モノ忘れ探偵とサトリ助手【推し活】

沖綱真優

推し活

 中島健太は当惑していた。

 興信所勤務で不定期休の健太は、久しぶりの三連休の最終日を満喫していたのだが、雇い主から連絡が来たのだ。


 二十六歳男性である健太の休日の過ごし方、それはもちろん彼女とデートである。

 遊園地は先日行ったし、観たい映画もないから、今日はウィンドウショッピングとカフェ巡り、帰りに近所のスーパーで材料を買って、健太の家で一緒に夕飯を作って食べて、それから。


 という妄想、いや、将来に向けた予行演習を入念に行い、ベッドに寝っ転がって動画を見ていた。

 正しくは動画の途中で諸々感じ入るところがあっての行動だが、彼女なし男性の時間の潰し方として一般的なものだ。


 後始末のち、別の動画を観ていたところで、画面の上にぴよんと雇い主である正木善治郎先生からメッセージが入ったのだ。


『緊急の依頼です。休日は振り替えで、今から事務所に来ていただけないでしょうか』



 *



「事情を伺ったものの、不明点が多すぎて……休日に申し訳ないですね」


 先生は高名な探偵であった過去を持つが、物腰は柔らかい。

 現在の名誉が以前ほどでないという点を加味しても、いや、だからこそ居丈高に振る舞う者が多いだろうに、健太のようなフリーター上がりの若造に対しても丁寧だ。


 依頼人を前にして探偵然とした芝居がかった態度を取る方が、むしろ苦手な気がする。

 その先生が休日を返上させるからには差し迫った事件に違いない。

 健太は身構えた。


「それで、一体何があったのです?」

「登山活動をしているゴンチャマさんという方のところに、五万円の昆布茶の差し入れが三日続き、怖くなって拒絶したところ、衝立で秘密を暴露するとの旨のメッセージが届いた……」


 おそらく電話で聞き取った内容だろうメモ書きを見ながら、正木先生は説明してくれた。

 先生をじっと見ると、メモから仕方なしに視線を外して、こちらを上目遣いに見る。

 語尾が尻すぼみだったことからも明らかなように、自信がないのだ。


 しかも。


「……先生、さすがにヤフーを登山活動は遠すぎませんか?」


 言い間違いや言葉の失念が多い先生だが、更に、わざと間違いを混ぜる。

 お遊び、脳の活性化といいつつ、反応を楽しんでいるわけで、先生の悪い癖だ。


「よく分かりましたね。

 ヤホーと言えば例の漫才か木霊でしょう?

 しかし、残りは電話で聞きとった通りです。

 一時間……あと、五十分後に依頼人と約束しているのですが、緊張しておられる上に早口で。

 詳細はこちらに来て、とはいえ、前知識なしは失礼だし、助言、解決策など浮かびようがない。

 君の力が必要です」


 頼られて嬉しくないわけがない。

 健太は知恵を絞る。


 先生は五十代、スマホもパソコンも一応は使える。

 文章を打ち込むだけなら健太よりも早いが、体裁を整えるのは苦手。

 ブラウザで検索もできるが、検索ワードが思い出せなくて、知らない言葉を知っている言葉、近い言葉に言い換える。

 仕事柄、新聞ウェブ問わず多くの情報を集めるけれど、特に最近の言葉は覚えられない。


 その代わり、物語を組み上げるのは得意だ。

 もちろん、事実をねじ曲げるのは論外だから、様々な角度、立場から検証した推論というべきだが、人と人の関係性を描くのならば、それは物語といって良いだろう。


 ただ、今回は知らない言葉が多すぎて、事実自体があやふやなのだ。


「……無理やりに繋げるのではなく……先生、」

「うん?」

「依頼人の話に出た言葉……単語だけ教えてください」


 ゴンチャマ、五万円、昆布茶、三日、怖い、拒絶、衝立、秘密の暴露、メッセージ。

 先ほどのヤフーは関係なし……そんなハズはないが。


「依頼人は確かにこれらの言葉を口にしたのですね?」

「いや……私にはそう聞こえた、というだけですね。

 欠けている部分を脳が補完する類の錯視があるが、耳でも同様のことが起こりうる。

 つまり、知らない言葉を知っている言葉の一部あるいは全部に変換してしまう脳の働きが無意識のうちに、当然この働きを意識的に行うのならば錯聴とは言わないだろうが……」

「衝立……ツイッターで秘密を暴露する」


 講釈を遮るのを気にもせず、正木先生は、はっと目を開いた。

 おそらく聞き覚えがあったのだろう。

 何か言いたそうに口をもぐもぐさせるから、健太は黙って頷き、残りの部分について考える。


「『ゴンチャマ』というプラットフォームはないから、おそらくアカウント名。なら、『五万円』『三日』は投げ銭五万円を三日連続ということか。

 それなら、『怖くなって拒絶した』のも分かる」

「つまり?」

「ネット上で何らかの活動を行っていた依頼人が、ファンによる大金の投げ銭に困惑してブロックしたところ、報復をほのめかせるメッセージを受け取った……

 内容に依りますが、脅迫罪ですかね」

「うーん、難しいでしょうね」


 ネット上でのやり取りでは苛烈な言葉を使いがちで、脅すような文面だったとしても、送る側にはそこまでの認識がないことも多い。

 鬱屈した日常生活のはけ口をネットに求める大人、生まれた時から携帯端末に囲まれている子どもが入り混じる、アカウント名やIDのみでは年齢も性別も性格も何もかも分からぬ混沌世界で自我を確立し、他者の目に留まろうと思うのならば、よりエキセントリックに振る舞うのは必然といえる。


 そのような世界にて、身体に直接危害を加える予告などではなく、『秘密を暴露する』という文言だけで警察が動くかといえば微妙と言わざるを得ない。


 顔を見合わせて、ふたりで首を傾げたとき、ちょうどチャイムが鳴る。



 *



「清水亜子、小学校で教員をしています」


 依頼人は、ショートボブが可愛らしい女性だった。細身の黒パンツに薄ピンクのシャツ、動きやすそうな黒のニットジャケット姿だ。

 案内されてソファに座り、挨拶の後はずっとテーブル上の湯飲みに視線を落としている。厚めに塗った化粧の下の瞼が腫れぼったい。


「お電話では聞き取りにくい単語がいくつかあったもので……もう一度詳しくご説明いただけますかな」

「……これを見ていただけますか」


 清水さんはバッグから取り出したスマホを素早く操作すると、こちら向きに置いた。

 ソファの横で立っていた健太も、膝を突いて覗き込む。


「『ふざけるな。お前の秘密をツイッターで暴露してやる』……ですか」

「あと二通あって」

「『俺のブロックを解いて、新しい動画上げれば許してやってもいいよ』」

「『マナー知らないクソガキが、モノ教えるなんて舐めすぎ。辞めさせてやる』……なるほど。これは少し焦りますね」


 正木先生は、スマホから顔を上げて依頼人を見た。

 依頼人も、スマホから顔を上げて先生を見て、


「え、ズラ……いえ、ズレ……、ぷっ」


 心痛で歪んでいた顔を少し緩ませた。

 先生はにっこり笑うと、手ぐしで髪を戻す。

 健太は、清水亜子が落ち着いたのを見計らい、メモを手に質問した。


「では、ネットでの活動について教えてください」

「私は今年度、念願の小学校教員になったのですが、大学在学中からVTuberをやってまして、趣味として続けていたんです」

「見せていただくのは……」

「えっと、少し恥ずかしいので、話し終えてからで宜しいですか?」

「もちろん。では、先を続けて」


 清水さんは大学入学直後からVTuberを始め、知り合いとのコラボなどもあって収益化に必要な条件を満たしていた。とはいえ、たかだか数千円、機材費やソフト代の足しになる程度で、アルバイトは別にしていたし、単なる趣味だった。


 就職してからは時間もなく、学生時代のように頻繁に動画を上げられない。

 いよいよ再生数も減り、収益のことなど忘れていた。


「先日の三連休、久しぶりに生配信をしたんです」


 アナウンスはしていたが、登録者数も減ってきていたし、集まっても数十人、一桁もあり得ると思っていた。

 ジャンルはゲーム実況で、楽しんでプレイしているところを観てもらい、コメントがあれば読み上げる。和気あいあいとした時間を過ごしていた。


「じゃあ、次で最後ねって。対戦を終えて、みんな、明日も同じ時間ねって、」


 配信終了間際、五万円の投げ銭が投げ込まれた。

 コメントは、『応援してます』。

 内容的には普通だ。

 多額のため、喜ぶよりも戸惑いが大きかったが、返金はできないシステムのために清水さんにはどうにもできなかった。

 そして、翌日は五万円と『いつも見ています』。

 三日目は、同額と『好きです』。


「そんなハズはないのに熱心なファンが付いたのかな、貰えるなら貰っちゃおうって欲張ってしまって。でも、しばらくして我に返り、焦ってしまって」


 ブロックすると、今度はツイッターにDMが届いたのだ。


「なるほど。事情はだいたい分かりました。

 動画配信と衝立を止めれば解決しますね」

「先生、それはさすがに……」


 清水さんは苦笑して、


「こうなった以上、止める覚悟はしています。趣味で始めたモノですから、心配事ができて楽しめなくなったら、仕事に差し障りますし……」

「そう、仕事とその先の人生。

 それを心配しておられるのだから、学生時代の遺物は捨て去っても良いかもしれませんね」

「お見通しですね、さすが探偵さん」

「ただ、今回の場合は相手を特定できるかもしれません」



 *



「無事解決できたのは、君のおかげですから……」


 正木先生が健太を励ました。

 清水亜子は健太のタイプど真ん中だった。

 だからこそ、三日間ほとんど寝ずにツイートを漁り、街を捜索した。


 一方、亜子に対しては、相手を勤務先の高学年児童に絞り、関わりのある男子児童をよく観察するようアドバイスした。

 自分に対して脅迫めいたメッセージを送ったとしても、十一歳の子どもなら怖くはない。

 何より、経費を差し引けば、所得はほぼなくなるとの助言が余裕を生んだ。


 秘密の暴露。

 最も怖いのは、副業禁止の公務員の立場を追われることだから。


 結局、男子児童の一人が親のクレジットカードを借用したと分かり、晴れやかな顔でお礼に現れた亜子の左手薬指には真新しい指輪があった。

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