このウクライナ戦争における、理想の決着の仕方について

そーた

第1話


 今回ロシアとの間で起きたウクライナ戦争は、私たち人類にとって、非常に大きな意味を持っていると思えてなりません。


 非常に不謹慎な言い方をすると、この戦争は、ただ単に、"ありきたり"に終結させるだけじゃダメな気がするのです。

 この戦争の終結には、かなり壮大で、ドラマティックで、まるで映画かなにかだと思てしまうくらいの感動的な終わりを迎えなければならないと思うのです。

※この言い方は非常に不謹慎だと思いますが、その理由をこれから説明したいと思います。


 77年前に世界大戦が終結したのち、私たちはさんざっぱら"いわゆる"「平和の尊さ」なるものを唱え続けてきました。

 映画でも、小説でも、漫画でも、歌でも、どこに目を向けても、やれ世界征服を目論む悪の帝国がやっつけられたり、やれ「LOVE &PEACE」だったりと、もはやゲシュタルト崩壊してしまいそうになる程、「何が正しくて何が悪いか」についてを哲学してきました。


 まず、この点については大成功だと思います。


 もう今となっては、世界中のほとんどの人が──少なくとも大部分の人が──自らの良心に基づいて、物事を考えることができるようになりました。

 今や人民は賢くなったのです。決して、政府の言いなりなんかではなくなったのです。

 ※この点については、いま一度覚えといてください。この文章の後々に、かなり重要な部分になってきます。


 だから私は、よく巷で見かける歌詞やセリフのように、「なぜ人々は憎しみ合うのだろう〜」とか「暴力からは何も生まれない〜」とか、そんなありふれたことを今さら言うつもりはありません。

 そんなこと、ほとんど全員が分かりきっていることだからです。


 なのでこの戦争も、プーチン大統領一人だけが、「戦争したい」って言って始まったことなのです。

 それは、現在ロシア国民が、大規模に反戦デモをしていることからもわかると思います。(ちなみに日本とかアメリカとかならまだしも、ロシアでデモ行為を行うのはかなり勇気のいることです)



──さて、ここで皆さんに、考えてほしいです。



 この戦争の構図を、めちゃくちゃ乱雑に、かつ分かりやすくすると、


 この戦争は、「ロシアvsウクライナ」ではなく、「プーチン1人vs世界中の人々」という見方ができると思いませんか?


 私がこう言うと、たぶんすかさず、どこからかこんなツッコミが飛んで来るでしょう。


──いや、プーチン1人は言い過ぎやろ。少なくとも軍隊はプーチンの味方やん。


 まあ、もっともな意見だと思います。でも、あくまで単純に、単純に考えてください。そして素朴な疑問を感じてください。


 ウクライナで命を賭けて戦っているロシア兵たちは、果たして"喜んで"戦っているのでしょうか? そして、自分達の行為が果たして正しいと思っているのでしょうか?

 するとまたもやこんなツッコミが来ることでしょう。


──いやいや、軍の役目は命令に従って戦うわけやし、しかも命令に従わんかったら自分が殺されるやん。


──と。


 だから、そんな事は、分かりきっているんです。当たり前の話なんです。そして、なんともつまらない話です。


 だから先ほど言ったじゃないですか。


 「今や人民は、決して政府の言いなりなんかではなく、自らの良心に基づいて、物事を考えることができるようになった」と。


 逆の言い方をすれば、今まではそれが出来なかったから、トップ1人の「戦争したい」感情で国民たちは不本意ながらも戦わされることになってたわけです。


 だいたい、命令に従わなかったら殺されるって、いったい誰に殺されるのでしょうか?


 まあ、将軍にでしょう。


 じゃあここでまた素朴な疑問なのですが、兵士100人vs将軍1人は、いったいどちらが強いのでしょう?

 だいいち、その将軍もまた、「自らの良心に基づいて物事を考えられる人間」なわけです。


 そうなれば、いったい何を恐れるものがあるのでしょう?


 法律ですか?


 法律なんてものは、良くも悪くも簡単に破れるものなんです。


 大統領1人が、強引に法律を破ることが出来るのなら(ここではクラスター爆弾の使用のことなど)、ロシア人全員がロシアの法律を破ることなんて造作もないはずでしょう。


 ですので、これは決して「ウクライナvsロシア」の戦争なんかではありません。「世界中の人々(もちろん例外あり)vsプーチン個人」の戦いなのです。


 ここまで書いておいてなんですが、自分でもかなり現実離れしたような、浮き足だったような、お花畑な事を言っているのは、十分自覚しております。


 ですが、極限まで物事を単純に、あらゆる贅肉を削ぎ落として骨組みだけを考えた場合、これがもっとも自然的な理屈になるのです。



 そして私は、もし、人類が、さらに次の段階へと登りたいと思うのであれば、この(かなり矛盾した言い方であるが)自然的かつ現実離れした理屈を、現実にしなければならないと思うのです。


 そしてこれを達成するための、最大にして絶好の機会(ここもまた不謹慎)はこの戦争にあると思います。


 だから冒頭で書いたように、この戦争を、最大限未来へと繋げるには、かなりドラマティックな終わりを迎えなければならないと思うのです──


 例えば、いま現在、ウクライナで戦っているロシア軍が戦闘を放棄し、ウクライナ側へと寝返る。

 そしてロシアに駐在する軍、さらに反戦デモを取り締まっている警官隊も国民に味方をする。そして最後には、プーチンはひとり孤立し、こっぴどくやっつけられてしまう。


 こんな映画みたいなエンディングがもし、現実に歴史になれば、人類はさらに一歩、前進できると思います。

 神様に対しても、「俺たち人間もやればちょっとは出来るだぞ」っていうところを見せられるだろうと思います。


 もちろん、この結末にはたくさんの血も流れると思います。苦い鉄の味のする血が、たくさん流れると思います。

 ですが、これこそが、真に言われる『英雄的な死』ではないでしょうか?


 政府による曖昧な善悪の為に血を流すより、未来の人々へと正しき道を啓示する為に血を流すのです。


 この戦争で、もうすでに多くの人が犠牲になりました。先の世界大戦に比べると数は少ないかもしれませんが、人の命は数ではありません。人が死んでることには変わりないのです。


 なので、決して亡くなられた方達の死を無駄にしてはいけません。


 そして、これはプーチン氏にも言えることです。


 彼も我々人類が前進する為の、ひとりの重要人物なのです。


 必要悪という、なくてはならない存在です。


 彼は、人民に、人類に、こっぴどく、出来る限り情けなく、無様に、みっともなくやられてしまう事で、この重要な役を全うしなくてはならないのです。


 この戦争は、ただ単なる一国と一国の戦争で終わらせてはなりません。


 ちょうど良いところで停戦交渉──みたいな"ありきたり"な終わり方じゃダメなんです。


 この戦争で、私たちははっきりと示さないとダメなんです。


 「自分たちの運命は自分たちで決められるんだ」と。

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このウクライナ戦争における、理想の決着の仕方について そーた @sugahara3590

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