第348話 常闇に囚われ者

 草原は爽やかな風が吹き抜けていた。風の強さも髪を撫でるくらいで心地よい。

 グリードはロキシーの精神世界に来られなかったようだ。おそらく、俺とロキシーを繋ぐために力を使っているからだろう。


 以前にもここに来たときは一人だった。

 もしグリードがここに来ることができたとしても、ロキシーに気を遣って入ろうとしないだろう。あいつは俺には気兼ねなく接するけど、他の者には節度を持っているところがある。特にロキシーには敬意を払っている感じがした。


 青い空の下、どこまでも続きそうな草原を歩いていく。ただひたすらに進んだ先も同じ景色だった。

 そのために、ずっと同じ場所を歩いているような錯覚になった。


 俺は足を止めることはなかった。この先にロキシーがいるという確信があったからだ。

 同じ景色の中をさらに進んでいくと、次第に時間が流れていくのを感じた。


 それは視覚にもはっきりと現れる。青い空が次第に夕焼け色に染まり出したからだった。


 不思議なことに、俺が進む距離に比例して空の時間が流れていくのだ。

 試しに歩みを止めてみると、空の染まり具合も進行することはなかった。


 ここはロキシーの精神世界だ。現実世界と同じとはいかないのだろう。

 先に進むことで時間が進行する世界か……なんだか彼女らしいと思ってしまう。ロキシーは立ち止まることなく、いつも前を向いて未来に進んでいる人だからだ。


 草原をひたすらに歩いて行くと、空一面が綺麗な夕焼け色に染まった。その光は草原の緑の色すらも変えてしまうほどだった。

 鮮やかな橙色の光に照らされた草原も、ゆっくりと夜の色へと移り変わっていく。


 夕日の次は、一面の星空が押し寄せてこようとしていた。瞬く星々はどれも強い光を放っている。現実世界ではこれほどの光を放つ星を見ることはできないだろう。


 時折、星空から流れ星がこぼれ落ちてくる。その一つの流れ星が俺のすぐ近くに舞い降りた。草原の上をくるくると回りながら、次第に光を弱めていった。

 そして、光の粒子を放ちながら消えてしまう。下の草原を見ると、星の光に染まっていた。

 それが繰り返されていき、俺の行く先を照らす道しるべのように地平線の先まで続いていた。

 

 流れ星によって作り出された光の道だ。ロキシーに招かれているのかもしれない。なんて都合の良いことを思ってしまうほど、美しく幻想的な道だった。


 暗い草原にできた光の道に導かれて、星空の下を歩いていった。かなり進んでも、夜が明けることはなかった。ひたすら空には星が輝いている。そして、時折、俺が行く道を照らすように流れ星が落ちてくる。


 そんな状況で異変が起こった。


「空が!?」


 星々が一斉に流れ落ち始めた。光の雨が降り注ぐ。真っ暗な草原が至る所で明るく照らされる。もう、このような状況では俺が進むべき道を指し示す光がどこなのかは、見た目ではわからなかった。それでも、俺とロキシーの繋がりによって、歩む先はしっかりと感じられる。


 星降る草原をさらに進んでいくと星は少なくなっていき、真っ暗な空が現れた。

 光が一つも無い場所だ。風もなくなり、音も聞こえない。


 あまりに視覚、聴覚に情報が入ってこないので、自分がどこをどうやって歩いているのかさえわからなくなってしまうほどだった。


 それでも彼女との繋がりを頼りに進んでいく。前に歩いているはずなのに……段々と上に上がっているような感覚や、逆に下に落ちているような感覚が襲ってきた。

 おそらく、視覚や聴覚に情報が入ってこない悪影響なのだろう。日頃当たり前のように接している感覚を奪われると、自分が今居る基準すら危うくなってしまうのかもしれない。


 こんな不安定な場所がロキシーの精神世界にあることに、俺は大きな違和感を覚えていた。


 もしかして、グレートウォールの御神体になった影響なのだろうか?


 何も感じない……感覚を遮断されたような暗闇の中を、彼女との繋がりを頼りに歩いていく。どれほどの距離を進んだのかすらも、わからないほど歩いたような気がする。


「あれは……」


 ずっと遠くの方で淡い光が瞬いている。薄い青色の光だ。

 瞬く間隔は、心臓の鼓動に似ているように思えた。そしてとても弱々しい光だった。


 その光を見ているうちに、俺の足は自然と走り出していた。たぶん、感覚が研ぎ澄まされていたことで、青い光はロキシーが放っているものだと頭でわかる前に体が先に動いてしまったのだろう。


「……ロキシーがいる」


 やっと会えると思ったら、ほっとして彼女の名前を口に出してしまっていた。あの青い光の下へ行かないと。


 まっすぐ歩いているはずなのに、宙に浮いているような感覚……いや、逆さになって天井を歩いているような感じすらもする。感覚を狂わせる場所だけど、重力のない浮遊感があるのは確かだった。


 次第に歩くというよりも、飛んでいくように青く輝く光に向かっていく。

 暗闇は俺の体に纏わり付いてくる。ロキシーに近づけば近づくほどに暗闇が重さを持ち始めていた。初めは水のようにさらさらとしたものだった。


 そして、今……青い光までもう少しというところで、体を動かすのも難しいほどの粘度を暗闇は持っていた。俺はそれをかき分けながら、彼女の下へ進んでいく。


「ロキシーっ!」


 大声で彼女の名を呼ぶと、弱々しかった青い光が応えるかのように強く光った。

 その反応に俺は一層確信を強めた。彼女は間違いなくあそこにいる。そう思うと、身の内から力が湧いてきた。

 重く纏わり付く暗闇を振り払って、俺は青い光のすぐ側までやってきた。


「やっと会えた……ロキシー」


 光の中で膝を抱えている彼女がいた。現実世界ではロキシーは天使化した状態だった。でもここにいる彼女には、天使の輪も翼もない。俺が知っている凜とした表情は消え去って、どこか儚げだった。

 ロキシーが置かれた状況が良くないことは一目瞭然だ。俺は彼女へ向けて手を伸ばす。

 青い光に触れたとき、体を貫くような電撃が流れ込んできた。


「くっ……こ、これは…………そんな!?」


 俺は青い光に蠢く暗闇に目を向けた。ロキシーが放っている光に触れたことで、この暗闇がどういったものなのかを理解できたからだ。

 でも、信じられない。ここはロキシーの精神世界だ。


 それなのに、この暗闇……アビスが這入ってくることができるというのか!?

 アビスは星にあるというアストラルチェインで浄化できなかった魂たちが溜め込んだ負の力——呪いによって生まれた存在だったはず。なら、なぜここにいる!?


「そうだ……」


 この世界のステータスは【精霊力】と【呪い】だ。グレートウォールの中では【精霊力】に溢れていた。【呪い】はどこにも感じられなかった。

 もし、小さな神が魂にある【精霊力】だけを吸い取って、いらないものとして【呪い】を廃棄していたとしたらどうだろう。


 そして、御神体の本来の役目とは……小さな神にとって不要なもの——【呪い】の受け皿だったのなら、今俺の目の前に広がっている状況に納得がいく。


 新しい御神体に入れ替えないといけない理由もこれだったんだ。御神体が【呪い】を受け止めきれずにアビスに成長したときに、新しい受け皿に変えてリセットする。


 もしかしたら、アビスになる前に交換するのが本来の正しい手順なのかもしれない。そうなると、ロキシーが今置かれている状況は最悪になってしまう。

 アビスはロキシーの周りを分厚く取り巻いている。彼女から発せられる青い光で辛うじて守っているが、いつ破られてもおかしくはなかった。


 俺はアビスに触れているというのに、影響がなさそうだ。それをみるに、アビスの狙いはロキシーに集中しているのは明白だった。

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暴食のベルセルク ~俺だけレベルという概念を突破する~ 一色一凛 @isshiki_ichika

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