3

『まず涙を拭きなよ。これ使って』

 白髪の方、アクイラは急に背筋を伸ばしスカートの裾を摘まんで礼をするリラに文字を書いたノートとハンカチを見せた。

「めんどくさくてごめんな、こいつ声出なくてさ」

 ヴルターがアクイラの肩を軽くたたいてはにかむ。アクセサリーや気品こそ貴族のものだが、二人の服は擦れて痛み、汚れているところもあった。アクイラの仕草には見惚れてしまいそうな優雅さがあるが、二人とも同年代の庶民と大差ない気楽さを持ち合わせていた。そういえば半年前から旅をしているのだと聞いた。

「ありがとう、ございます。いらっしゃると分かっていたら姉様や母様にお伝えしましたのに」

 受け取ったハンカチで赤い目を拭きながら震えた声で礼を言う。帰ったら貴女みたいな恥さらしが会うべき人じゃないと言われるだろう。だから、この二人が来たことは知られたくない。

『城に案内してくれる?君はリラだよね』

 新しいページいっぱいに書かれた文字に顔をこわばらせるが、今は王子ではないとは言え国王の息子であるアクイラに逆らえず反射的に頷いた。

『父上から言伝を預かっているんだ、だからお母さんに会わせて』

「それはついでだろ……」

『ねえ黙っててよ』

 アクイラはむっと口をとがらせる。それは欺している顔ではなく、何か楽しい悪戯をばらされてしまったかのようだった。楽しそうな二人の様子にリラは少し微笑むが、城に二人を招きたくなくてきつく唇を結んだ。

 城へは歩いて行くことにした。どうせ迎えの馬車なんてくるわけがないし、なるべく城に着くまでの時間を遅らせたい。そして、アクイラとヴルターが街を歩きたいと言い出したのが決め手となった。

「ここのベリーはとても美味しいんですよ」

 西の特産である野菜や果物の店は遠く離れた中央の城の前の市場でもよく見られるが、ここでは産地なだけあって中央とは比較にならないくらい多くの品物が売っている。二人は店や街を紹介していくリラの後について色とりどりの品物を珍しそうに眺め、帰りに買うものの目星をつけながら歩く。そして西以外の貴族の姿を見に来た人に笑顔で手を振っていた。

「ごめんな、後で握手でも何でもしてやるから今は俺らの話に集中させてくんね?」

 話しかけてくる人々を適当にあしらい、ヴルターはリラの隣に駆け寄った。

「お前、その痣大丈夫なのか?」

「え、痣ありますか?」

 鏡を見て完全に消えたことを確認していたはずなのに。腕や足を見て、やはり傷などないことを確認する。背中までは分からないがこれも朝鏡で見ておいた。

『体中にあるでしょ、隠してるんだろうけど』

 右側から差し出されたスケッチブックに書かれた言葉にドキリとする。どうして分かるのだろう。アクイラはとても心配そうにリラの言葉を待っていた。

「見間違いです」

「どこが見間違いだよ」

 少々キレ気味なヴルターが左手をつかむ。その瞬間リラは悲鳴を上げて手を振り払い、おびえたように道の端に座り込んだ。

『ヴル、だめだよ』

 突然のことに理解が追いつかないヴルターをアクイラがのんきに咎める。そして座り込んだリラに心配そうに手を差し伸べた。しかし、リラはその手も怖がり拒絶する。困った二人はどうすることもできず、顔を見合わせてリラから少しだけ離れたところで見守ることにした。

 周りの人々に助けを求めるが、誰もリラが人に対してこんな反応をすることなど知らず、問いかけても全く分からないと困惑する。男性が怖いのかと思い近くの八百屋の女将に声をかけてもらうことにしたが、その人のことはアクイラやヴルターの時よりも更に恐れ、ついに気を失って倒れてしまった。

『ヴル、城に連れて行くのは……』

「やめた方が良いだろ、目を離したらあいつに何されるかわかんねえ。近くで休める場所を探してくるよ。アクイラはリラを見てろ。触んじゃねえぞ」

 頷いたアクイラはリラの隣に腰を下ろす。田舎に医療の心得があるものなどいないため、アクイラ達の力になろうと寄ってきた野次馬達もどうすることもできず散り散りになっていった。

 数分後、近くに宿を確保したヴルターが戻ってくる。リラは意識を取り戻し、アクイラの隣に妙な距離をあけてぼうっと座っていた。

「ご迷惑をおかけしました」

 リラは座ったまま二人に深々と頭を下げる。そして、誰の補助も必要とせず一人で立ち上がると、ご案内します、と腕をさすりながら城の方へ歩いて行った。

「待て」

 引き留めるために右手をつかもうとするアクイラの手を叩きリラとの間に立った。そして、声の出ないアクイラの代わりに声をかけてリラを引き留める。振り向いたリラは行かないのですか、と首をかしげた。

「無理すんな、休もうぜ。それから何があったか聞かせてくれねえか」

「しかし、早く帰らなければ城の皆に心配をかけてしまいます」

「俺達のせいにして良いから」

「でも……」

 帰りたくないのは確かだが、帰りを遅くすればするほど痛い目にあう。人のせいにしても罪が軽くなることはない。むしろ重くなるだろう。

「大丈夫だよこいつが守ってくれる」

 親指を立てて、もう片方の手でアクイラの肩を叩く。え、俺?と言いたげにアクイラが自分を指さした。そして小さく首をかしげながらノートに言葉を書き、それを掲げて『任せて』と胸を張る。

『絶対守るから』

 真剣なアクイラの表情に、リラは少しだけ希望を感じてしまった。本当になんとかしてくれるかもと期待して、「お願いします」と頭を下げる。二人は顔を見合わせ、笑って任せろ、と答えた。




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