも、莉子さんがその気になったらあっさり太郎を奪われちゃいそう。想像して私は戦慄した。太郎をうしなうことよりも、唯一彼女に勝てる要素の「主婦」という看板をうしなうことに。
「だから、奪わないってば」
莉子さんはまったくかるく言う。男に縛られたくないもん。相手するならそういう余裕と度量のある男じゃなきゃ
なおも私が疑いの目で見てると、莉子さんはしかたないなあ、と息をついて顔を寄せてきた。
じゃあ、とっときの秘密を教えてあげる。
時代劇ね、由紀ちゃんの趣味にしかたなしにつきあってるふりして、あいつじつは好きなのよ。
時代劇が?
そう、時代劇が。ほらなんってったっけ、「大〇越前」って。知ってる?
知ってるもなにも、吉宗様の腹心じゃないか。まあドラマとしては地味で、私の趣味じゃないけれど。私は時代劇のなにが好きって、派手な剣劇とわかりやすい勧善懲悪が最大の魅力と思っているので、
……あれ? 似たようなことむかし言った気がするなあ。相手は、たしか……太郎だ!
そおゆうことか、と不覚にも太郎をかわいいと思ってしまった。
まったく、好きなら好きと言ったらいいのに。ちょっと私がけなしたからって好きなの隠して、それで私の上様にねちねちケチつけ、ずっと意趣返しをしてたってわけかい。ああもお、器がちっさすぎて、いっそかわいいってもんだよ。おまえさん、一本つけとくれ。うん、意味不明。
「私、帰る」
ばっと立ち上がった私を見あげて、莉子さんはたのしそうに笑った。うん、がんばってね。太郎なんかにえらそうにさせちゃだめよ。
かなわないなあ、莉子さんには。心のなかで言いながら、家路を急ぐ私はにやにや笑いが止まらなかった。
おうおう、今日は「大〇越前」をぶっ通しでリビングに流してやろうじゃねぇか。まったくあたしも無粋だったよ、
路に舞うのは桜吹雪。やたらお天道さまが眩しいや。
(了)
怒れる私と暴れる将軍 久里 琳 @KRN4
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます