たとえば身分が保障されどんな職業にも就け罵詈雑言をこぼしても拘束されない豊かな国に住んでいても満たされぬ思いを抱え己れを不幸と嘆く者がいる。
あるいは固定された身分の中で父祖伝来の職にしか就けず上に忖度せねば生きて行けない国に住んでいても架空の自国の栄光に自分が恵まれた幸せの中にいると胸を張る者がいる。
真冬にスイカが食えぬと不平を言う金持ちもいれば、一杯の湯掻いた小麦を啜り涙を流し喜ぶ貧者もいる。人の幸 不幸 喜び 悲しみ、何もかも個人の受け取り方ひとつ、異性に入れ揚げ蓄財を食い潰してもその人が幸せなら幸せなのだし、どれだけ周囲が手厚く個人に接してもその人が周囲を拒絶すれば不幸なのだろう。
この小品の秀逸な点は主人公の友が陥った奈落に導く存在が道徳的に邪悪なレッテルが貼られない“アイドルプロデュース=商業的存在”だと言う所だろう、これがもしも“非合法活動のオルグ”や“強引苛烈な新興宗教団体”ならば読者は単純にその存在を憎みそして主人公の友の幸せを安易に否定出来るのだから。
しかるに「落ちて沈む」この物語、友を失いそれでも伝え聞く彼女が幸せそうな事を知りモヤモヤしたまま日常を続ける主人公の気持ちは読む我々にもシンクロし釈然としないながらも何か喉の奥に引っかかる異物を飲み込むために缶チューハイやビールのプルタブを押し開けるのだろう。
日常を切り取りながら漠然とした不安を漂わせるその切り口は流石は名手ささやか先生、お見事。