お嬢様に『推しが欲しい』と言われた執事の話

雪桜

お嬢様に『推しが欲しい』と言われた執事の話


「ねぇ、五十嵐。って何か知ってる?」


 優雅な昼下がり、ティータイムの準備をする執事に、突然、お嬢様が話しかけた。


 お嬢様の名は──阿須加あすか 結月ゆづき


 現在、18歳の結月は、女子校に通う社長令嬢だ。腰まで伸びた長い髪は、とても艶やかで美しく、玉のような肌は雪のように白い。

 それでいて、穏やかで愛らしい表情には、まるで天使が女神のよう。


 その上、わがままでも高飛車でもない結月は、品位と奥ゆしさを携えた、まさに絵に書いたようなお嬢様だ。


 そして、そんなお嬢様に仕えるのが、執事の──五十嵐いがらし レオ。


 お嬢様より、二歳年上の彼は、先日来たばかりの新米執事だった。だが、執事になって、まだ日が浅いにも関わらず、その所作はとても美しく、ベテランの執事にも全く引けを取らない。


 なにより、その精錬とした佇まいと、玲瓏れいろうな顔つきは、モデルか俳優かと言いたくなるくらいカッコイイのだ。


「オシカツ……で、ごさいますか?」


 お嬢様である結月の質問に、執事のレオが答えた。

 手には、エッジウッドのティーポットを持ち、淹れたてのロイヤルミルクティーをレオが差し出せば、結月は、またにこやかに答えた。


「そうよ。学校で、生徒たちが話していたの。オシカツって、美味しい鰹節かつおぶしの略かしら?」


「ふ、お嬢様は、相変わらず、可愛らしい方ですね。最高級の鰹節かつおぶしは、まさに"推しかつ"と呼ぶにふさわしいでしょう。荒節の表面を削り、半年以上、手間をかけて熟成する"本枯れ節"は、コクと上品な風味を味わえる最高級の鰹節でございます。ちなみに、うちの屋敷で使っている鰹節も、"本枯れ節"を使用した一級品ですよ」


「まぁ、そうだったの? 知らなかったわ。じゃぁ、やっぱりオシカツって、鰹節のこと?」


「いいえ。お嬢様が、ご学友からお聞きになったのは、の方でしょう。好きなアイドルやキャラクターを愛でて、応援する活動のことでございます」


「好きなアイドルや、キャラクター?」


「はい。自分が推したい人物に、惜しみない愛を注ぐことです」


「愛を? そう、だからみんな、あんなに楽しそうだったのかしら? 鰹節の話をしてるにしては、少し違和感があると思ったの」


「…………」


「ねぇ、五十嵐。どうやったら、推しが出来るのかしら? 私も推し活をしてみたいわ!」


 執事が淹れてくれたミルクティーを口にしたあと、結月は子供のようにはしゃぎだした。だが、執事は


「お嬢様。推しは、作るものではございません。無意識に心が惹かれ、自然と出来るものでございます」


「そうなの? じゃぁ、自然と出来るのを待つしかないの?」


「はい」


「そう……」


「お嬢様、そんなに悲しい顔をなさらずとも」


「だって、推し活をしている子達は、みんな楽しそうだったわ。生きる喜びに満ちていた気がするの。だから、私にも推しができたら、このつまらない日常が、少しは華やぐかと思って」


「…………」


 シュンとするお嬢様を見て、執事は目を細めた。


 お嬢様は、阿須加あすか家の一人娘。それ故に、これまでずっと親の言いなりのように生きてきた。

 ゆくゆくは、親の決めた相手と結婚させられ、その婚約者に気にいられるためだけに、美しさと品性を磨きつづけてきた結月。


 だが、自分の意思とは無関係に強要される、その生活は、確実に結月の心を蝕んでいた。


 やりたいこともなく、行きたいところもない。

 ただ、親の言うことに従うだけ。


 そんな人生は、まるで操り人形のよう──…


「では、練習をしてみますか? いつか、推しができた時のために」


「え? 練習?」


 すると、執事が、ある提案を持ちかけた。

 ティーポットを置き、レオは、お嬢様の前に膝まづくと


「お嬢様。私を推しだと思って、愛でてみてください」


「え、五十嵐を!?」


「はい。今、目の前にいる男は、執事ではなく、お嬢様のです。そう思って接して見れば、多少は推し活をしている気分を味わえるかもしれません」


「そうね。確かに、推しが目の前にいるのかと思ったら、ちょっとワクワクしてきたわ! でも"推しを愛でる"って、一体、どうすればいいのかしら?」


「そうですね。ご学友の皆様は、なんと仰っておられたのですか?」


「えーと、がなんとかって。あ、あれって、をして呼ぶって意味だったのかしら?」


「…………」


 様付けを、サマ漬け?

 鰹節とセットで、漬物だとでも思ったのだろうか?

 相変わらず天然なお嬢様に、レオは「可愛いなー」と頬を緩める。すると、お嬢様は


「……っ」


 瞬間、花のような笑顔を向けてそう言われ、レオは息を詰めた。


 本来、執事である男を、お嬢様が様付けをするなんて、有るまじきこと!


 だが、今の執事は、お嬢様の推し!

 こんなこと、今でなくては許されない。


 しかも、こんなに愛らしく様付けなんてされてみろ!執事じゃなくても、ときめく!


「五十嵐? もしかして変だった?」


「いいえ、とても素晴らしいです! さぁ、もっと仰って下さい」


「そ、そう? じゃぁ……レオ様は、今日もカッコイイですね!」


 なんだこれ、最高か!!

 ありがとうございます。ご学友の皆様!


 これも全て、皆様が学校で鰹節……じゃなかった推し活の話をしていたからこそです!


 近いうちに、最上級のおもてなしとして、英国王室御用達シャルボネル・エ・ウォーカー社の「ダーク マルク・ド ・シャンパン トリュフ チョコレート」を持って、お伺い致します!


「レオ様、私は、あなたがいてくれて、とても幸せです♡」


「く……っ」


 すると、更に反則的な言葉を投げかけられ、レオは、胸元に押さえながら、うずくまった。


「い、五十嵐? 大丈夫?」


「はい、大丈夫です。あまりの嬉しさに動悸が……! お嬢様に、このような応援をされたら、推しは、天国に昇ってしまいますね」


「ふふ、推しを殺しちゃったら意味がないじゃない。でも、推し活って、やっぱり楽しいわ! それに、このまま続けていたら、本当に五十嵐が、私の推しになってしまいそう」


「私は構いませんよ。それで、お嬢様の生活がより色づくなら、執事として、大変光栄なことでございます」


「もう、五十嵐って、本当によく出来た執事ね。あ、そういえば、五十嵐には、推しはいないの?」


「はい。私には、おりません」


「そう。じゃぁ、五十嵐に推しができたら教えて。私も教えるから、一緒に推し活を楽しみましょう!」


 さっきまで沈んでいた表情が、嘘みたいに華やいだ。そして、そんな結月を、レオは愛おしそうに見つめた。


(推しに愛を注ぎたいひとなら、目の前にいるんだけどな)


 推しへの愛は、ただ、ひたすら見守る愛。


 だが、自分がお嬢様に向ける愛は、そんな生易しいものではない。


(早く、私を愛してくださいね、お嬢様。そうすれば、推しなんて必要なくなりますから)


 君のつまらない日常は、全て俺が変えてあげる。

 君を、この屋敷から、奪い去って──…



 そう、実はこの執事、お嬢様が好きすぎて屋敷にまで乗り込んできた、腹黒執事さん!


 さてはて、彼の恋は実るのか?

 それはまた、別のお話──



 *おしまい*

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