6

 領主が部屋に入ると、全員立ち上がって会釈する。領主とアクイラ、ヴルターは向かい合わせに座ったが、リラは男二人のソファの後ろに立ったままだった。領主の隣が空いていたが、そこに座ることを許されるとは思えなかった。

 導入の雑談をすることもなく、いきなりアクイラはバッグから紙とペンを取り出し、隠しながらなにか文字を書いて領主に見せる。それを見た領主は飲んでいた紅茶に噎せた。

「お母様、大丈夫ですか」

 駆け寄って背中をさする。落ち着いたのを見てほっとしたリラは向けられた文字に固まった。

『娘さんを俺にください』

「へ!?」

「リラ、あんたアクイラ様に何の入れ知恵を……」

「アクイラ様、これはどういうおつもりですか!」

 青い顔をした母親を跳ね飛ばし、机に手を突いてアクイラに詰め寄る。アクイラは顔を紙で隠し、照れながら糸で『本気だよ』と言った。

「はあぁぁぁ……お前は何でいつもそう直球なんだ」

 もっと前に言うことがあるだろ、とヴルターはまた頭を抱えている。

『説明とかするの面倒。俺喋るの大変なんだよ』

 新しく黄色の魔石を砕きながら糸で話すアクイラと内容についてはそこまで驚いてもいないヴルターの様子にリラはまさか、と口を開いた。

「元々そのつもりで西にいらしたんですか」

「ああ、領主の話はついで。アクイラにとってはな。俺はその話をしに来たけど」

「……リラ、どういうつもり」

 突き飛ばされたこととアクイラから求婚をうけたことに怒った領主がリラを静かに叱咤する。腰から上を折って謝り、先程までいたソファーの後ろに戻ると、話すのは面倒と言うアクイラの代わりにヴルターが昼間リラに説明したことをもう一度話す。領主は時折口の端をピクピク動かしながら黙って聞いていた。

「私は領主失格だとおっしゃるのね。でも西のことは中央や東には関係のないことでしょう、口を出さないでくださる?」

「関係あるから口出してんだ。東は毎年西からの移民がすげえんだよ。どうしたらこんな酷くなるんだ」

『西は貴女の領地かもしれないけど、それ以上にうちの国土だからね。忘れてないよね?今すぐ領地を取り上げたっていいんだよ』

 後ろ姿でも感じる威圧にリラはびくりと肩を震わせた。先程までの優しさや和気藹々とした明るく気さくな雰囲気は一瞬で消え、大人も顔負けするくらいの威厳を放っていた。それはしっかり者のヴルターよりもどこか抜けていると思っていたアクイラの方が強かった。やはり一国を束ねる王の息子であると言うことなのだろう。優しくて親しみやすかったアクイラが急に遠い人に思えた。

 領主はアクイラの脅しに奥歯を噛んだ。

「ならば、これから私達の富を民に分け与えればよろしいでしょう、かつてエース様が教会の富を民に分け与えてくださったように。なにも領主を交換する必要はありませんわ」

『ふーん?』

 領主を長女のレーナではなく次女の、それも覇気がなくいじめの対象のリラに奪われることに耐えられずその場しのぎで出した口先だけの案が通ったことにつかの間安堵の表情を浮かべた。そして、それはすぐに怒りに逆戻りした。

『……貴女はまだ信用があると思っているんだね』

「なんですって」

『リラが帰ってくるまで西は東のフェルナンデス家が統治する。これが父上のお考えだ』

 ポーチから一枚の羊皮紙を出し、広げて領主に渡す。国王直筆のサインが入った本物の令状だった。

「なんて勝手なことを……ここは私の土地ですわ、何年もカンデラリア家が統治してきた、伝統のある……」

「東のフェルナンデスは二百年ちょい、北のフリースヴェルグは今はいないが四五十、グティエレスは六百年で南のアークトゥルス家は千年だ。伝統のある?カンデラリアは統治初めて何年だ?三十年もいってねえだろ」

『よく考えてものを言うことだね』

 カンデラリア家ができたのはフェルナンデス家より百年は後のこと。抗争をしていたクレベランディ家の統治時代を含めても一番新しい家なので、伝統と言う言葉はカンデラリア家にはふさわしくない言葉であることは明白だ。

 しかし、この家はその言葉をよく口にする。それはその領主というプライドの高さ故だった。

『……答えられる限りの質問には答えるけど、俺は王命を伝えることくらいしかできない。これを覆したいのなら、正式な手続きを踏んでね』

「さては飽きたな、アクイラ」

 背もたれに体を預け、後ろにいるリラに糸で作ったリスを差し出す。受け取った小さなぬいぐるみを人差し指で撫でると、リスはリラの手に頭を埋め小さく鳴く真似をした。

『うん、疲れた。それで、質問は』

「……リラは帰ってくるまでどれくらい?」

「さあ、どれくらいがいい?」

「ずっと帰ってこなくて結構ですわ。こんな布きれに奪われるくらいなら」

「嫌われてんな。すぐ帰ってこようぜ」

 リラは下を向いて一心にリスを撫でている。本気で飽きたアクイラはポーチから青く大きい、手のひらサイズの魔石を取り出た。それから、それを少し力を入れて砕くと右手の中指のはまっている指輪に軽く唇をつける。ヴルターもため息をつき、同じように右手のブレスレットについているオレンジ色の石に下唇をつけた。

「もうちょっと辛抱強くならねえのか……」

『もう話は全て終わったよ。これ以上意味のない会話をしたくない』

 立ち上がり、会釈をして客室を出て行く二人にリラは無言でついて行った。リラが領主の横を通り過ぎるとき母親は娘の腕をつかんだ。

「リラ、あんたまで領主になるとか馬鹿なことを言わないでしょうね。王様に断ってきなさい。あんたにはこの尊い地位は務まらないわよね?」

「やめて、離してください」

 リラは思いっきり腕を振って母親から逃れようとしたが、あまりに強くつかんでいてそれが叶わなかった。口から声の形を成さない悲痛な音が漏れている。

『嫌がってるでしょ。離して』

 アクイラが領主の腕をつかんで叱咤する。リラを捕まえておけばまだ抗議する時間ができるとでも思ったのだろう、痕ができるほど強く握るまでは意地として離さなかった。

「しっかりしろリラ!」

 手から解放されたリラは過呼吸になって床に座り込んだ。

「そんなところで座り込むんじゃないわよ、汚らわしい!」

 ヴルターが駆け寄るよりも早く領主が怒りのままリラに中身の入ったカップを投げつけると、アクイラの手を振り払い、駆け寄ろうと部屋に入ったヴルターをはねのけた。ようやく素の領主が姿を現したのだ。彼女は我に返り、足音を大きく立てながら客間を出て行ってしまった。

『リラ、しっかりして』

「とにかくここを早く出た方が良いだろ、ここで休んでいたら何されるかわかんねえ」

 二人が頷くと、ちょうど玄関のあたりからバサバサッと大きな音が聞こえた。城全体が小さく揺れ、機嫌の悪そうな猛禽類の鳴き声が耳をつんざく。

『ごめんね、後で何されたって構わないから、今だけは許して』

 つぶやくように糸を繰って文字を作ってからリラの肩と足に手を回し、抱き上げて玄関の方へ走る。二人分の荷物はヴルターが全てまとめて持ち、手が空いているにもかかわらず客室のドアを足で乱暴に閉めた。

 正面玄関を開けると人間の背丈の何倍もある大きな鷲が二羽止まっていた。片方は落ち着きがなく、ヴルターの姿を見ると嘴で荷物を引き剥がして背中に放り投げる。最後にヴルター自身を咥えて首を大きく振って空中に投げ、城と隣にいる鷲を大きく揺らしながら飛んで足で乱暴につかんだ。

「荷物と俺の場所逆だろうが!着いたら焼き鳥にすんぞコラ!」

 アクイラはおとなしい方の鷲の頭を撫でてから更にひとつ石を割り、少し太い糸を使ってリラを背中に寝かせた後によじ登った。鷲はアクイラが登りやすいように体勢を低くしてくれる。

「中央へ」

 アクイラがそばにいなければ聞き取れないほど小さな声で鷲に目的地を伝える。今はアクイラが乗っている鷲の神獣以外誰もその声を聞いていなかった。鷲は耳が壊れない程度の大きさでひと鳴きすると大きな翼を広げ大空に舞い上がった。


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