紙幣に推しを印刷できるようになりました

いずも

坊っちゃんにはまだ早いかな

 再利用可能耐久特化型合成紙幣、通称『推し紙幣』の普及はデジタル後進国の日本におけるキャッシュレス決済の在り方を根底から覆した。


 QRコードのように画像の中に決済情報を埋め込み、政府公認の合成紙に印字することであたかも本物の紙幣のように支払いが可能となった。

 そして各々が『推し』の写真や絵のデータを読み取らせることで、ATMでお金をおろす感覚で自分の好きな顔の紙幣を作成できるのだ。

 あとは残額のある限り繰り返し使用して、残額がゼロになればレジで回収される。集まった合成紙は金融機関が回収して絵柄を消して再利用する。

 まさに子供の頃に誰もが一度は夢見たことが実現した世界なのだ。


 やってることは好きな絵柄のテレホンカードやクオカードを嬉々として使っているようなもので、むしろICカードの性質に近い。さらには好きな金額を自由に設定して最終的に金融機関が回収する流れを考えると小切手に近いとも言える。


 財布にしまえてまるで現金のように扱えるという部分が現金主義の日本人にものの見事にマッチしてまたたく間に広まり、本物の紙幣を駆逐するまでに至った。もっとも伐採する森林が無くなり天然の紙は庶民の手の届かないものとなってしまった昨今、額面以上の金額で取引されている旧紙幣に変わる合成紙幣の普及は必然だったのかもしれない。



「――でねでねっ、店員さん聞いてる?」

「ええ、はい。ではそろそろお会計させてもらいますね。こちらの『歌スタ』の袴田光太郎紙幣をお預かりします。残額はこちらに印字されておりますので。では袴田光太郎紙幣のお返しと、こちら商品です」

「はぁーいありがとっ。さっすが店員さんね、アタシの推しの名前ちゃんと覚えてくれるんだもの。やっぱり『歌スタ』は紙の本で眺めてこそよねー。また来まーす!」

「ありがとうございました」


 そりゃあ毎回毎回来るたびに話を聞かされたら嫌でも覚えてしまう。

 うちに来る客はそれなりの金持ちか、あるいは推しに狂ったような変わったお客が多いのだ。

 ここは稀少で高額、それでいて前時代的ななんてものを取り扱っている書店なのだから。



「……」

 キョロキョロと店内を見渡しながら時々足を止め、棚にある本をじっと見つめては「ここに目当ての本はない」と言わんばかりに首を振って再び店内を物色する少年の姿があった。いかにも不審者のように見えるが、そうではない。

 彼はいつも同じ週刊誌を購入している。他のものは絶対に買わない。どうせいつものカモフラージュなのだ。そりゃあ私のようなうら若き乙女(自分で言ってて少し恥ずかしい)の前には出すのがためらわれるようなちょっといかがわしい本を買いたいけれど一歩踏み出せないでいる、なんて可能性が無きにしもあらずだがそれはない。

 そんないかがわしい本はうちには置いていない。少なくとも私はいかがわしいと思っていないから何を出されても動じない。


 こんな高価な紙の漫画雑誌を毎週買いに来るなんてお金持ちの家の坊っちゃんだろう。子供の小遣いでは買えないくらいの額である。私のような安月給でも正直毎週はキツイ。いっそのこと店長間違えてゼロを一つ多く振り込んでくれないか――

「あの、お会計……」

「ん、ああ。はいはい」

 くだらない妄想で未来ある少年の時間を浪費させるわけにはいかない。

 お互いに慣れた手付きで毎週同じやり取りを繰り返す。


「はい、空白ブランク紙幣を預かります――金額はちょうど。使用済みの紙幣はこちらで回収してよろしいですか」

「はい」

 空白ブランク紙幣は写真の部分が空白の紙幣のことで、つまり『推し』の入っていない『推し紙幣』なのである。



「ねぇ君。なんで『推し』を印刷しないの」

 何故か今日の私は少年に問いかける。さっきの客がウザいくらいに推しを押し付けてきたから、ちょっとした憂さ晴らしをしたかったのかもしれない。

「えっ……」

「だって毎週発売日に買いに来るし、金額だってピッタリ用意してる。そこまでするんならこの雑誌に好きな漫画が載ってるって思うじゃない。その漫画の好きなキャラを印刷したいなとか、思わないわけ?」

 私の問いかけに彼は石化したように硬直した。私はいつの間にメデューサの力を手に入れてしまったのだろうか。

 少年の口元が動く。良かった、私の髪の毛は蛇になってない。


「推し……って、わからないんです」

「わからない?」

 予期せぬ答えに思わず彼の言葉を繰り返す。

「僕はずっと勉強ばかりしてきました。それでいいと思っていました。でも周りの同級生は自分の『推し』を持っていて、その推しについて語るときはとても饒舌で楽しそうで、僕には持っていないものを持っていると感じました。だから僕もその答えが知りたくてずっと探しているのですが、未だに見つけられません」

「……左様で」

 軽い気持ちで聞いたらとんでもないパンドラの箱を開けてしまった。


「店員さん。お姉さんにとっての『推し』とは何ですか」

「私の?」

「はい。紙の書店に勤めているような摩訶不思議で奇想天外な方なら普通の人とは違う答えが得られるのではないかと」

「失礼なやつだな君は」

 だが、否定する気はない。紙の本を買いに来る客なんて変わったやつだと思う以上に紙の本を取り扱っている店なんて変わった店だと思われているのだから。


「私の推しかー……まぁ、そうだねぇ。ちょっと待ってなさいよ」

 私はバックヤードに引っ込み、ホコリまみれの金庫の中から一枚の紙を取り出す。紙幣だったものだ。


「はいこれ」

「誰……というか、何これ」

「今はもう使用できない、かつて紙幣だったもの。昔はね、一度紙に印刷したら再印刷することは出来なかったし、そもそも好きな推しを印刷することすら出来なかったのよ。私はまたまた推しが印刷されていたのだけど」

「それで、誰なんですか。これ」

「んー、じゃあそれあげるから自分で調べてみなさい」

「良いんですか!?」

 少年は目を輝かせながら大きな声を上げる。

「いいよー。どうせもう何の価値もないものだから」

 大嘘だ。

 本当は額面以上の価値があるものだが仕方ない。これは私の推し活なのだ。多少の犠牲はあって然るべきだ。まぁ私のものじゃないんだけど。

「ありがとうございます。また来週来ます」



 少年の買っている週刊誌の廃刊が決定した。

 減り続ける紙の雑誌の購入者に対してコストが掛かりすぎるとの理由だ。


「おや、あの雑誌はもう販売が終わったって先週言ったはずだけど」

 少年は本日も習慣のようにうちに来て本棚を物色している。別の雑誌でも見繕っているのだろうか。


「あの。あそこにあるのって夏目漱石の本ですよね」

 彼が指差す先、本棚の一番上には確かに夏目漱石の本が一冊だけ隠れるようにひっそりと立て掛けてあった。

「よく見つけたねぇ。多分見つからないように並べたんじゃなかったかな」

 売り物だけど売りたくない。そんな心理が働いたのだろう。


「あの本が欲しいです」

「ん~、あれかぁ。あれは、ちょっとねぇ」

 私が言い淀んでいると訝しげな顔で尋ねる。

「何か問題でも」

 私は推しを手放したくない一心で応える。


にはまだ早いかな。いつかあの本に手が届くまで大きくなったなら、その時にまたおいで」

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