思い出の向こう、その未来 中

「会場の更衣室借りてさっさと着替えてきな! わたしは近くの美容室行ってくるから!」


 と、陽夏に親族控室へと押し込まれて数十分。

無地のシンプルなワンピースにパールのネックレスを着けて着飾り、会場内できれいにヘアセットをしてもらった私は、『新郎新婦控室』とプレートのかかった部屋の前に立っていた。

ノックをし、中から返事があることを確認してから扉を開ける。


「おねえちゃん、支度終わった?」


 控室は白の調度品でまとめられていて、窓から見える青色と、夕焼けの赤色。混じる境界の薄紫色がよく映える。

その中でも、調度品と同じ白色なのに埋もれることなく、ひときわ存在感を放つ姉の姿。


 フリルでゴテゴテと飾られているわけでもない、シンプルなAラインのドレス。

飾りは無いのに、それを着た姉は、部屋の中の何よりも輝いて見える。

車椅子さえ飾りに見える、まるで女神を描いた肖像画のような一枚の風景。


「恵美!」


 姉が嬉しそうに顔を綻ばせる。

肖像画の中にいる女神のような女は、いつもの優しい姉へと姿を変える。


「おねえちゃん、すっごく綺麗」

「ふふ、ありがとう。恵美もオシャレでかわいいわよ」


 姉は嬉しそうに私の頭を撫でようとして、セットしてある髪型に気が付き、肩を軽く叩くだけに留めた。


「ほんっとうに綺麗! 女神さまみたいって思っちゃった」

「嬉しいわ! 恵美がこんなに言ってくれるのに、雄大ったら一目見た途端に逃げるように親族控室に行っちゃって」

「親族控室? 私、すれ違わなかったけど……」

「あら? おかしいわね……」


 ふたりして首を傾げ合っていると、控室にノックが響く。

姉が返事をすると、入ってきたのは。


「やあカナタ! 着替え終わったかな? ……なんで第三案のドレスを着ているんだあぁぁっ!」


 賑やかしく入ってきた、パンツドレスのよく似合う女性。

私の知らない人のようだが、彼女は入って来るが早々、膝に汚れが付くことも厭わずに、四つん這いの格好になって嘆いていた。

この人に見覚えは無いけれど、言動に覚えはある。


「……もしかして、河野さん?」

「いかにもあたしが河野柚子! ひっさしぶりだねぇ、恵美!」

「顔変わりすぎじゃありません?」


 化粧で人は化けるというが、それにしても変わりすぎだろう。

店だと仕事のできるキャリアウーマンに変態を交ぜたような顔をしているのに、今や黙っていれば大和撫子の日本美人。……黙っていれば。


「どうして河野さんがここに?」

「ドレスのデザインと製作を頼んでいたのよ」


 今は着姿の最終チェックに来てくれたという。

糸のほつれはないかとか、想定外のハプニングで破けてしまったようなところはないか、とか。


「三着ほど頂いたんだけどね、他が少し露出が、ね」

「あー。……え、三着作ったの?」

「デザイン案の中から選んで一着作ればいいって、わたしは考えていたんだけど、どうも柚子先輩がノリノリになっちゃったみたいでね……。気が付いたら、手元にドレスが三着あったわ」


 一応持って来てるけど、見る? と姉が言うから、見る。と答えた。


「わぁ、これは……」

「とっても素敵なデザインなんだけど、脚のスリットが大きくて。脚がないから無駄だと思うんだけど……」

「何を言う! カナタの足が存在しなくとも! その太腿は見事な曲線美を描いているではないか!」

「ぶれないなぁ……。河野さん、こんなにスリットが大きいと、パンツ見えちゃいますよ」

「ああっ! 可愛らしい女の子の口からパンツという響き……! いい!」

「新しい扉を開かないでください」


 勝手に新たな扉を開いて悶える河野さんを踏みたい衝動に駆られたが、ぐっと堪える。

流石に、太もも好きで女の子に破廉恥な言葉を言わせて悦ぶ嗜虐趣味者に、マゾヒズムが加わった女性を相手にしたくはない。


 行動にやや難ありでも、仕事自体はきっちりとしていて、河野さんは着姿を見て、車椅子に引っかからないように最終調整をしてから出て行った。

姉と残された控室で二人、時計の針が進む音を聞きながら首を傾げる。


「……雄大兄ちゃん、遅いね?」

「ほんと。どこまで行ったのかしら?」


 リハーサル開始三十分前。

私の中に焦りが生まれてきた頃、控室の扉がノックされた。


「はーい」

「届け物だ。『嫁が綺麗すぎて一緒の空間にいたら爆発する』なんてふざけたことを言っていたから引きずってきた」

「あら、ネア!」


 姉の代わりに扉を開けると、スーツ姿でびしっと決めている朔にいと、文字通り首根っこを掴まれて引っ張られている雄大兄ちゃんがいた。


「朔にい!」

「メグ。遠征でしばらくいなかったが、元気だったか?」

「元気だよ。ほとんど毎日電話してたから知ってるとは思うけど」

「そうだったな。でも、しばらく姿を見ていないから寂しかった」


 しばらくぶりに姿を見た恋人は、甘い空気を私に向ける。

後ろにいる、首根っこを引っ掴まれた人を忘れたような素振りで。


「あのね、朔にい」

「どうした」

「雄大兄ちゃんのスーツ、レンタル品だからね?」


 伸びたら弁償しなきゃならなくなるよ。おねえちゃんが。

私の言葉に、朔にいはぱっと手を放す。

幸いにも、襟は伸びていないようだった。


「あー、クソ、ネアこの野郎」


 悪態をつく雄大兄ちゃんは、ずれた襟を整える。

その間、ちらりと姉を見てはその視線を逸らすのだ。

全くもどかしいことこの上ない。


「雄大、あなた」


 そんな彼を見て、姉は頬に手を当て、ぽそりと呟く。


「若い時のネアみたいよ?」

「あんなに初心じゃねえし!」

「あ? 喧嘩なら買うぞ?」


 若い頃の、それこそ私と彼らが出会ったばかりの頃を思い起こさせるやり取りに、私は密かに、胸を温める。

きっと三人の関係は、姉と雄大兄ちゃんが結婚したとしても、変わらずに続いて行くのだろう。

彼らの間には、友達や親友を超えた絆があるのだと、そんな風に思えるから。


「そろそろリハーサルね」

「ああ、もうそんな時間か。俺は待合室に戻る」

「ええ、また後でね」


 ネアの後ろ姿を見送った部屋の中には、私たち三人が残された。


「おねえちゃん、私も控室戻るね」

「ありがとう、恵美。またリハーサルでね」

「うん」


 姉と軽く抱き合った後に出ていった廊下は人がおらず、どこか寂しく感じる。


 去年、私は陽夏と一緒の大学を卒業した。

姉の店を手伝いながら本職盗賊シーフとして活動する私と、ダンジョン関連の研究をしたいと言い、海外の大学院に進学した陽夏。

ふたりの進路が分かれた翌年、私をここまで育ててくれた姉はついに、結婚を決めた。


(この年になるまで、おねえちゃんは私のことを一番に考えてくれた)


 記憶を失っている間も、取り戻してからも。

だから、もう私のことよりも自分の幸せを一番に考えてもらいたい。

そんなことを思いながら終えたリハーサル。

私は姉と雄大兄ちゃんが本番まで待機する場所へ向かうのを見届け、受付の方へと向かった。


「結衣ちゃん、今日は受付を担当してくれてありがとう」

「あ、恵美さん! このくらいどうってことないですよー。リハーサルは終わったんですか?」

「うん、後は本番待ち」


 人懐っこい笑みを浮かべる彼女は、短期大学を卒業後、とあるアパレルブランドに就職した。

いずれはその店のデザイン担当になりたいのだと、打ち合わせの際に夢を打ち明けてくれたのだ。


「キノコのデザインで流行を作ってやりますよー!」


 なんて意気込んでいた彼女。

実際、彼女が今まで個人で手掛けたデザインの服がSNSでそれなりの評価を得ていることから、それはそれほど遠くない未来に実現するだろうと思っている。


「いやー、だけど、恵美さんが実は年上だったなんて、この間初めて知りましたよ」

「ごめんね、なんか、言う機会がなくって……」

「いえ、それは全然気にしてないです!」


 彼女は本当に気にしていないようで、それよりも、とこっそり私に耳打ちをする。


「例のアレ、採れました?」

「うん、無事に」

「よかったです。あたし、ダンジョン探索の第一線からは退いちゃったんで、伝手もなくて」


 お役に立てずごめんなさいと頭を下げる彼女は、ダンジョンを探索するという仕事が向いていないと感じたようで、短期大学に入学したことを機に、その一線から退いた。

このような進路を選択する人は意外と多いらしい。

適正職業が判明しても、それを生かそうとすればするほど、現場で自然とふるいにかけられるのだろう。


「ご歓談中失礼いたします。そろそろ出番ですので……」

「あ、はい! それじゃあ結衣ちゃん、また後で」

「はい! 恵美さん、頑張ってください!」


 彼女に手を振り別れると、案内の人に着いて行く。


 私と姉には両親がいない。

ダンジョンが現れた、その年に亡くなった。

だから姉と雄大兄ちゃんの式は、ヴェールダウンもバージンロードを一緒に歩くのも、全て私が行うことになった。

姉がそうして欲しいと望んでくれた。


 純白のヴェールで姉の顔が隠される。

真っ白な花で作られたウェディングブーケを両手で持つ姉の背後に立ち、車椅子を押して歩く。


「おねえちゃん、絶対、絶対幸せになってね」


 涙が浮かぶ。必死にこらえる私に、姉はヴェール越しに微笑んだ。


「ええ。幸せになるわ。恵美、わたしの妹。ずっと、ずぅっと大好きよ」


 大きな両扉が開かれる。

白く輝くバージンロード。

私たちは一歩を踏み出した。

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