化けニャンコ屋敷でネコになる

無月弟(無月蒼)

化けニャンコ屋敷でネコになる

 化け猫屋敷と言う昔話を、ご存知だろうか。


 化け猫屋敷。それは熊本の根子岳にあるとされるお屋敷で、そこにはたくさんの化け猫達が暮らしている。

 そしてそのお屋敷に人間が迷い込んだら、化け猫たちはおもてなしをするの。

 だけど屋敷のお風呂に入ったり、出されたご飯を食べてしまった人間は猫になり、化け猫達にこき使われるのだとか。


 これは化け猫が普通の猫だった頃、自分達をいじめていた人間に対する復讐。

 幼い頃この話を聞いた時、私はとても怖くなって、当時飼っていた愛猫のニャン吉を大事にしようと誓ったものだ。


 だけど大人になった今なら分かる。本当に怖いのは、猫ではなく人間だってことを。


「うう~。ダメだ~、もう死ぬ~」


 終電を逃し、駅で一人佇みながら、私は悲痛な声をあげていた。


 どうして帰るのがこんなに遅くなってしまったのか。答えは簡単、残業が長かったからだ。


 毎日猫の手を借りたいくらい忙しい。

 先月の残業合計は百時間を越えていたし、このままじゃ死ぬ。死んじゃう。


 だけど上司にその事を言ったら。


「働かせてもらってるのに、文句言うな」

「お前の代わりなんて、いくらでもいるんだからな!」


 はいごめんなさい。私が悪かったです。


 とは言えこのままじゃ、本当にもうヤバいかも。

 昨日は二時間も寝てないし、今日はこれからどうやって帰れば良いのか。

 だけどそんな事を思いながら、駅を出ると。


「お嬢さん、泊まる場所をお探しですか? だったら是非、うちの宿にお越しください」


 不意に後ろから聞こえてきた声。

 振り返るとそこには着物姿の、若い男性の姿があった。


 しかも甘いマスクの結構なイケメンで、思わずドキッとしちゃったけど。

 宿の客引き? 何だか怪しいなあ。


「あの、私は」

「是非是非私どもの宿にお越しください」

「いえ、ですから」

「どうぞどうぞ、こちらでございます」


 抵抗する間も無く、手を引かれて小道へと誘われる。

 こうやって流されてしまうのが、私の悪い所だ。

 けどこんな所に宿なんてあるとは思えないし、もしかしたらヤバい人なんじゃ。と思ったら。


「え、なにこれ?」


 小道を抜けた先にあったのは、立派な日本旅館。

 なんで街ど真ん中に、こんなものが?


 呆気に取られていると、イケメンさんは更に手を引いて、旅館の中へと連れて行かれる。


「ここが理恵ちゃんのお部屋となります。それではどうかごゆっくり~」


 あれよあれよと言う間に立派な和室へと通されて、彼は出て行ってしまった。

 と言うか、あれ? さっきあの人、私の名前呼ばなかったっけ?


 考えれば考えるほど、不思議なことばかり。


 つい流されてここまで来ちゃったけど、これだけ立派な旅館だと宿泊費も高そうだし。


 今からでも遅くない。ちゃんと話をして、キャンセルしてもらわないと。


 部屋を出て、板張りの廊下を歩いて行く。

 それにしても、本当に広い旅館。まるで迷路みたい。

 どこかに従業員さんはいないかなー。ん?


 歩いていると、一つの部屋から光が漏れているのが見えた。

 そして何やら、話し声が聞こえてくる。


「ねえ、本当にやるのニャ?」

「もちろん。これは理恵ちゃんのためなんだニャ」


 え、私?


 今確かに、私の名前が聞こえた。

 その声はさっきのイケメンさんのものだと思うけど、何だか変わった訛りがあるような。


 不思議に思いながら、こっそり部屋の中を覗いてみると。


「女将さんには、バレないよう気を付けるニャ」

「ご飯の用意はボクの方でやっておくから、皆はお風呂をお願いするニャ」

「「「ニャン張るぞー!」」」


 目を疑った。

 だって。だってそこにあったのは。


「ね、猫が喋ってる!」


 隠れて覗いていたことも忘れて、声を上げる。

 だって部屋の中には可愛らしい猫ちゃんが三匹、ニャーニャー喋っていたんだもの。


 すると部屋の中にあった6個の目が、私へと向いた。


「ああー、見つかっちゃったニャー!」

「あわわ、ニャンてことだー!」


 途端に慌てふためく猫ちゃん達。

 だけどそこでふと気がついた。猫の中の一匹に、見覚えがあることに。

 それは焦げ茶色の毛並みの、日本猫。子供の頃、可愛がっていた愛猫の。


「ニャン吉!? あなたニャン吉でしょ。その額の傷、間違いないわ!」

「ニャ、ニャンのことかニャ? きっと他猫の空似ニャ~」


 明後日の方を向いて惚けたけど、怪しい。


 昔飼っていたニャン吉は、ある日突然ふらっと居なくなって、戻って来なかったんだよね。

 そのニャン吉が、どうしてここに? だいたい、なんで喋れるの!?


 分からないことばかりで混乱していると。


「あんた達、何をニャーニャー騒いでるんだい?」

「「「お、女将さん!」」」


 不意に後ろから声がしたかと思うと、騒いでいた三匹が猫背をピンと伸ばして姿勢を正す。

 私も何事と思い振り返って、息を呑んだ。


「きょ、巨大猫!?」


 そこにいたのは私より少し背が高く、割烹着を着ていて、まるで人間のように二本の足で立つ、猫だった。

 まるでファンタジー小説に出てくる獣人。いや、日本の昔話に出てくる妖に近いかも。


「ん、この子は人間じゃないか。あんた達、どう言うことか説明してもらうよ」

「ニャ、ニャ~」


 鋭い声に、ニャン吉達は力なく鳴いた。



 ◇◆◇◆



 さっきの和室へと戻された私の前には女将さん。それにあのイケメン従業員さんが、正座させられている。


 まず驚いたのは、このイケメンさんがニャン吉だってこと。

 何でもこの旅館は、小さい頃聞いた昔話に出てくる化け猫屋敷で、ニャン吉が人間に化けて私をここに連れてきたのだ。

 そしてその理由と言うのが。


「まったく、バカなことするねえ。お嬢ちゃん、ニャン吉はあんたに妖力がこもったご飯を食べさせて、猫にしてしまおうとしてたんだよ」

「ええっ!?」


 女将さんの言葉に、目を見開いた。

 それって昔話であったみたいに、猫にして働かせようとしてたってこと? 


「ひょっとして私、ニャン吉に嫌われてた? 猫に変えて、こき使おうとしてたの?」

「ち、違うニャ! ボクは理恵ちゃんが苦しんでいるのを、見てられなかったのニャ」


 泣きそうな私に、ニャン吉もしょんぼりしながら返してくる。


「ニャン吉はね、ここに来てからもずっと、あんたのことを見守っていたのさ。けどあんた最近、働きっぱなしでろくに食べない寝れないあんたを見て、心配になったんだよ。そこで猫にしてしまえば、もう働かなくてすむって思ったのさ」

「そ、そうだったの?」


 ニャン吉、いなくなった後も、ずっと見てくれていたんだ。

 なのにそうとは知らずに心配をかけていた自分が情けない。


 私もニャン吉もしょんぼりしていると、女将さんがパンパンと柏手を打った。


「はいはい、反省はそこまで。せっかく来たんだから、今日はもう泊まっていきな」

「で、でも私、金はあまり持っていません」

「安心しな、お代はタダで良いよ。あんた、疲れているんだろう。今日くらい猫の手を借りて、ゆっくりすると良いよ」 


 は、はあ。

 猫の手を借りるって、そういう意味だっけ? 


「もちろん猫にさせたりもしないよ。令和の化け猫屋敷はね、人間を丁寧におもてなしする化けニャンコ屋敷に生まれ変わってるんだ」


 化けニャンコ屋敷? 何とも可愛らしいネーミングに、思わず笑っちゃう。


「ほら、ニャン吉もいつまでもショボくれてないで。しっかりこの子の面倒見てあげるんだよ」

「わ、分かったニャ。理恵ちゃん、まずはお風呂に入って、疲れを取るニャ。ボクがお背中、お流しするニャ」

「え、ええー。ごめん、それはちょっと」


 そりゃあ昔は一緒にお風呂に入ってたけど、男の人に化けてる姿を見た後だと絶対に無理!


 結局お風呂は一人で入ったけど、それはそれは良いお湯で。

 そして、お風呂から上がったら、豪華なお夕食が待っていた。


「ふっふっふっ。実はボクは、板長をやっているのニャ。さあ理恵ちゃん、ニャン吉特性、『ぐっすり眠れる温か鍋』を、召し上がるニャ!」


 ニャン吉が出してきたのは、一人用の小さなお鍋に作られた、美味しそうな海鮮鍋。

 お魚やお野菜がグツグツと煮えていて、食欲をそそる。


「これは毎日忙しく寝る暇も無い、理恵ちゃんみたいな人がぐっすり眠れるようになる、妖力が込められた鍋なんだニャ。腕によりを掛けて作ったニャ!」


 得意気にグッと腕を出すニャン吉。

 猫が腕をふるって作ってくれたご飯。ふふふ、これが本当の、猫の手を借りるなのかも。


 そして一口食べてみてビックリ。世の中に、こんな美味しい物があったんだね。


「美味しい、美味しいよニャン吉!」

「理恵ちゃんに喜んでもらえて、ボクも嬉しいニャ~」


 最近は、栄養ドリンクやコンビニ弁当しか口にしていなかった。

 仕事仕事で、ほとんど寝てないしお風呂もシャワーだけ。ご飯もまともに食べていない。

 いかに不健康な生活を送っていたか、改めて思い知らされる。


「ニャン吉、私決めた。今の会社、辞めるよ。もうこれ以上、ニャン吉に心配かけたくないもの」

「本当ニャ? 良かったニャ~」


 人間らしい生活なんて、すっかり忘れてしまっていたけど、このまま無理し続けて早死にしても、バカらしいものね。


 そうしてこの夜は、ニャン吉が作ってくれたお鍋のおかげでぐっすり眠ることができた。

 一晩が何だかやけに時間か長く感じられ、翌朝には体力はすっかり回復。

 最高のおもてなしを受けて、屋敷を後にした。


「理恵ちゃん、疲れた時はまた来るニャー。いつでも猫の手を貸すニャー」


 見送ってくれたニャン吉。

 それから少しして、私は会社に辞表を出した。


 お前の代わりなんていくらでもいるって言ってた上司が慌てて、「考え直せ」って言ってきたのがおかしかったなあ。


 だけど私の意思は変わらず、そのまま退職。今は小さいけど、ホワイトな企業で働いている。


 ちゃんとご飯を食べて、しっかり寝る。これって、すごく大事だよね。


 ありがとねニャン吉。

 化けニャンコ屋敷に行って、猫の手を借りてのんびりした夜を過ごした結果。私は寝ることができる子、寝子ねこになったのでした。


 おしまい🐾

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