彼女の音色

砂鳥はと子

彼女の音色

 休み時間になると音楽室に二人のミューズが現れる。二人はフルートで美しい曲を奏でて、校内の生徒たちを魅了した。息のあった二人の演奏は見ている者を、聴いている者を惹きつける。


 私は今日も人だかりの後方で二人の演奏に聴き入っていた。今日の曲は有名なアニメ映画に使われた曲で、耳馴染んだ曲。


 その曲がフルートでアレンジされ、軽やかな音色を響かせる。


 演奏が終わるとたちまち大きな拍手が起こった。


 顔を上げた二人のうちの一人、はなぶさ先輩と目が合う。


 私は二人の女神、沢渡さわたり先輩と英先輩どちらも魅力的だと思うし大好きだけれど、どちらかと言うと英先輩のファンだった。 


 優しそうな沢渡先輩と比べると、英先輩はちょっととっつきにくそうな雰囲気だけれど、私はそんなところも大好きだった。


 当然のようにアンコールが起こって、沢渡先輩と英先輩が見つめ合い、アイコンタクトする。再び演奏が始まった。


 お昼休みのこの一時が私の楽しみであった。

 

 


 私が所属する料理部は今日は休み。そんな日の放課後は音楽室に向かう。すでに吹奏楽部の練習が始まっていた。


 その中にはもちろんフルートの音色が含まれていて、きっと英先輩もいると思うと浮き足立つ。


 私は壁にもたれてしばらく耳をそばだてていたけれど、突然音楽室の扉が開いて誰か出て来た。


 開いたままの扉から中を伺う。


 英先輩を探すけどフルートの一団の中に英先輩はいない。


 目当ての人がいないなら、ここにいても仕方ない。


 

 自転車に乗って校門を出る。長くゆるく続く坂を下って、その先には海がある。


 私は海の向かいにあるコンビニに自転車を停め、道路を渡って砂浜へと降りる。


 潮の匂いをまとった風が私の体の周りをすり抜けた。


 砂浜には、犬を散歩させる人、サーフィンをしている人。


 そして砂浜の片隅に座って海を眺める人。


 その座っている人の後ろ姿に見覚えがあった。何度も校内で見た後ろ姿。


「英先輩!」


 私は砂に足を取られながら駆け寄った。


 後ろ姿が振り向いてこちらを見る。


「⋯⋯いつも音楽室に来てる子? えっと名前は⋯⋯」


奈穂なほです。奈穂って呼んでください」


 どさくさに紛れて下の名前で呼んでもらおうという魂胆だ。


「ナホさん?」


「はい。英先輩こんなところで何してるんですか」


「気晴らし、かな。部活サボってて呆れた?」


「いえ、そんなことは。吹部は練習大変だって聞きますし、たまには息抜きしたくもなりますよね」


 私は英先輩の隣りに腰を下ろした。


「ええっと、私一年二組の川田かわだ奈穂って言います。いつも先輩のフルート聴きに行ってます」


「そう、川田奈穂さん、ね。私のフルートを聴きに来てるなんてわざわざ言う人初めて見た」


「えっ、そうなんですか? 先輩のファンたくさんいるのに」


「⋯⋯それは嫌味? みんなフルートを聴きに来てると言っても目当ては沢渡でしょう。あの子の方が断然上手いし、きれいな音だし」


「いえ、嫌味だなんて、そんなんじゃありません。私はいつも英先輩目当てです。私は先輩の控えめだけど、でも絶対に譲らないって感じの音が好きなんです」


「私の負けず嫌いなところ、聴いてる人にも伝わってるものなのね。何か恥ずかしいな」


 英先輩はそっぽを向いて、手に持っている小枝で砂にざりざりと意味のない線を引いている。


「ねぇ川田さん、ちょっと聞いてもいい?」


「はい、何でしょう。できれば名字じゃなくて下の名前で呼んでほしいです」 


「どうして? まぁいいけど。奈穂さん、あなたには沢渡の音はどう聴こえてるの?」


「沢渡先輩ですか? 何か常に堂々としてて、揺るぎない感じですね」


「なるほどねぇ。確かに沢渡は吹部のエースだからね。私より沢渡の音の方が魅力的なんじゃない? どう逆立ちしたって、私が沢渡に敵う所なんてないのだし。本当は奈穂さんもそう思ってるんじゃない?」


「どうしてですか? さっきも言いましたけど私は英先輩の音の方が好みです。何かこう、真っ直ぐに心を射抜くんですよね。先輩の音」


 これは嘘でもお世辞でもなく私の本音。


 だって私が惹かれたのはまぎれもなく英先輩の音なのだから。


「普通は沢渡の音の方に射抜かれるもんだけどね」


「どうなんでしょうね。英先輩の音が好きです。フルートが大好きって、溢れ出てる音が」


 私なりに英先輩の方が好きって気持ちを伝えたつもりだけれど、先輩は納得してなさそうに眉間に皺を刻む。


「フルートが大好き、か⋯⋯。あなたって音に鋭いのか鈍感なのかよく分からない人。私はさしてフルートなんて好きじゃないもの」


「あんなきれいな音色を奏でられるのにですか?」


「練習すれば私くらいの演奏なんて、簡単」


「そんな簡単にできるなら、お昼休み毎にあんなに聴きに来る人なんていませんよ」


「だから、あれはほとんど沢渡目当てで⋯」


 英先輩は立ち上がると波打ち際まで歩いてゆく。私も後追う。


「奈穂さんにこんな話をしてもしょうがないんだけど、私二刀流なの」


「二刀流ですか? 先輩剣豪か何かだったんですか?」


 そんな言葉を聞いても剣豪くらいしか私の脳には出て来ない。


「奈穂さんっておかしな人」


 何かツボにはまったのか英先輩が笑い出す。それは普段優雅にフルートを吹く女神とは違った、どこにでもいる高校生の姿だった。


 当たり前だけど、先輩だってこんな風に楽しげに笑うのだ。それを知れただけでも、何か得した気分。


「まったく。戦国時代じゃあるまいし、剣豪なわけないじゃない。私ね、子供の頃からピアノ習ってて、今でも通ってるの。だからピアノとフルートの二刀流」


 うーんと声を上げて先輩が伸びをする。


「私と沢渡は同じ中学だったの。あいつは子供の頃からフルート習ってて。私は何回か沢渡に呼ばれて発表会を見に行ったりして。でもうちの中学に吹部なくて。高校生になってやっと沢渡は吹部に入れたの。それで沢渡が『一緒に吹部に入らない? 音楽好きでしょ』って。私がピアノ好きなの知ってたから。ピアノを弾きたかったし、二つ返事で私も入部した。だけどね、吹部にはピアノのパートなんてないの。曲によってはなくはないけど、ピアノなんて必要とされてなかったの。だから、私は沢渡に言われるままにフルートを選んで」


 私の予想とは違う英先輩のフルートへの道が波音に混じって語られる。


「何となく同じ中学の出身ってこともあって沢渡とはニコイチ扱いで。でもいつだって私は沢渡の音になんて敵わないわけ。経験の差があるし、仕方ないけれど。いつもニコイチ扱いだけど、私は下手な方として見られてきた。本当はピアノが好きなのに。ピアノ弾きたいのに。フルートを吹いてもいつも沢渡の添え物。私の音色ってそういう気持ちが詰まってるの。楽しく愉快な音じゃないわけ。奈穂さんが感じたようにね」


 英先輩は腰を屈めると小枝で何かを描き出した。それはピアノの鍵盤だった。


「二兎追う者は一兎も得ずって言うじゃない。だから私のフルートもピアノもどこか半端で。時々それがやるせなくて、部活サボってるの」


 私は何と先輩に声をかけていいか分からない。先輩には先輩の悩みがあって。


 楽しくフルートを演奏していたのは嘘ではないと思う。けれど、私には伺い知れない色んな想いがそこにはあって。


「英先輩、私は音楽に詳しいわけじゃないから、よく分からないです。でも私が先輩のフルートが好きなことは確かです。先輩はピアノを弾きたいって気持ちで吹いてるかもしれないですけど、音楽が好きって気持ちはそこにあるから、それが私にも届いて、魅了されてるんだと思うんです。だから私は先輩のフルートは好きだし、ピアノだって聴いてみたいって思ってます」


「奈穂さんって物好きね」


 英先輩が空を見上げる。私も見上げる。


 青い空が何にも邪魔されることなく広がっている。とんびが遠くへ飛んでゆく。


 先輩のピアノはあの鳶みたいに悠々と舞うのだろうか。



 

 

 翌日のお昼休み。


 音楽室に行くと、英先輩と沢渡先輩がいた。何故か沢渡先輩は壁にもたれて隅っこに、英先輩はといえばピアノの前に座っていた。


「私は沢渡のおまけでフルートを吹いてるわけじゃないってことで、今日はピアノを演奏します」


 英先輩が有無を言わさぬ強さで言い放つと、鍵盤へと指を這わせた。そして演奏が始まる。


 力強い瞳と指の動きとうってかわって、ピアノから繰り出される音色はとても軽やかで優しい。包み込むような温かさで伸びやかに音が広がる。


 沢渡先輩は最初は驚いたように英先輩を見ていたけれど、途中から何かを祈るように聴いていた。私もただただ溢れ出る音に晒されて、聴き入った。


 自由に空を舞う鳥のような、そんなピアノだった。


 演奏が終わると真っ先に沢渡先輩が拍手して、他のみんなもそれに続く。


「あなたはもう私とはフルートは吹いてくれなさそうね」


 沢渡先輩が少し寂しそうに英先輩を見ていた。


「そんなことはない。ただ私はお昼休みくらい自分が一番好きなものに触れたいってだけ。それをね、沢渡にも他の人にも分かってほしかっただけ」


「それじゃあ、これからはピアノとフルートで演奏しましょう。もっと好きに勝手に自由に演奏したいって思ったから」


 沢渡先輩のその言葉に英先輩は笑顔を向けた。


 本当はピアノを弾きたいと言っていた英先輩。


 彼女はやっと自分の一番を手にできたのかもしれない。


 私は英先輩のフルートも大好きだったけど、今の自由を謳歌するようなピアノを聴かされたら、もうピアノ以外の英先輩なんて想像できなくなっている。


 お昼休みが終わりになり音楽室を出ると英先輩が私を呼んだ。


「奈穂さん、あなたに昨日あれこれ話したら何だか色々吹っ切れた。不思議ね。たったあれだけで。奈穂さんのおかげね」


「私は何もしてないですよ、先輩」


 笑顔の英先輩はそれはそれはとても素敵で。とても眩しかった。


 きっと明日も明後日も私は彼女の音を聴きに行く。自由を手に入れた彼女の音を。       

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