誠の華が咲く前に

櫻葉月咲

私は強くなる

 辺りは薄暗闇に包まれており、目を凝らさないと誰の姿も見えない。

 夜明け前の、しんと静まり返った道場内──新選組隊士らが寝食を共にする八木邸の敷地──に、一人静かに座すりんの姿があった。


 (この一年、色々とあったけれど……)


 凛が京へ上洛してから一年。

 知った仲であった新選組幹部の一人から、うちで寝食を共にしないか、と言われてから一年。


 つい先月、『特例』により幕府の奥詰おくづめとなってから一月と少しが経った。

 長いようで短い年月は、凛の環境と同じくして目まぐるしく移り変わっていった。


 そんな凛の視線の先には、上京してきた頃からの愛刀である紅桜べにざくらと、兄である蒼馬そうまから昨年与えられた舞影まいかげ高光たかみつという、打刀うちがたな脇差わきざしがそれぞれ目の前に置かれている。


 凛は紅桜を手に取るとゆっくりとさやから抜き、続いて舞影の鞘を払った。

 どちらも凛が日々の手入れを欠かさずしているからか、普通の刀と比べてきらきらと光り輝いていた。


 (このまま甘えていては、いつか身を滅ぼすのも近いかもしれない)


 黒曜石のような瞳をわずかに伏せ、凛は左右の手に持った刀身へ目を向ける。

 薄ぼんやりと自身の顔が映り、その表情が少しやつれて見えた。


 (私はもう、弱いままのお荷物だなんて言わせない)


 そうして考える事は、他でもない己の弱さだった。

 それもこれも、数日前のちょっとした事件があったからだ。

 なんでも、同じ役職に就いていた同僚に襲われそうになったのだ。


 止めろと必死になって抵抗するも、その甲斐なくあっさりと封じ込められ、そこで男女の差を知った。

 弱者が強者に勝てないという、悲しくも当たり前の事を知った。


 騒ぎが大きくなる前に昔から知った仲だった伊庭いば八郎はちろうが助けだしてくれた事で、ひとまず落ち着いたのが幸いと言えただろう。

 女は守られるものだと言ってはばからなかった同僚は、そのあと顔を見ていない。


 幕府お抱えとなったあの日──今の将軍である徳川とくがわ家茂いえもちが上洛した折りより、凛は『特例』で奥詰という役目に就く事になった。

 元々、京と江戸を行き来する生活をしていた凛は、京の治安維持やその他の仕事で働き詰めだった。


 少し休んではどうか、という新選組局長である近藤こんどういさみの厚意に甘え、その日は帰省していたのだ。

 本当なら兄である蒼馬が役目に就くという事だったが、これを頑なに拒否したことで取り消しとなった──はずだった。


 あろう事か、蒼馬は帰省していた妹の凛を名指し。それだけでなく、蒼馬を誘いにきた男に「きっとこの子は役に立つ」と溢れんばかりにたたえた。


 一介の興行主である蒼馬が、自分のことで手一杯なのは分からなくもない。

 けれど、唐突の事で凛の抗議はあまりにも無力だ。

 あれよあれよと奥詰になる男たちに混ざり、京へと再度上洛した。


 その間にも、周りは「何故女が」「何故男ばかりの場所に無関係な女が」と噂をしていたのを、凛は知っていた。

 男女の違いがあろうと、将軍である家茂が承認してしまえば、誰も断れない。それは幕府からの命令も同然だからだ。


 その後、直接的に凛へ危害を加えたりする事はなかったものの、陰口を言われまいと努力はした。

 男のように髪を結い上げ、薄鼠色うすねずいろの袴に二刀を指す、というさも武士然とした出で立ちが功を奏したのか、それ以来凛の陰口を言う者はいなくなった。


 けれど、ただ「弱いから」という理由で相手にされない事もしばしばある。


 (舐められるくらいなら、誰よりも強くなるしかないから)


 しばらくの間じっと二刀を見つめると、凛は音もなく立ち上がった。


 「──」


 一度目を閉じて深く息を吸い、心を落ち着ける。


 (私が弱いままじゃ、上様の期待に答えられない。何より……これ以上、八郎さんに助けられてしまっては駄目になってしまう)


 ぐ、と眉間に力を入れて瞳を開く。

 凛の見据える先は、誰よりも強くなる事だ。将軍にとって頼れる存在とまではいかないが、八郎の隣りに並び立てるほど強くなる。

 それが凛にとって、生きる意味になりつつあった。


 (私は強くなる。誰よりも強くなるから──八郎さん、貴方の傍にいさせてください)


 凛が今想うのは、愛しい愛しい男──江戸にいた頃から世話になっていた八郎の、優しい微笑みだけだった。


 何も無い空中に向け、両刀を振り下ろす。

 その拍子で空気が震え、一瞬のうちに道場全体が張り詰めた。

 舞うように刀を下ろしたかと思えば、右へ左へと受け流し、その返す波で空を突く。


 道場内には凛しかいない。

 けれど、もう一人いるかのような身のこなしで静かに、力強く愛刀たちを振るう。

 二刀流を極めてはどうか、と密かに言ってくれた八郎の言葉を信じ、凛は花の蜜を探す蝶のように舞った。


 そのどれもが洗練された動きで、この場に誰かがいれば、見る者全員をとりこにしてしまうだろう。


 「は、……っ、はぁ……」


 やがて肩で息をしながら、凛は両刀を下ろす。

 頑張る意味が何も無かった頃に比べると、圧倒的に力も付いたし強くなったように思う。

 しかし、これくらいで満足していては序の口だ。


 額に玉のような汗が浮き出て、ゆっくりと凛の頬を伝い、板張りの床へ落ちていく。

 後で床を拭かなきゃな、と頭の片隅で思うと同時に、ザワザワと賑やかな声と足音が響いた。


 「もう、そんな時間、なのね……」


 未だ落ち着かない呼吸をなんとかととのえ、床に散らばっていた二振り分の鞘を掴むと、凛は道場を後にする。


 もう起きて書類整理をしているであろう、新選組副長──土方ひじかた歳三としぞうに会うため隊士たちの死角を通り抜け、土方の居室に向かった。


 そろそろ太陽が顔を出す頃だ。

 新選組隊士らの朝稽古の時間が、すぐそこまで迫っている。

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誠の華が咲く前に 櫻葉月咲 @takaryou

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