思い出の向こう、その未来 下
姉と雄大兄ちゃんの両家族、それと親族。
加えて両人と付き合いのある友人各位のみで行われた小規模な式は、笑顔の浮かぶ、穏やかな空気で進行していく。
披露宴という名の、身内の飲み会。
現在お色直しに立ったふたりのいない会場で、私はビールのサーブに周っていた。
「雄大にい……雄大さんのお母さん、ビール空っぽになっちゃいました」
「あらほんと。それなら在庫がないか聞いてみないとね」
「私聞いてきます!」
「わたしが行くわよ。ちょっとお父さん! 力仕事なんだから男手は必須でしょ!」
「ちょっと待ってよお母さん。急かさないで、口直しのソルベが後一口……!」
「後で食べなさいよ!」
男前な雄大兄ちゃんのお母さんと、彼女の尻に敷かれている風のお父さん。
彼女に腕を掴まれ、彼は慌てて残り一口のソルベを完食していた。
「待たせたね」
「まったくよ! 恵美ちゃんも待ちくたびれただろうよ!」
「あ、いえ、まったく、そんなことは!」
雄大兄ちゃんの両親に挟まれ、恐縮して肩を竦める。
そんな私の肩を、雄大兄ちゃんのお母さんは優しく叩いた。
「もっと威張っていいんだよ! 恩人の妹さんなんだからねぇ!」
「恩人?」
「うん。雄大、今は落ち着いているんだけどね。高校に入るまでは度々警察に世話になるレベルの悪ガキで……」
「こっちの言うことなんて聞かないし、もうどうしようもない大人になるのを見ているしかないのかなって思ってたんだよ。だけど、カナタさんが雄大の更生に力を貸してくれてね」
わたしたち、本当に頭が上がらないよ。
ふたりは懐かしそうに目を細めている。
その顔は穏やかで、ひとりの息子のことを案ずる親の顔をしていた。
「恩人の妹も恩人と一緒! 本当に、ありがとうねぇ」
豪快に笑っている彼女の目の端が、小さく光っているように見えるのは、きっと蛍光灯の光のせい。
そう思うことにした。
「……私も、雄大兄ちゃんにはすごく助けられていました。……嫌いだって言っても、怒りもしないで、姉と一緒に支え続けてくれて。だから、私の方こそお礼を言いたいです。ありがとうございます」
「嬉しいこと言ってくれるね! ……ああ、いけない! ビールの在庫を聞きに行かないとねぇ。お父さん、行くよ!」
「はいはい。あ、恵美ちゃんは会場で待っててくれるかな? なにかあった時の連絡係になってもらいたいんだよ」
「分かりました。お願いします」
頭を下げて二人を見送っていく。
あのふたりは、なんだかんだ言っても幸せそうに見えた。
きっと夫婦の在り方は多種多様で、それでもあのふたりみたいに幸せな家庭を築いてほしいと、そう願う。
しばらくして追加されたビールの瓶を持って再び周回することしばらく。
私は頬にほんのりと赤みを帯びた、陽夏の元へとやって来た。
「よっ、二周目お疲れさん」
「よっ。飲んでる?」
「御覧の通りぃ」
大学を卒業した陽夏は、一人称こそ『わたし』となっているが、気が緩むと高校時代のギャルであった時の口調がにじみ出る。
最近めっきりと聞かなくなったギャルの陽夏は懐かしく、私は顔を綻ばせる。
「海外の大学院、どう?」
「日本語通じないし、めっちゃ苦労」
「だろうねぇ。そういえば最近彼氏できたの?」
「どして?」
「陽夏のSNS、ほら、大学の時に一緒にインストールしたやつ。あれに男性物の靴とか見えたから、気になって」
あー、と間延びした声を発しながら、陽夏は注がれたビールを飲む。
「居候」
「居候?」
「歌麿だよ、歌麿」
「えっ?! 歌麿さん?!」
あのマイクロビキニアーマーの歌麿さん?
小声で聞けば、肯定の返事。
「筋肉の伝道師として、今、世界各国を回ってんだって。具体的にはボディービルダーの大会に参加してる感じ。で、今の滞在国がわたしが通っている大学院の近くだから、家賃折半を条件に居候させてんの」
「はー……。世間って狭いねぇ」
感心の声を上げ、陽夏に気になったことを聞いてみる。
これは気になる、どうしても気になる。
彼の、今。
「今も、マイクロビキニ……?」
「実は……。Tシャツとジーンズに進化した」
今日一番の驚き。
思わず取り落としそうになったビール瓶を、陽夏が慌ててキャッチしてくれた。
「ごめん」
「気を付けろし」
「すっごい驚いて……。え、なんで?」
「聞け、メグ。マイクロビキニだと……。空港にすら入れない」
だろうね。
その感想以外浮かんではこなかった。
陽夏がすぐにグラスを空にするものだから、続けて二杯目を注いだところで、司会進行のアナウンスが鳴り響く。
どうやらお色直しが終わったらしい。
「じゃ、また後で」
「ん、いってら」
陽夏に手を振り、親族の席に着く。
カラードレスに着替え直した姉とお揃いのカラータキシードに着替えた雄大兄ちゃんが入場する。
たくさんの拍手に迎えられ、笑みを浮かべる二人。
大きな拍手の中で、黙っていれば日本美人、河野さんの叫び声が響いた。
「カナタの!
▽
「はー……」
会場のあらかたを片付け終え、二次会会場へ向かう途中。
賑やかな式が嘘のように静まり返った廊下で、ひとつ溜息を吐く。
「楽しかったなぁ……。河野さんには困ったものだけど」
『
そこから見える、姉の残った太腿。
鼻息荒く近づいた河野さんは、雄大兄ちゃんの拳で沈められた。
(さすがにまずいんじゃとは思ったけど……。雄大兄ちゃんの親族さんとか、二人の友人の人たちって、結構大らかな人が多いのかな?)
そんな奇行も暴挙も許されたどころか、酒の勢いで、もっとやれとヤジが飛ぶ始末。
あれは彼らにとって、面白い余興に他ならなかったらしい。
(そういえば結衣ちゃんが、河野さんのことを店長って呼んでたけど、もしかして結衣ちゃんの就職先って)
また今度、真相を確かめに店へ行ってみようかという思いと、真相を知りたくないと葛藤する思いが戦っている。
予想通りであればきっと近い将来、河野さんの店にはキノコデザインの装備が売られることだろう。
(デザインがよかったら買お)
私は手元に残るペンダントネックレスを見る。
姉夫婦の結婚指輪、婚約指輪を作ったブランドが手掛ける、可愛らしくもシンプルなネックレス。
両家の両親に贈られる記念品。両親の代わりに、その記念品は私が受け取った。
(ケライノーの心臓、喜んでもらえてよかった)
贈られた者は永久の幸せを得る、なんて言い伝えられるお守り。
入手難易度はさることながら、私が必死に採ってきたのが、姉にとって何よりも嬉しいことらしい。
私はそれを、記念品の代わりに姉夫婦へと贈った。
(ほぼ原石状態で申し訳なかったけど、後で加工するって言ってたし。……ああ、早めに賃貸探さないとなあ)
姉が店を開いている我が家。
ふたりは同居状態でもいいと言ってはくれているが、それは新婚さんに対して申し訳ない。
だから、早めに出ていくことをふたりに宣言したところ、渋々受け入れられた経緯はある。
大きく伸びをする。
予想以上に緊張していたことが分かる、肩の張り。
解していると、背後から声がかけられた。
「メグ」
「朔にい?」
彼はお疲れ様、と私を労わる言葉をかけてくれる。
それにありがとう、と返すと、彼は少し間を開け、口を開く。
「今、時間いいか?」
「えーっと、おねえちゃんの所に行って色々お手伝いしないと」
「そのカナタから伝言だ。二次会の進行や、衣装の返却についてプランナーの人と打ち合わせをするから、少し遅くなると」
「そうだったの」
「ああ。移動の手伝いは雄大と結衣がやってくれることになったらしいから、『少しお散歩でもしてきて』とメグに伝えるよう言われた」
姉側の親族代表として気を張っていたことを見抜かれたのだろうか。
失態がバレた時のように気恥ずかしくなりながら、私は朔にいに返事をした。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
ふたりで並んで歩くのは、式場に併設されたガーデンテラス。
今回の式に使われることの無かったそこは、県内でも有名な、夜景の綺麗なスポットだという。
以前、結衣ちゃんがそんなことを言っていた気がする。
(二次会、わざわざ移動しなくても、ここでよかった気がするな)
夜の涼しい風が吹く。
眩く輝く人々の営みが、まるで宝石のように夜景として夜空を照らす。
ここでお酒を飲めば、気持ちよかっただろうに。
勿体ない精神で思考を揺らしていると、風が前髪を攫って行く。
前髪の流れを目で追うと、両手を背中に隠した格好の朔にいが見える。
普段見ないスーツで決めている彼は、普段の何倍も格好よく見えた。
私は制服フェチだったのかもしれない。
「……夜景、綺麗だな」
「うん。不思議な感じ」
「不思議?」
「だって、今はこうやって見下ろしているけど、普段は私たちもあの夜景の一部なんだよ。……きっと今日から、あの夜景の光が一つ、増えるんだよ」
姉夫婦が、その光を灯して、照らし続けていくことになるのだ。
そう考えると、綺麗で美しくて、なんとも言えない不思議な気持ちで満たされていく。
「……そうだな。あの夜景の一部が俺たちなんだな」
「うん」
しばらく無言で夜景に見入っている時間。
やがて吹いた一筋の風が、緊張で汗ばんだ背中をなぞっていく。
ぞくりとした悪寒のようなものを感じ身を縮こまらせると、気が付いた朔にいが、片手を背中に添える。
「冷えたか?」
「少し」
「……そろそろ二次会会場まで向かおうか」
「そうだね。ありがとう、朔にい。ちょっと緊張解けた」
にぱ、と笑えば、微笑みが返って来る。
そうして夜景に背を向けて歩き出そうとした瞬間。
「ちょっと待ちなさいよネア! せっかく場所を整えたのに、それはあんまりじゃない?!」
「おまえが公開は絶対嫌だって言うから、この時間帯のこの場所を空けたんだぞ?! わざわざ!」
「ちょ、お前たち見てたのか?!」
朔にいが二次会会場まで向かおうかと促した直後、物陰からドレスとタキシードのままの姉と雄大兄ちゃんが飛び出してきた。
わあわあと言い合いをしているネアが後ろ手に持っていた箱が、弾みで地面に落ちる。
「なにこれ?」
ころん、と足元に転がってきたそれを拾い上げて、芝土を払う。
何の気なしにそれを開ければ、挙動に気が付いた朔にいが、「あ」と間抜けな声を上げる。
「……指輪?」
瞬間、空間の空気が、あちゃー、と言いたげなものに変わっていく。
夜景と月明かりに照らされて、シルバー色の指輪に付いたダイヤモンドがきらりと光る。
朔にいは顔を片手で覆い、やがて何かを吹っ切るように、普段あまり聞かない大声で叫んだ。
「メグ、俺と結婚してくれ!」
片膝を着ける騎士のようなプロポーズでも、花束を抱えた色鮮やかなプロポーズでもなんでもない。
落とした指輪を私に拾われ、覚悟を決めたと言えば聞こえはいいけれど、ただやけくそに叫んだだけのプロポーズ。
だけど、それが酷く嬉しくて、目の前にいる姉も、雄大兄ちゃんも、そして朔にいも、まとめて歪んで輪郭が保たれなくなる。
頬に温かい水滴が流れ落ち、次に視界がはっきりと開けた時、慌てる三人の顔が見えた。
それがなんだか、おかしくて。
彼への返事に、私は笑った。
うまく笑えていたのかもわからない。もしかすると、ひどく不格好な笑顔を浮かべていたかもしれない。
そんな恰好の付かない私たちだけど、それが私たちらしくて好きだ。
失っていた記憶の先。
私は思い出の向こうに、未来を見た。
「……はい、喜んで!」
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実に長い時間、ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
ここに来るまで、たくさんの応援、コメント、レビュー等々いただき、感極まっております。
これにて『魔法のシロップ屋さん』は完結となります。
皆様、本当に、本当にありがとうございました!!
魔法のシロップ屋さん 宇波 @hjcc
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