4
三人は宿で少し休むことにした。宿は小さく、庶民向けの家庭的なものだったため、主人は突然訪れた貴族と王族に腰を抜かしそうになっていた。
各々オーナーおすすめの軽食を頼んだ三人は、それが届くまで待っていることにした。アクイラがノートを広げる。言葉が見やすいようにアクイラの正面にヴルターとリラが座った。
『まず俺達の話でもしようか』
気を遣った二人はリラ自身のことを聞こうとせず、雑談をすることにした。
「聞きたいです、お二人の話。それに、こんな所までどうして」
ひとまず家のことを考えなくて良くなり、すっかり機嫌を直したリラが目を輝かせる。呆れたヴルターの落ち着け、の声に苦笑して椅子に腰掛け直し、アクイラの続きの言葉を待った。
『俺達は旅をしているんだ。世界中をね』
「半年前のお話は耳にしました。母様と姉様にはまだ伝えていませんが……」
『え、伝えてないの』
「聞いてくれないので」
「ふうん……」
領主に話が伝わっていないことに驚いた二人は目を丸くして首をかしげる。そしてアクイラはヴルターにしか見えないように何かを書いて見せていた。ヴルターがニッと笑って親指を立てる。アクイラもそれに応えた。
『そういうわけで俺、今は貴族じゃなくて平民なんだよ。ヴルのほうが立場上』
「平民らしいことなんて全然してないくせによくゆーわ」
足癖の悪いヴルターが日に焼けた足を椅子の上に載せて頬杖をついた。リラは態度の悪い東民から少し距離を置いた。
「散々、とは?」
首をかしげる。ヴルターはアクイラの方を見て、にやりと笑った。最初は何故笑ったのか分からなかったアクイラだが、知られたくなかったことを次々暴露されるうちに顔を真っ赤にして腕を引っ張ったり肩を揺すったりして止めようとしていた。
「最初は金の使い方が分からなくて盗んだだろ、服着替えられなくて絡まってたし……ああ、着替え用意しないで風呂行ったこともあったな。それに、痛えよノートで叩くんじゃねえ!」
『やめてよ、俺それ全部知らなかったんだから仕方ないでしょ。それに今はもうやってないよ!』
黒歴史を暴露されたアクイラは立ち上がり、ノートで頭を叩くと椅子にもたれかかってノートで顔を覆った。
「一緒にいた俺が一番恥ずかしかったわ……俺は東の領主になる権利があるんだけどな、その前にまず王子に付き添って勉強して来いって言われてこいつの所に行ったんだ。そしたらこいつ誕生日に追放されてるし何もできないダメ人間だし、領主になるためのノウハウを教わるつもりが俺がものを教えることになってたんだぜ?おかしいだろ」
『そんなこと思ってたの』
両手を広げて愚痴るヴルターと目を丸くするアクイラ。そしてちょうど軽食を持って部屋に入ってきたオーナーの笑い声におかしくなって、三人で顔を見合わせて笑った。
オーナーは野菜のスティックと衣をつけて揚げた赤い果実をテーブルに置き、恭しく一礼した。そして、料理に目を輝かせているリラを向いて深く頭を下げた。
「リラ様には大変失礼なことを致しました。申し訳ございません」
「え?」
オーナーは床に手をつき、先ほどの演説で真っ先に暴言を吐いたと告白した。話を聞くと、カンデラリア家の裏手に畑を持っていて領主による迫害を一番に受けていたという。妻はそれで心を病んでしまい、今は城の人間とは無縁な職業に就いているそうだ。
「そんな、謝るのは私の方です。私にもっと力があれば止められたのに……」
怒ると思っていたオーナーは、予想に反して頭を下げるリラに驚いて口を開けていた。数代前からカンデラリア家の人間ならば暴言を吐いたことを告げたら激怒する。それどころか、身分が自分より低い人間が話しかけただけで機嫌を悪くした。
小さな宿屋に足を踏み入れ綺麗ではあるが決して煌びやかではない椅子に腰掛けて楽しそうに笑う少女は、あの城から来たとは思えない良心的な人間だった。
「貴女は少し違うようですね」
仕事があるのでこれで、と部屋を出て行く主人にアクイラは手を振った。
『リラ、君のことを教えて』
真面目な顔でリラを見つめ、宿に来てからずっと脱線していた話を戻す。顔が少し曇ったが、取り乱すことなく少しずつ家の者に虐げられている事実を話した。
「でも、触れられるのが嫌だとは思いませんでした。先ほどは本当に……」
「謝まんな。苦手なことが知れて良かったじゃねえか。これから気をつければ良いだろ」
アクイラとヴルターは神妙な顔で目を合わせ頷く。ヴルターが口を開こうとしたが、その前にアクイラがペンを走らせたため任せることにしたようだ。
『俺達はね、リラを旅に誘いに来たんだ』
「は?」
「え?」
二人の声が重なる。突拍子もない申し出にリラは何度も瞬きをし、ヴルターは自分の言いたいことを先に言うなよ、と頭を抱えていた。
「実は、俺達はお前のことを知ってて来たんだ」
頭を抱えたままヴルターが補足を始める。ついでアクイラも説明をし始めた。
『西は、領主のいない北を除けばこの国で一番荒れている。半年以上前から悩みの種だったんだ。それでイクスに調べて貰って君のことを知ったんだよ』
ヴルターがチラっとアクイラを見て苦笑いした。
「で、お前がまともそうだったからお前に領主になってもらいたいってわけだ。そのために色々知ってほしくてな。旅って言うのはそういうことだ」
領主になれとの発言にリラは顔をしかめた。急にそんなこと言われても頭が追いついていかない。アクイラの父の命と言うことはつまり王命であり、逆らうことは許されない。しかし重荷を背負って生きていけるとはとても思えなかった。そして、自分にはその資格がない。
「無理です!レーナ姉様ではいけないのですか、もしくはクレベランディ家の方とか……」
自信のないリラに苦笑しながらアクイラが首を振った。とっさに西のもうひとつの貴族であるクレベランディの名前を出したが、既に跡継ぎもいない廃れた一家であることはリラも承知している。自分よがりで話の通じないレーナが領主を継ぐ事が二人にとって都合悪いことも分かっていた。けれど、だからといって使用人以下の待遇を受ける自分がレーナや母親を差し置いて領主になるなんて考えられなかった。
「そういうと思ってリラに外を見てもらうために俺達はお前を誘いに来たんだ。考えておいてくれ」
『王命だけどね』
「まあそうだな」
「ええ……」
承諾とも拒否ともとれない微妙な返しをして窓の外に目を向ける。道行く人たちは皆それとなく暗い顔をしている。街の整備費は殆どカンデラリア家に吸い取られてしまって所々ひび割れたりでこぼこしていたりする。この街をまだ成人すらしていない気弱な少女の手で変えられるのか、不安でいっぱいだった。
『大丈夫だよ、リラは優しいから』
アクイラが励ますようににこやかに笑う。絹のような美しい笑顔で。
王子が大丈夫だというならそうなのかもしれないと妙にすんなり根拠のない大丈夫を受け入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます