最終話 黒猫のママ
今夜もル・ニドゥシャでは、客と女の子たちが歌い踊っていた。酒をのんだ黒猫も、客の前で陽気に腰をふる。
突然、ステージがパッとスポットライトでてらされた。
「なんだ?」
みな注目する。
ステージの上に、イレーヌが立っていた。その姿に、客も女の子も、ジョゼフも、黒猫も、目をひらいた。
イレーヌはスレンダーラインの黒いドレスをまとっていた。くるくるだった金髪を黒染めし、整えてている。ネイルも口紅も黒一色に統一していた。ハイヒールも漆黒だ。
ピアノの演奏がはじまると、黒のイレーヌは歌った。今人気の流行歌。黒猫そっくりの歌い方だ。
みんな客は釘付けになった。
ジョゼフがあわてて黒猫に、
「おい、どういうことだ黒猫。いくら娘分だからって、あんな格好させちまったら……」
黒猫はにっと口角をあげた。
「子猫、やってくれたね」
それから数ヶ月後。
ニドゥシャで、真っ黒なイレーヌが客と踊る。
客はイレーヌを取り囲んでいた。
「子猫、今度はおれとおどろう」
「うふ。順番にね」
しぐさもしゃべりかたも黒猫そっくりだ。
客は女の子たちと組みダンスをしながら、イレーヌを見つめている。
黒猫がある客の腕に、自分の細い腕をからませた。いつもの猫なで声を出す。
「ねえお客さん。黒猫とおどって」
客はふいっと顔をそむけ、黒猫からはなれていった。女の子たちも黒猫を避ける。
ジョゼフが黒猫に声をかけた。
「おちぶれたもんだな」
黒猫はそっぽをむいた。
この数ヶ月間、黒猫のまわりには明らかに人が集まらなくなった。客は若い女や新しいものが好きだ。年老いた古株の黒猫と、若い新参の黒猫では、どちらに分があるかは
横からダヴィドが現れる。
「おれは黒猫とも踊りたいよ。子猫は子猫、黒猫は黒猫。それぞれのよさがあるってもんだ」
「あんたの考えは知れてるよ。
ジョゼフはあわてた。
「おい黒猫、ダヴィドさんになんてことを……」
ジョゼフはダヴィドの正体を知らない。
ダヴィドは笑ったまま、「踊ろう、黒猫」
と、黒猫の手をとった。
音もなく、うしろからすっとダヴィドの手がさらわれた。横取りしたのは、黒いネイルのイレーヌの指。
イレーヌは猫なで声を出す。
「だんな。あたしを放っておかないで」
ジョゼフはたまげた。口調まで黒猫そっくりだ。
ダヴィドは気分がよさそうに笑う。
「おおう。困った子猫ちゃんだ」
イレーヌとダヴィドはクルクルと踊りだした。ボソボソ会話する。
「あの薬、もっとないの?」
「あるよ。安くしておく」
黒猫は黒い目で二人をにらんだ。
小汚い地下街に、ダヴィドのアジトがある。
タバコを吸いながら、ダヴィドはたむろする仲間たちと話していた。
「そっちはどうだ?」
「上上。上客ができた。あとは薬の値段をつりあげて、借金づけにしたら売春宿に売る。若いから値がつくぜ。ヴァイマルの最新型の薬はまだこの国じゃ麻薬にあたらねえから、警察もおれたちを捕まえられねえ」
ぎいっと扉が開く。ダヴィドも仲間も身構えた。
「だれだ?」
入ってきたのは、黒い女だった。黒のスレンダードレス。黒の口紅。真っ黒な髪。
「黒猫? なんでここに」
黒一色の女、黒猫は、細い腕に銃をぶらさげていた。
ステージの上で、黒一色のイレーヌはいつものように歌う。終わると
イレーヌは愛想たっぷりに投げキッスをする。
突然、店にどかどかと警官が入ってきた。店内を乱暴に調べ始める。
なにごとかと、客も女の子たちも騒然とした。
警官とともに、おどおどとジョゼフが店に入る。近寄り、イレーヌはたずねた。
「どうしたんですか?」
「たいへんなことになった。黒猫がダヴィドさんやその仲間たちを、銃を乱射させて殺してしまった」
「え……?」
イレーヌは、足元が崩れるような感覚におそわれた。
「どうして?」
「唯一残った客まで、おまえに取られるのがくやしかったんじゃないのか?」
「信じられない。あのママがそんなことで……。あたしのせいで……」
イレーヌは青ざめた。ジョゼフは首をふる。
「この街じゃ、そんなことを考える女がいたって不思議じゃない。みんなみずからのプライドをかけ、生活をかけ、命がけで客を相手にするんだ。いやならおまえさんは早く田舎に帰れ」
「いいえ。これはきっと黒猫のママがくれた最後のプレゼントです。黒猫のママは、あたしに最後の覚悟を贈ってくれたんです」
「子猫……」
「あの人はあたしのママでした。……でも」
イレーヌは黒のメイクをした目もとをぬぐった。そして、ダヴィドからもらったタバコのかけらを握りしめる。
「そんなものなくても、あたしはとっくにこの街だけで生きる覚悟を決めたのに」
もう麻薬なしでは生きていけない。薬はこの街の売人から買うしかない。田舎に帰ることはできない。それがイレーヌの覚悟。
ジョゼフは頭をかいた。
「気でも狂っているのか? 黒猫のやつ、間違いなく死刑だぞ。そんなことのために」
「ジョゼフさん、黒猫の名前、あたしがもらってもいいですか?」
「構わないが、ほかの女の子たちにもっといやがらせをされても知らんぞ」
「大丈夫です。あたしなにがあっても負けないから。あたし、ママや黒猫のママみたいになりたいし、なりたくないから」
ジョゼフはイレーヌをよくよく見、おどろいた。
いつのまにかイレーヌはやせて、頬はやつれ、顔色は青白く、かげのある美しい女になっていた。
田舎娘だった頃の面影はもうない。黒一色の、洗練された都会の女。黒猫にそっくりな、うりふたつの女だ。
監獄の鉄格子の窓から、晴れた昼の青空が見える。
黒猫は地べたに座っていた。黒い口紅も、黒いネイルもしていない。染めた黒髪のつむじからは、金髪がのぞいている。
乾いた唇で、時代遅れの流行歌を口ずさんでいた。
「シャンソンシャンソン。あなただけのシャンソン。恋するシャンソン。抱きしめてあげたかった」
同じ獄の中にいる女の囚人が、黒猫に声をかけた。
「変な女だね。これから死ぬってのに、空ばっかり見て」
「昼間の青空を見るのがひさしぶりでね。故郷を思いだすんだよ。毎日故郷の田舎に帰りたいと思ってた」
「帰りゃよかったじゃないか」
「そのときにゃもう、この街でしか生きられない、汚い黒猫の体になっちまってたんだよ。それに田舎には預けた娘がいてね。こんな母親がいるとわかったら、娘は悲しむだろう。会うことなんてできない」
「あんたはなにをしでかしたんだい?」
「麻薬の売人を殺したの。巧妙な連中で、私がはたらいていた店で上客のふりをして、店長にかくれて新入りの娘たちを麻薬づけにしていたのさ。警察にも摘発できない麻薬を買わせ、借金をおわせ、売春宿にうりつけるってすんぽうだ」
「正義感かい? つまんないね。そんなもんのために命をすてるなんて」
「そんな高尚なもんじゃない。もっと単純なもの。女には、いや、人間には、命をかけて守らなきゃならないものがあるじゃないか」
「私にはわからんね。まあ刑が執行されたあと、それがなんなのか神さまにでも聞いてみるさ。ついでにあんたの名前も神さまに紹介しておくよ。天国に送ってやってくださいってね」
「親切にどうも。私の名はマリアンヌ」
「マリアンヌね」
「ところであんたはどんな罪を犯したの?」
「私しゃ子どもを殺したんだ。うるさくてじゃまだったから」
「そう。答えがわかるか心配だわ」
黒猫のママ Meg @MegMiki34
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