どぶんと落ちて、底まで沈む

ささやか

そして失う

 二人女子会ということで久しぶりに会った美加はアイドルにハマっていた。大学から八年あまりの付き合いになるが、彼女がそういうものに興味を持つのは初めてのことだった。

「アイドルってジャニーズ的な?」と問うと、美加は「それもアイドルだけどprofondumプロフォンドゥムは女性のグループだからどっちかというと乃木坂的な感じ」と答え、公式ホームページを開いたスマートフォンを水戸黄門の印籠の如く私へ突きつける。藍色を基調にしたシンプルなデザインは、フリフリとピンクに可愛い感じが女性アイドルなんだろうと思っていた私にとっていささか予想外だった。

「なんかかっこいいね」と素直に感想を伝えると、「そうなのカッコイイの!」と美加の声に熱が入り、「でもカッコイイだけじゃなくてアイドルだから可愛いし、やっぱり元気がもらえるの。最近じゃ定期的な動画配信もしてるから曲やライブからじゃなくてそっから入るのもありだよ!」とまくしたてられた。いつもの美加と勢いが違う。私はタブレット端末でカルーアミルクを注文した。

 「なんか特に好きな子とかいるの?」美加がそこまで夢中になっている自体にだんだんと興味が湧いてくる。「推しってやつ?」

 美加は「いるよ、ささりん!」と再度スマートフォンを印籠の如く突き付け、「この子! 真壁佐々里ちゃん!」と彼女の推しであるささりんを見せてくれた。ささりんは確かにアイドルになるだけの器量があるような気がした。可愛いのだろう。よくできている。

「ささりんは、ファンのすぐそばにいるような近さと透明感のある可愛さが最高なんだよ!」と美加が猛プッシュするので、私は「ふーん」と頷いてから店員が持ってきたカルーアミルクを受け取った。飲む。甘い。美加のグラスを確認する。まだそんなに飲んでいないし、アルコール度数も強くない。美加はまだ素面だ。

「じゃあよくわからんけど、ささりんって人気あるの?」私が尋ねると、profondumの話になってから初めて美加の表情が曇る。「メンバーの中ではあんまり……。だからこれからみんながささりんの魅力に気づくまで、もっともっと応援していかなきゃならないんだよ!」

 美加が勇ましく決意宣言をする。私はがんばれと思ったので「がんばれ」と言った。

 美香と会ってから数日後くらいにふと思い立ち、profondumの公式MVを視聴してみる。あれほど熱心に勧められた以上、一度はチェックしてあげるのが友情というものだし、本当に自分も好きになるかもしれない。

 スタイリッシュだった公式サイトの印象と比べると、私が聞いた曲はごく普通のアイドルっぽいさわやかな曲だった。適当な店で流れていそうだ。悪くない。ついでに真壁佐々里を検索してみる。Wikipediaがトップに出てきた。読んでみる。単なる情報の羅列で特に面白いわけではなかった。配信動画も少しだけ視聴してみるがメンバーがきゃぴきゃぴと喋っているだけで特に詳しくない私はすぐ飽きた。これなら曲を聴いている方がよっぽどいい。

 それからは特にprofondumプロフォンドゥムを追っていたわけではなかったので、美加に教えられるまで全く知らなかったのだが、彼女らささりんファンの苛烈な応援もあってか、profondum全体はもちろんのこと、ささりんの人気も徐々に高まっていき、ライブではそこそこいい位置でパフォーマンスできるようになったらしい。これも知らなかったが、そもそも人気がないとライブにすらろくに出れないシステムらしい。そのシステムがもはやグランギニョルだ。

 ある日、美加から今日profondumのライブが近くであるので一緒に行かないかと唐突に誘われる。チケットが一枚余ったのだという。余らせるのはもったいない。暇を持て余していた私は美加と一緒にprofondumのライブに参加することにした。ライブに行くのは久しぶりだったので、会場前で美加を待つ私の胸は意外と期待で膨らんでいた。

 やがて美加が来る。ライブの際に熱心なファンは推しているメンバーのタオルやペンライトを用意しているらしく、もちろん美加もささりんの物を用意していた。というか私の分まであった。あって困るものではないのでありがたく借りておく。

「今日は全国ツアーの終盤だからパフォーマンスのクオリティは最初の方より上がってきてるし、移動日とかもあって少し時間が空いたからメンバーの体力も大丈夫だと思う。今日のライブは当たりだと思うよ!」と美加が説明してくれるので、私は「最初よりって他のライブも行ったの?」と尋ねた。

 すると美加はきょとんとした顔で「ほぼ全部行ったよ当たり前じゃん」と言った。それは私の知っている当たり前じゃない。え、どういうこと? 近場は行ったとかじゃなくて? 念のため「マジで」と聞き返すと「マジでだよー。名古屋公演は伝説だったね。あれは神」とあっさりと返された。お前のその当然って態度が一番マジマジアルマジローだ。

「全部行くって、お金かかんないの?」「かかるよ!」私の疑問は当然に肯定され、「というか、ファンクラブで当たったとしても、それ以外のチケット手に入れることがベリーハードモードだから」と諭される。「じゃあどうやって手に入れるの?」「ダブったチケットと交換して貰うとか、ドタキャンしなくちゃいけない人から譲ってもらうとか、まあ色々」「へー。ダフ屋的なのは?」「ないわけじゃない。まあマジで諭吉に翼が生える。紙幣のくせにレッドブル飲んでんのかよ」と美加が嘆く。言い方からすると、美加もそういうものを使っているようだった。美加は普通の会社で普通に事務をしていて、たぶん収入が高いわけじゃない。やりくりには苦労するのだろう。そこではたと気づく。「ねえ、それなら私のチケットは他に回した方が得だったんじゃない?」「弓枝のはドタキャン枠だからなー。まあ折角だから誘ってみた感じ。それで駄目なら回してみてた。あ、お金は後でちゃんと頂戴ね」「あいさー」

 時間になりライブ会場に入る。会場内にはライブへの期待がぐつぐつと煮詰っていた。その期待はライブの始まりと共に爆発する。軽やかにそろったダンス。美しく響く歌声。可愛い笑顔。一瞬の永遠。キラキラした全てがステージにあった。悲鳴のような歓声が湧き熱狂が作られる。率直に言ってprofondumプロフォンドゥムにほとんど興味のない私ですら楽しいライブだった。

「最高だったね、神! 今日も神公演!」案の定ライブが終わった後の美加はものすごい興奮していた。「プロフォとささりんは私の人生! もう一生ついてく!」

 私はそのはしゃぎぶりについていけず、己以外の何かに人生を明け渡すことへの薄ら寒い恐怖がへばりついた。そんな人生はもう自分のものではなくなっているのではないか。そんな気持ちをぶちまけて水を差すわけにもいかず、私は「まあ程々にね」とだけ言った。しかしその言葉が受け入れられることはなかった。振り返ってみればこの時にもっと強く言うべきだったのかもしれない。美加はその後も一層profondumに熱を上げ、ささりんのグッズを大量に買ったり、握手会やイベントに欠かさず参加したりしていた。度を越えて。いや、私と一緒にライブに行った時には既に踏み越えてしまっていたのかもしれない。きっとそうなのだろう。会うたびに美加の何かが失われていて、そしてとうとう「お金貸して」と言い始めた。

「え、貸せないよ」「今月の返済がヤバいし、次のライブささりんメインで一曲あるから絶対に行かなきゃいけないの。だから貸して」「気持ちはわかったけど駄目だよ」「友達でしょ貸してよ」「いや、友達だから貸せないよ。」「じゃあ友達じゃなくていいから貸して」「え」美加の言葉に耳を疑う。けれど彼女の顔は真剣そのものだった。「profondumやささりんが好きなのはわかるけど、ちょっと行き過ぎだって。何それ」「何それって何それ。私にとってプロフォとささりんは私にとって世界で一番大事だし、ほんとそれだけの価値があるってわかってる。そんだけ友達に大切なことがあるんだからそれを助けてあげようってのが友情でしょ? それをNOって言うなら友達じゃないって簡単なことじゃん。弓枝はいつもたいして興味も関心もありませんって顔しててさ、それで人生楽しいの? 生きてる意味あるの? 私はあるよ。ささりんのために生きてるし、なんでもできる。だから楽しいよ。うん、楽しい。どうせ私の気持ちなんて本当はわからないんでしょ」

 私は黙る。確かに美加のように夢中になれるものはないし、別に人生が楽しいわけじゃない。わざわざ生きている意味はないのかもしれない。美加の気持ちだって理解できない。それでも美加といることは楽しかったのだ。けれどそれも過去形で、あったはずの友情は既に失われていた。

 結局そのまま喧嘩別れに終わり、二度と美加に会うことはなかった。共通の友人経由で、美加が会社を辞め別のところで働き始めたという噂を聞いた。お金に困っているとなれば要はそういう所だろう。

 時折。主に仕事から帰宅した後。私は動画配信サイトでprofondumのMVを見る。今見ているのは最近公開された新曲のMVだ。profondumが発表する曲はランキング一位の常連で歌も踊りも悪くない。でも私にとってそれだけだった。それ以上はなかった。

 センターで堂々と歌って踊るささりんのよくできた笑顔がまぶしい。だけどちょっと油断しただけでささりんと他のメンバーの区別がつかなくなる。私はMVを見ながらこういうときは缶チューハイでも買っておけばよかったのかなといつも思う。

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