王弟殿下と転移者メイドのひみつの夜食
不屈の匙
じゃがいもとアンチョビのガレット
(お腹が減りすぎて、眠れない。……キッチンに行くか)
どうしても目が冴えてしまって、むくりと体を起こした。
日本から異世界に迷いこんだ私は現在、紆余曲折を経て立派なお城でメイドとして働いている。朝に寝坊して叱られるくらいならば、夜のカロリーには目をつむろう、と決心するのは早かった。まあ何度も経験した決心なので。
相部屋の子を起こさないように簡素なベッドを抜け出し、上着を羽織って指先には魔法の光を灯して、寝静まった城の地下を進む。
炉の落ちた石造りのキッチンは暗く、そして寒い。とはいえ、つまみ食いをしにきただけなのに暖炉に火をつけるのは流石に躊躇われた。指先の光を膨らませて天井に放る。
(パパッと作れるもの、あと温かいものがいいな。カップ麺があればすぐなのに)
ため息をついてもインスタント食品は時空を超えて手元に現れてくれはしない。
使用人が使っていい食材は昼間の調理で出た端材やあまりものと、ここエゼルディッチ王国でよく採れる芋各種、それと去年に作られた絶賛消費推奨の保存食。パンが余っていれば話が早かったのだが、今夜は残念ながら残らなかったようだ。
キッチンを利用するのは初めてではない。これまでもこっそり利用しているから、勝手知ったるなんとやら、何がどのへんにあるかはわかっている。
「誰かいるのか?」
「ひえっ!」
ごそごそと食料庫を漁っていると、背後から声をかけられて思わずビクッと肩を揺らした。
この時間帯にキッチンで出くわすのは初めてで、おそるおそる振り返ると、柔らかそうな金髪に深い湖をたたえたような瞳の男性がいた。見回りの騎士だろうか。刺繍の入った上等な服に、剣を腰にかけている。
「すまない、驚かすつもりはなかったんだ。お前はここで何をしているんだ? 見ない顔だが、名前は?」
「
名乗って上着の前をきつく合わせて目線をそっと逸らす。
下はパジャマパジャマしていないとはいえ寝巻きなので、異性に見られるのはちょっと……いや、だいぶ恥ずかしい。
今度からは面倒でもお仕着せになって来よう。誰も来ないと油断していた。だからこそ、私としてはこんな時間にうろついている相手のことが気になる。
「私か? 気分転換に妖精の噂を確かめようと思ったんだが、キッチンの場所がわからなくてな。誰か起きているなら光が漏れていたから案内してもらおうと思ったのだ」
「キッチンならここですが……。妖精の噂、ですか?」
「ほんとうにただの噂だぞ? 火を使った形跡はないのに、キッチンから生では食えない食材がすこし消えるから、妖精の仕業じゃないかってことらしい。妖精を見るとささやかな幸運にあやかれるというだろう? せっかくだから探そうかと」
この世界、妖精もいるんだ。明日にでも相部屋の子に聞いてみよう。
同僚たちの噂話は貴族の方々の恋愛ばかり。ここのところは王弟殿下が婚約破棄したとかされたとかで、ぜひ後釜やら愛人に! とかで盛り上がっていたような気がする。ちょっとギラギラしていてついていけないテンションだった。
遠い目をしていると、
ぎゅるるるる……。
と、タイミングよく腹の虫が鳴いた。自分の腹の虫かと慌てるが、今のは私の腹の虫ではない。
とすれば。必然的に目の前の美丈夫のものということになる。
案の定、というべきか。彼の目元ははっきりと赤らんでいた。肌が白いのでよくわかる。
「騎士さん、ご一緒にどうですか、夜食。今から作るところですけれど」
「レオでいい。いいのか?」
「素人の手料理でよければ。何か食べたいものはありますか?」
「ありがたい。そうだな……、温かいものがいい。普段は冷めたものしか食べられないから」
冷めたものしか食べられないってどういうことだろう……、と思いつつ、思いがけない共犯者を得て、うきうきと食材を見繕う。
「その手の中のものはなんだ?」
「アンチョビです。魚を塩漬けにしてさらに油に漬けて保存してるんですよ」
「私が普段食べていたのは魚のペーストだったのか。泉のように湧いてるものだとばかり」
「どんな泉ですか、それ」
「酒の湧く泉をドラゴンが隠しているという伝説があるのだ」
レオは一つ一つを指差してあれこれと興味深げに質問する。そのさまは子どものようで、丁寧に答えたわけだが。
もしかすると、彼はかなり上の身分の方なのかもしれない。やたら所作が綺麗だし、アンチョビは庶民や騎士であればおそらく知っていると思う。さっきの「冷めたものしか食べられない」発言も毒味済みの食事のことかも。
こちらの身分制度はいまいちピンときていないけれど、腐る手前の食材でこしらえた料理を提供したなんてバレたらもしかして後日怒られる案件だったりする……?
今日のことは全力で隠蔽しよう、そうしよう。
「今持っているそれはなんだ」
「
「芋か……」
「お嫌いですか? 美味しいのに」
「なんかボソボソしているだろう。不細工な見た目をしているのも納得した」
渋い顔に思わず吹き出してしまう。そんな親の仇みたいに睨まなくても。
よく手入れのなされた包丁で皮を剥き千切りに。細かく刻んだチーズとアンチョビ、ハーブを少々混ぜ、薄く油をひいたフライパンに詰める。
あとは焼くだけ。フライパンの鉄底に手を当てて、魔法で熱していく。
一定の強さで魔法を放出し続けるのはゲームのようで楽しい。なんとなく目が寂しいので、料理のときにはポワッとした光も一緒に出す。
「料理に魔法を使うのか!?」
「洗い物が減りますし、火を熾すよりも早いですから。あ、私が魔法が使えること、内緒にしていただけますか?」
「なぜ? というか、魔法が使えるなら魔術師として城に仕えた方が高給だぞ?」
「目立ちたくなくて」
ずいぶん驚かれたが、薪に火を点けてそれを維持する方が私には難しい。
風や水の魔法は掃除や洗濯で大活躍。魔法を使える人は少ないのか、私以外で使っているところを見たことがないのでこっそりと使っていたのだけど、思いきり人前で使ってしまった。
そーっと相手を伺うと、理由はわからないのだろうが、こっくりと頷いてくれた。
「器用なものだ。その腕なら魔法研究の第一線で働けるぞ」
「それは流石に無理でしょう」
感心したように褒められるとくすぐったい。お世辞だろうけれど嬉しい。
やがてフライパンの中で芋の水分と魚の脂がじゅうじゅう、ぱちぱちと爆ぜはじめる。チーズもとろりと融けだし、やがて香ばしくかおる。
大きめの皿にひっくり返して、ナイフで切りわけるともわりと湯気がふくらんだ。
これだけだと寂しいから、暖炉にかかっている完成間近のコンソメスープを少し拝借して温める。
コップ二杯分、蒸発したと言い張るには厳しいだろうか……? ええい、女は度胸。どうせだから豪華にパセリも振って、皿の横に並べた。
「芋とアンチョビのガレットとコンソメスープです」
「初めて見る料理だ。平民の料理か?」
「たぶん?」
こちらの料理事情には詳しくないので首を傾げるしかない。似たような料理ならあるんじゃないだろうかと思うが。
尋ねたのはレオなのに、あまり興味がないらしい。その視線は出来立ての、ほくほくと湯気を立てるガレットに注がれている。
「湯気が出ているな」
「出来立てですから、そりゃあそうですよ。チーズが固まる前に食べましょう」
「そうだな……、あっつ!!!!! 温かいと芋も美味いものだな。毎日食べたい」
「流石に飽きると思いますよ」
レオは目を輝かせて手早く祈りの言葉を捧げ、さっそく口に運んだ。が、大きく取りすぎた。ほろっと崩れかけたそれを慌てて口に押しこみ、ぎゅっと眉を寄せた。熱かったのだろう、少し涙目で口を押さえた。その隙間からはふ、はふ、と熱を逃して、飲み込むと満面の笑みを浮かべた。
口にあったようでなにより。二口目からは慣れたのか、フォークとナイフの動きは優雅なものだが、減るスピードが尋常ではない。
「秘蔵のワインを持ってくるべきだったな……」
わかる。これにはお酒が合う。
レオは悲しげに、あるはずもないグラスに伸ばして空ぶった手を見つめ、重々しく嘆息した。
「芋、美味しいでしょう?」と問い掛ければ、「芋を舐めていた、すまない」とガレットに真摯に謝っていた。愉快な人だ。
私も「いただきます」と呟いて自分の分を口に運ぶ。外は焦げたチーズが絡んでカリカリ、中はとろーりもっちりアツアツ。アンチョビの塩気と油分が芋によく馴染んで、素朴な芋に旨みを与えてとても美味しい。
またガレットを一口。そしてあることにふと気づいてしまう。食べる手が止まり、レオが不思議そうに首を傾げた。
「どうした、手を止めて」
「いえ、胡椒も合うのではないかと」
「……やれ。私が許す」
「いざ」
胡椒をかけた味を想像したのだろう。ごくり、とレオの喉が鳴った。絶対に美味しい。
都合のいいことに身分の高そうなレオの命令がある。これは胡椒を使うしかないだろう。
そっと立ち上がっていそいそとお高い香辛料などが収まっている棚から胡椒の瓶を取り出す。めちゃくちゃお高いらしいので、一粒だけ。砕いてふりかける。
「これも美味いな」
胡椒が入るだけで全然違う。チーズのまろやかさをそのままにピリリッと味を引き締めてくれる。
よっぽど気に入ったらしく、ガレットの七割がレオの腹に吸いこまれていた。
最後の一口は、胡椒を少しかけすぎてしまったのか、ちょっと舌がヒリヒリするが、シンプルなコンソメスープが優しく口の中を拭ってくれた。
「コンソメスープ美味しい。じゅわっとしてて」
冷えた身体に染みる温かさ。ほう、とため息がこぼれる。
コップに注いだコンソメは本職の料理人が作っただけあって絶品だ。野菜と肉の旨味がぎゅっと溶けこんだ味わいが優しい。
大満足だ。これで心置きなく眠れそう。
「お粗末様でした」と手を合わせて使った食器などを洗っていく。これも水魔法を使ったせいか興味深げに眺められて居心地が悪かったが、それ以外は特に何も起きずにお開きになった。
「実に美味かった。妖精も見れたことだし、私も戻るとしよう」
「えっ、妖精さん居たんですか!?」
「いたとも。それと、今夜のことは内密に」
「あ、はい、もちろんです」
「また夜食をするときは是非誘ってくれ」
「そうですね、機会があれば? 私も妖精さんを見たいですし……」
別れ際に「今夜のことは内緒にしよう」と約束するレオの目はいたずらっぽく輝いていた。願ってもないことなのですなおに頷く。
妖精さん見たかったなあ……、と思いつつ、私はレオにお辞儀をして自室に戻った。
妖精が自分のことだと気付くのは、ずいぶん先のことである。
そしてレオが王弟殿下だと気付くのは、もっと先のことである。
王弟殿下と転移者メイドのひみつの夜食 不屈の匙 @fukutu_saji
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