二刀流の姫君
佐古間
二刀流の姫君
「アイシャ、ヒールを頼む!」
「はい!」
迫りくるドラゴンの炎を避けながら叫ぶと、強固なバリアに守られた治癒術師の少女が軽やかに返事をした。一瞬後、「ヒール!」という高い声と共に全身がほわりと温かな風に包まれる。
中級治癒術のヒールは、鋭い爪でひっかかれた背中の傷を瞬時に癒してくれた。急な回復の副作用でずっしりとした倦怠感が襲ってくるが、まだまだ体は動けそうだ。
再び前線に出ようと走り出したタイミングで、ドラゴンの厚い鱗に翻弄されていた剣士が後方へ飛び込んでくる。アイシャの近くで勢いよく倒れ込み、アイシャがすぐさま「ヒール!」と声を上げた。
「グオオオオ……!」
「でかいのが来るぞ!!」
「一旦下がれ! アイシャを護れ!」
腹に響くような咆哮と共に、片眼から血を吹き出したドラゴンが天を仰いで口を開けた。そこに凝縮された魔力がどんどん集まっていくのを感じて、仲間が慌てて引き返してくる。「エリックも早く!」と強く言われ、前進しようとしたのを堪えた。
アイシャを護る、というのは自分たちの使命であった。
「バリアは!?」
「何とか! 全員内側に入れ!」
魔術師が叫ぶ。ドラゴンの咆哮で地面がぐらぐらと揺れる。まるで地響きの様だ、もはや全身に響く声は、吹っ切れたはずの恐怖心まで呼び起こそうとする。全員がアイシャの近くに駆け込んだ。
瞬間、魔術師が強力なバリアを展開する。頭上の魔力圧がすごい。魔力の凝縮に合わせて大気が動き、暴風が発生しそうだ。
ため込んでため込んで、残った片眼がギラリと光る。
「来る……!」
吐き出された魔力の塊はとてつもない衝撃と共にバリアを直撃し、目の前が真っ白に染まった。
アイシャは愛らしい少女だった。
一年前、パーティを抜けた治癒術師の代わりを探していたところ、ギルドマスターから紹介されたのがアイシャだった。
治癒術師という職は少し特殊だ。
特に登録義務のない戦闘職と違い、治癒術は適応者が少なく使える人が限られているため、教会への登録が必須だった。基本的に自由であるものの、教会の存在が常に付きまとう。
アイシャは教会の見習い研修を終えたばかりで、フリーで活動していく希望があった。
経験がないので、レベルは当然低い。全員が百を超えるこのパーティに所属させるのは、些か場違いなようにも思えた。
事情は話せないとのことだったので追及しなかったが、身分が高貴な方など、他のパーティに任せられない事情があるのだろう。ギルドマスターからの紹介でなければ断る案件である。
それで、それならアイシャを育てることをメインにのんびり活動しようか、と、方針が決まった。アイシャは申し訳なさそうにしていたが、キラキラ目を輝かせて、「早く役に立ちたい」と笑った。
はじめは簡単なクエストから。兎に角アイシャのレベルをある程度まで引き上げた。一丸となって育てたせいか、アイシャのレベルが五十になる頃には、すっかりアイシャはパーティの中心にいた。
アイシャはとても可愛い。
パッチリとした大きな瞳に長い睫毛。瞬きするたびに睫毛の影が動いて、一瞬息を止めてしまう。すっと通った鼻筋に肌は白く、上気しやすい頬は愛らしかった。ぷくりとした唇は常に瑞々しく、形がとても整っている。その唇がゆっくり動いて綺麗な声を発すると、途端に視線が唇に向かってしまうので、いつも注意深く目元を見ている必要があった。
腰ほどまである長い金髪は、クエストに行くときはいつもポニーテールにされていた。ただ、そのせいであらわになったうなじの白さや細さなんかに、クエストに集中できない者が続出したので、クエスト中は首筋を隠せる服を着ること、という決まりが出来た。アイシャはきょとんと眼を丸めていたが、特に疑問を呈することもなく了承した。
治癒術師としてのアイシャの腕前は至って普通だった。
アイシャの前に所属していた治癒術師の腕が良かったので、実力としては雲泥の差だ。
とはいえ、治癒術の腕が平凡でも全く問題はなかった。
王国五本の指に入るほどの上級パーティで、そもそも中級クエストまでなら怪我をしない。上級クエストで負傷は発生するものの、余程の事でなければヒールで十分足りていた。そして、アイシャはヒールが使える。
パーティの誰もが、きっとアイシャより腕の良い治癒術師は沢山いるし、教会から紹介を受けることも容易いと理解していたが。誰もアイシャに不満は抱かなかった。
アイシャの事を全員で可愛がっていた。
パーティの目的に「アイシャを護る事」が付け足されるのも自然なことだった。
ドラゴン討伐クエストは上級パーティしか受注できない緊急クエストである。
南西の森に出現したドラゴンについて、討伐可能地域にいたのはこのパーティだけだった。
普段なら十分な準備期間を設けるが、今回はそうもいかない。進路の先に王都があって、ドラゴンは留まらずに進行していた。
対策が不十分な状態は泥沼の戦闘を引き起こした。普段の連携を放り投げて、死にかけるまでドラゴンに立ち向かい、死にかけそうになったらアイシャのもとへ這って行く、ゾンビアタック作戦が始まったのだ。
視界が白で埋まった瞬間、バキン、バキン! と激しい音が響いた。
バリアが割れたせいで重たい魔力に体が押しつぶされる。視界がなく状況がわからないが、感覚で全員が倒れ伏しているのを感じた。
(アイシャは……)
アイシャは無事だろうか。
首を向けると、アイシャは真っ白な光に包まれて、それをはねのけるように、全身から何かオーラを出していた。それが魔力だと気づくのに数秒を要する。
「みんな……!」
悲痛な声を上げてアイシャが走り寄ってくる。ヒールを手あたり次第かけていくが、誰も、ピクリとも動けない。じりじりと皮膚から焼けていく感覚が恐ろしい。
「そんな……みんな……許せない!」
熱を持った背中をアイシャの掌がそっと触れて、すぐ傍で立ち上がったのが見えた。オーラがどんどん強く広がっていく。アイシャを中心に、風景を取り戻していた。不思議な心地でそれを見ていた。
ドラゴンの咆哮に合わせるように、アイシャが腰の剣を抜いて空を切った。
ブォン、と。
留まっていた白い世界が弾けて消える。急に視界が良くなって、焼けつくような感覚が消え失せた。体にのしかかる重みもない。
「……アイ、シャ……?」
よく見えるようになったアイシャも、全身が傷だらけだった。
全身を火傷しているのがわかる。美しい金髪が焦げついて、全身からふわりと煙を漂わせていた。布面積の多くごつい治癒術師用のローブが焼けて、動きやすくなっている。覗いた足は細く白く、そしてやはり、真っ赤に火傷を負っていた。
「アイシャ……!」
それでなお、ドラゴンに立ち向かおうとしている。
いけない、と、体を起こそうとした。剣を地面に突き立てて魔力をひねり出そうとするが、体内の魔力はすっからかんだ。防衛本能として体の防御に充ててしまったらしい。
「や、めろ、アイシャ……逃げ……!」
ドラゴンがもう一撃、あの魔力弾を放てば全滅する。幸いなことに、片眼と片翼をつぶせているため、動きは遅いだろう。アイシャはすぐにでも逃げるべきだった。仲間など捨て置いて、逃げて欲しかった。
なのに、アイシャはこちらを見ただけで、逃げようとはしなかった。
「いつまでも未熟で……本当にごめんなさい。でも……でも、」
スラリと剣を構える。治癒術師が護身用の武器を持つことは珍しくない。アイシャは最初から剣を持っていた。
「あれを倒すことなら、できるから。待ってて。すぐに、助ける」
まっすぐと、アイシャの構える剣がドラゴンを捉えた。全身から立ち上る魔力はドラゴンに劣らぬほど強く、大きく、優しい。
「アイシャ……?」
誰かがアイシャの名前を呼ぶ。アイシャは申し訳なさそうな顔をした。
「アリシア・コーウィン、参ります」
すっと、アイシャの姿勢が低くなる。聞き覚えのない名前の名乗りに、えっと声を上げる間もなく。
アイシャの体がぶれたように消えた。瞬間現れたのはドラゴンの鼻先で、何が起こったのかわからない。ただ、
(……アリシア・コーウィン……?)
王国で、その名を知らない者はいない。ただ、その顔を知っている者も殆どいなかった。
三人いる剣聖の内、史上初の女性の剣聖。そして。
(アリシア・コーウィン……公爵令嬢?)
全身の痛みも、倦怠感も、全て忘れてアイシャの姿に魅入った。あの細身の剣が軽々とドラゴンの鱗を突き抜ける。
断末魔。ガアアア、と、顔を突き刺されたドラゴンがのたうち回って、その巨体がゆっくり傾いだ。
ものの数分で、パーティを全壊しかけたドラゴンが轟音と共に倒れ伏す。
勝ったのだ。アイシャ、一人の力で。
「……みんな、大丈夫!? えっと、ヒール……じゃなくて、ハイヒール! ハイヒール!」
駆け寄ってきたアイシャは片端からハイヒールをかけた。それで、そういえば、だれだけヒールを連発してもアイシャが魔力切れを起こしたことはなかったな、と思い出す。
治癒術の才は凡人だとしても。
「アイシャ……君は……」
ハイヒール! という高い声と共に、即座に全身の怪我が治っていくのを感じた。呆然と彼女を見上げる。
アイシャは困ったように笑みを浮かべて、「秘密、だったんです」と言った。
「でも、ここではただのアイシャです。ちょっと治癒術が使えて、ちょっと剣が使えるだけの」
ね? と。すっかり回復した仲間と顔を見合わせて、誰ともなく頷いた。
アイシャがアイシャであることに間違いはない。治癒術と剣聖の二刀流だろうが、全く問題にはならない。
「それで、その、まだ、このパーティに居させてもらえますか……?」
恐る恐る問うたアイシャに、「勿論!」とは全員が食い気味に頷いた。不満など何もない。アイシャはほっとしたように笑みを浮かべた。「よかったぁ……」と。
その笑顔が見られるのなら、もう何でもいいや、なんて。
思ったのはきっと全員一致だった。
二刀流の姫君 佐古間 @sakomakoma
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