刀は春の光を受けて流れる
大垣
刀は春の光を受けて流れる
―桜の咲く季節、とある外れの川縁にて―
若者が一人、野武士と刀を交えている。
「無用な逆らいを。」
「舐めるな。」
若者はそういうと腰に差したもう一本の刀を抜いた。
「むっ二刀か。」
若者が脇差しで斬りかからんとすると、野武士は刀でそれを強烈に弾いた。脇差しは宙を舞って川へと落ちた。しかし若者はわざと力を抜き握っていた。予想外に大きく腕を振り上げてしまった野武士の腹を、若者は斬った。
「ぐふ…。」
野武士は血の流れ出す裂けた腹を抑え、うつ伏せに倒れ込んだ。辺りの河原の石が幾らか赤く染まった。若者は野武士が動かなくなったのを見ると、刀に付いた血を川で洗い野武士の着物で拭いて納めた。そしてもう一つの空の鞘を見て、飛ばされた脇差しを探したが辺りには無かった。
「しまった。川の中まで飛ばされてしまったか。咄嗟とは言えあの脇差しを囮にするとは。」
若者は川を下り脇差しを探すことにした。はらわたの出かかった野武士の死体は川へ投げ入れた。死体は幾度か回転すると、流れの中へ消えていった。
若者は下流へと歩き出した。
若者はまだ生まれた町を出たばかりである。町で若者は剣術を極めんと鍛練ばかりしていた。町は作物と交易に恵まれ栄えていた。しかしその町ももうない。あるのは流行り病に侵され肉の腐った死体の群れと、荒れた田畑や家屋のみである。烏は種よりも腫瘍の出来た人の肉を啄み、野良犬は腕を加えて駆けて行った。
脇差しはその町の娘がくれたものである。娘は鍛冶屋に生まれそして世にも珍しい女鍛治になった。気立ての良い女だった。若者はこの娘のことを好いていた。娘もまたそうだった。
若者は歩きながら川を眺めた。川は春の暖かい陽光を照り返して勢いよく流れている。人を斬る罪悪感の薄まった世には、さっきの野武士のように、その美しい流れに身を任せてしうほうが幸せかもしれなかった。
若者は脇差しを探し続けたが見つからなかった。川は次第に分かれるのを繰り返し、穏やかになっていった。若者は勘を頼りに早咲きの桜の咲く川沿いを歩いて行った。穏やかになった川には鴨が数匹浮かんでいた。鴨はぽちゃん、といって水面から消えると、しばらくしてまた水面に現れるのを繰り返していた。河原鳩は暖かな日に当たってまどろみ、若者が近づいても逃げずにいた。
暗くなってくると、若者はその日は諦めて近くにあった小さな堂に泊まった。古びた堂は木板の隙間から草が中まで好き勝手に伸び、観音像は無惨に倒れていた。
次の日も川の側で草木や巨岩の間などを若者が根気よく探していると、若者は自分が生まれた場所の近くまで来てしまってることに気がついた。若者はそこでふと思い、勝手知ったる川縁の道を走りだした。川はどんどん小さくなっていき、辺りは次第に山林へとなっていった。
若者が辿り着いたのは、その森の中で唯一開けた場所だった。ここは若者と娘が密かに会っていた場所である。そこには一面に大きな白い花を付けた白木蓮が広がり、その中心に小さく土が盛られている。土を盛ったのは若者である。そして土の下には娘が眠っていた。
若者は側の小川に、きらりと光る物があるのに気がついた。流された脇差しであった。
「そうか。」
若者は脇差しを拾い上げ着物で拭った。そしてその脇差しを鞘には戻さなかった。若者はそれを娘の墓の前に突き刺した。
「おぬしの刀はどうやらおぬしと一緒に居たいらしい。おぬしが打ってくれた最初で最後の刀。この乱世でもせめてそれだけは血で汚さずにいたい。それでもおぬしの刀はいつまでも俺の心に納めていよう。」
若者はそう言うと墓を背にして来た道を引き返した。
若者が後の戦で「虚ろ鞘」と呼ばれ名を馳せるはしばらく経ってからのことである。
刀は春の光を受けて流れる 大垣 @ogaki999
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