推しは私と世界を救う

@ihcikuYoK

推しは私と世界を救う

***


 漫画やアニメは、子供が観るものだと思っていた。

 ゲームは、子供がやるものだと思っていた。

 そして、演劇は文化人ぶった人が観るものだと思っていた。


 なのに何故、私はこんなところに来てしまったのかーー……。

 周りの熱気に押され、頬が熱を持ち胸が高揚していくのを感じていた。


 遡ること数年前、私は人生に疲れていた。

 人生だと少し大げさに言い過ぎなのかもしれない。ただ、生きることに疲れていたのだ。

 生きるために仕事をし、生きていくために貯金をした。されど貯めたお金を使う時間も、時間やお金を費やしたいと思えるほどの趣味も、私にはなにもなかった。


 とある日、ふと思ったのだ。

 ……ーー私、なんのために生きてるんだろう?


 それは恐ろしい気づきだった。

 いままで仕方がないと思えていた残業も、流せていたはずの誰かからの八つ当たりも、日々のなにもかもが、急に重く苦しくなった。

 そのうち、夜はまったく眠れなくなり、昼夜関係なく理由もなく突然涙が零れるようになり、眠れないのに何故か布団から起き上がることもできなくなっていった。


 なんとか会社に欠席の連絡を入れていくうちに、労務から病院に行くことを勧められ、医者からSNSでよく見かける診断名をつけられた。現実味のないまま、あれよあれよと私は休職することになった。


 朝起き上がれなくてもよくなったことに対し安堵を覚えたのと同時に、私を襲ったのは同僚たちへの罪悪感や世間や親への申し訳なさ。

 あと、自分が今まで歩いてきたはずの、”普通”のレールから外れてしまうことへの漠然とした不安だった。

 なにかしないとという思いと、なにもしてはいけないと言われた事実に苛まれ、どうしたらいいのかわからず毎日ただ横になって過ごした。

 何もできないのに胸の内だけは異様に焦り、常に何かがこわかった。


「会いに来たよー!」

インターフォンが鳴り、這うようにして玄関の戸を開けるとそんな能天気な声がした。

「……姉さん、なにしに来たの」

なにその言い方ーと言いながら、姉はズカズカと中へと上がり込んできた。

 海外へ向かうかのような旅行トランクを2つ引き、大袈裟なバッグまで背負っていた。

「……なに、その荷物」

「お父さんお母さんに、あんたの様子見てきてって言われてさー。ほら、あたし在宅仕事だしどこでもできるからさ、一緒に住むのが早いかなって」

 頭が痛かった。私は姉が苦手なのだ。一緒に住むだなんて冗談じゃない。

「やめてよ、別に平気なんだから……」

「なに言ってんの、あたしを追い返す元気もないんでしょ」

面と向かって言われると、思ったよりダメージがあった。その程度のこともできないのだ。

「あたし、いつもお母さんに頼りっぱなしでしょ。ついでにあんたも家事くらい出来るようになりなさいって言われちゃってさ。こっちにいる間はあたしが一通りやるから、生活のことはお姉ちゃんに任せときな」

 お母さん……私の家を姉さんの練習台にしないでよ……。

 胸を張った姉を見て、もはや溜め息も出なかった。姉はかなり大雑把なのだ。ロクにやったことのない家事を、まともにこなせるとは思えなかった。


 案の定、姉は「お肉は火が通れば食べられる!」だの「服に多少シワがあるくらいなら着てるうちに伸びる!」だの「ペットボトルと瓶以外は気合で燃える!」と、実に雑な家事を行いだした。

 されど私にはそれをどうこう言う気力がなく、なされるがまま火の通ったご飯を食べ、ややシワのよった服を着て、たぶん燃えるであろうゴミをゴミ袋に入れて過ごした。


 姉は、私の予想の6割増しで大雑把だった。

 いまはこんな風だが、昔は真面目な人だった。地味で物静かで控えめで。

 だがその控えめさは先生からウケがよく、よく褒められていたから、私は姉のことをどこか誇らしく思っていた。


 されどある時、中高で新しくできた友達の影響で、姉は骨の髄までオタクに染まった。

 朝夜問わずテレビアニメをリアルタイムで観ることはもちろん、それを何故か必ず録画していつでも見られるようにした。なにかが食べ物とコラボするたび、お小遣いやお年玉をはたいて買い漁り、お金が足りなくなったら今度は熱心にバイトを始め、鞄にはキャラクターの描かれたバッヂがズラリと並び、なんだそれはと先生に目をつけられていた。

 あまりの変わりように親や教師は苦言を呈したが、珍しいことに姉は反抗の言葉を述べた。


「なにがいけないの? 別に誰にも迷惑かけてないじゃない。

 やっと楽しめることを見つけたのに、毎日楽しく過ごしてるのに、勝手に私を評価しないでよ」


 姉は、それからずっと楽しそうにオタク道をひた走っているのであった。

「……ねぇ、もしかしてあの荷物」

「わかる~? アニメのBlu-rayと漫画とゲーム! みる?」

いいよそんなの……と私は項垂れた。

 まさか私の家でもオタク活動をする気なのだろうか、と思っていたら、姉は仕事をしながら一日中Blu-rayを見ていた。在宅仕事に変えたのも「だって、観る時間がもっとほしかったから」とのたまった。

 社会人のセリフとは思えなかった。信じられない。


 音が煩わしくイライラしたが、苦手な姉と二人でいても話すことなんてなかったので、TVがついている方が都合がよかった。

 だいたいは耳を通りすぎるだけの煩わしい雑音で、ロクに観もしていなかったが、ある時、ふいに目を奪われた。


 堂々の最終回である。

 なぜかストーリーが頭に入っている自分にびっくりしていた。セリフの端々が私の脳に残っていたらしい。

 食い入るように見つめている姉の斜め後ろに座り、大団円の画面を眺めた。


 ーーあぁ。なんだろうこの感覚は。

 絶望や恐怖、また無意識に流れていた涙とは、まったく違うものがあふれていた。堪えきれなくなった私の嗚咽に気付き、振り向いた姉の顔はベチョベチョだった。

「わかる! わかるよ~~! 受け止めきれないよね~~!!」


 ……ーーそうか。受け止めきれなかったのか、私は。


 二人で箱ティッシュを使い切り、涙と鼻水を拭ったあと、居心地の悪い思いをしている私に、姉は重々しく口を開いた。

「これ、原作は漫画なんだ。同人誌もいっぱいあるよ。読む?」

「……。……? どうじんしってなに……?」

「ごめん、今のナシ。それは最後だった」

姉は離席し、初日に持ってきたトランクを引っ張ってきて、目の前にズラリと漫画を並べた。そしてとんでもない量の薄い冊子を傍らに重ね置くと、鞄の底からなにか取り出して私の前に並べた。

「ゲームも出てる。本編続編の2作品ね。やる?」

「……。……ゲームほとんどやったことない……」

姉は破顔一笑した。

「なんだー、そんなこと? 平気平気! 教えたげる! これ難易度変えられるし!」

あとで説明するから! と言った姉の目は輝いていた。

「それでさ! いまのアニメ、今度ついに舞台化するんだ! 一緒に観に行こ!」

「ぶ、舞台? いいよ私は、姉さん一人で行きなよ」

「一人でも楽しいけどさ、一緒に観たら感想言い合えて楽しいでしょ!」

「なら、なおさら私はそういうのには不向きでしょ……。それに、魔法とかあるのに舞台化なんてどうやって、」

みなまで聴かなかった。

「それを観に行くんでしょうが~~! どうなると思う?? あたし今からすっごい楽しみでさ~~!!」


 そして連れてこられたのが、2.5次元舞台である。久々の電車や人ゴミでクラクラした。姉がいなければ会場にはとてもたどり着けなかったに違いない。

(2.5次元ってなに……?)

と思ったが、観てしまえば確かに2.5としかいいようがなかった。

 アニメや漫画とは違う次元、でも私たちと同じとも思えない、まさしく間くらいの感覚だ。

 私のような素人目にもわかる。あの現実とかけ離れた世界観を、なんとか実写として再現しよう、という原作への敬意と熱意、そして関わる人々の本気度合い。

 そして役者さんの現実離れしたスタイルの良さ、顔の小ささ、演技力。

 なのにあのパワフルな動き、さらに歌い踊り、観に来た我々に対してサービス精神を見せることも忘れない(姉曰く、ファンサというらしい)。


 ーー、なにこれ……。すっごい……。


 大人なのに、知恵熱が出そうだった。

 たくさんのエネルギーの塊に、顔からモロにぶつかったような気分だった。


 呆然としながら、姉に引っ張られグッズやらなんやらを購入し、家に帰ってさっそくそれらを広げあれこれと感想を言い合った。

 完成度すごかったね、かわいいしカッコよかったねと姉は何度も述べ、喜んでいた。

 口からポロリと溢れた。

「……お姉ちゃん」

ん? とこちらを見もせず、姉は今日の戦利品を眺めていた。

「……。あんなにすごいものがあるんだね……」

「おっ、知らなかったー?」

言葉に素直に頷くと、知れてよかったじゃん! と姉は笑った。

「新しい作品だってこれからどんどん出てくるんだよ、すごいよね」

楽しみだねー! と言われ、勢いに押され頷いた。

 姉の言葉を反芻した。そっか、そうなのかも。


「……うん。楽しみ」


 いつも通り、黙々と晩御飯を食べた。

 食後は飲み物を片手に、テレビ前の定位置に固まったままの姉の横へと座り、リアルタイムでアニメを見た。

 いつの間にかエンディング曲も覚えてしまっていた。姉は歌がうまいのだ、カラオケに誘っても楽しいかもしれない。


 エンディングが終わると劇場版の製作告知が流れ、私たちは顔を見合わせ歓声を上げた。


Fin.

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