豆腐スイーツのお話

玉椿 沢

豆腐スイーツのお話

 夜明け前の町を行く二人連れは、傍目はためから見れば奇妙だったかも知れない。


 一人は老爺ろうや。トラウザーズとポロシャツの上からテーラードジャケットを羽織り、禿頭とくとうをハンチング帽で覆った60代をいくらか超えたであろう男だった。


 もう一人は二十歳くらいに見える女。ロング丈のキュロットとチュニックトップス、足下はチャッカブーツという格好は、洒落しゃけとは無縁ともいえるが。


 冬から春へ向かう時期であるから、夜明け前の空気も幾分、軽い。


 そんな空気だからか、女の方は歩いたまま耳にスマートフォンを当てていた。


「はい。遅くなりましたけど、無事に終わってます」


 通話している内容はメッセージでも事足りるような報告だが、話している女と老爺にとっては、この空気の軽さが原因だとでもいうだろうか。


 軽く、肌寒いよりも爽やかだという雰囲気が、メッセージよりも幾分、無味乾燥と感じにくい通話を選ばせた。


 ――お疲れ様。山脇やまわきサンも、杉本すぎもとサンも、怪我はないかネ?


 通話先の女も、あごを殆ど動かさないで発声しているかのような不自然に高い声であるから、若干、わかりにくくはあるが、心配しているような口調だったが。


「怪我はないですが、車が動かなくなってしまって。ヒューズが飛んでるのを杉本さんが確認してくれました。サイコさん、夜が明けたら人を寄こして下さい」


 通話している女――山脇やまわき孝代たかよがそういうと、通話先にある女は短く舌打ちした。


 ――運転してた野は山脇サンだネ? 名車を壊した訳ダ。


 老爺――杉本時男の愛車は、六気筒ボクサーエンジンを積んだ名車レガシィ。新しいとはいえないが、時男が大切に手入れしているのだからオンボロとは無縁の愛車だ。


 とはいえ、舌打ちの理由は、自分をサイコというあだ名で呼ぶ事に対しても含まれているのだろうが。


 通話先の女――矢野やの彩子あやこは、何度か舌打ちを繰り返していた。


「まぁ、私ですけどね」


 彩子に対し、孝代はフンと強く鼻を鳴らし、


 ――スタッフが出勤してきたら伝えておくヨ。こんな朝早くまで、お疲れ様。


 彩子は対抗するように、ククッと喉を鳴らした。


 それが少々、癪に障ったらしい孝代は首を傾げ、


「そういえばサイコさん。朝早くまでかかったのに、こんな遅くまで仕事してたっていうの、何ででしょうね?」


 ――相変わらず、どーでもいい事が気になるようだネェ……。


 通話であるから、時男にまで彩子の声は聞こえていないのだが、時男も彩子が何をいったかはわかったらしい。


「そういう話ができるのも、無事という証拠じゃよ」


 好々爺こうこうやといった風な笑顔を見せる時男に、孝代も白い歯を見せて笑った。


 笑い、不意に足を止めた。


「何か、香ばしい匂いがしますね」


 どーでもいい事を気にすると彩子に言われた孝代の性格が、コンビニくらいしか開いていない時間帯に漂う匂いに気付かせた。


「あァ、豆腐屋じゃよ」


 時男が顎をしゃくった先に、昔ながらの製法で豆腐を作っている豆腐屋がある。


「大豆を煮る匂いじゃ」


 濃くなれば悪臭になるのだろうが、程好く鼻先をくすぐる程度の香りならば、孝代のいう通り、香ばしい香りになる。


「こんな匂いなんですね」


 初めて嗅いだと目を細めた孝代は、「あ」と短く呟いた。


「どうした?」


 時男が気にすると、孝代は時男の顔を見返して短く頷き、


「杉本さんも仮眠取る前に、軽く食べますよね? サイコさんも甘い物、好きでしょうし」


「うん?」


 豆腐屋と甘いもの――時男の頭では繋がらない。


 しかし孝代は何度も頷いた後、豆腐屋へ「ごめんください」と入っていく、


「おはようございます。寄せ豆腐ってありますか? それときな粉」


 作るだけでなく直売もしていいる店舗であるから、作業していた店員は早朝からの来客にも愛想がいい。


「はいはい、ありますよ」


 人の良さそうな「おばさん」という言葉そのままの店員だった。



***



「豆腐~?」


 夜明けと共に帰ってきた孝代が持って帰ってきたモノに、彩子は眉間に皺を寄せて出迎えた。


「寄せ豆腐です。型に入れる前の木綿豆腐で、おぼろ豆腐ともいいます。型に入れてないし、絞ってもないから、プリンみたいな食感なんですよ。ほらほら」


 カットグラスに寄せ豆腐を入れた孝代は、彩子の目の前でそれを横に振って見せた。


「これに、黒蜜きな粉ですよ!」


 黒蜜をかけ、きな粉をさっと散らした孝代は、もう一度、カットグラスを彩子の前に差し出す。


「お餅にかけても美味しいんだから、豆腐にかけても美味しいに決まってるじゃないですか。そしてお豆腐は高タンパク、低カロリー」


 寝る前に食べても太らない――とまでいうのは言い過ぎだが。


「それに、この見た目ですよ。いいでしょう?」


 時男にも振り向けるカットグラスには彩りがある。


「柔らかく、固まってない寄せ豆腐だから、こう……雲のような感じになって、そこに黒蜜をかけると、夜明けを待つ星空みたいに。そこへきな粉を振りかけると、星と月の光が金色になってるような――」


 そう熱弁を振るう孝代に、時男が相好を崩す。


「なるほど、なるほど」


 殊更、詩的な言い回しをしてしまうくらいに、孝代が作った寄せ豆腐は綺麗にもられている。型に填めた後の木綿豆腐ならば餅や団子のような外見になったであろうが、まだ絞る前の寄せ豆腐であるからこそ、きな粉で霞を纏った三日月を表現できる。


「春だからこそ霞……いや明け方だから朧に包まれた三日月じゃな」



「おぼろ月夜――」



 そこは彩子も認めるところ。


「細かなところが気になるのがあの警部、どーでもいい事が気になるのが山脇サンだけど、成る程、どーでもいい事じゃなさそうダヨ」


 スプーンを持った手を伸ばした彩子が、一口、おぼろ月夜を口に含む。寄せ豆腐を使う理由は外見だけでなく、香りもそうだ。絞っていない寄せ豆腐は、木綿豆腐や絹ごし豆腐よりも大豆の香りを感じられる。


「……おいしいね」


 ただ5文字で作られた一言が出てくる程、素直な味になる。

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