7 四人の軍隊

 山道は険しくなった。雪は降っていないが、積もってはいた。三人は馬から下り、手綱を引いて歩いた。人の息も馬の息も白い。そのあたりにはまだ木が生えていた。まさしく人里離れた場所だった。

「おい」荊蔵がカズに訊ねた。「本当にこんなとこにいるのか」

「心配すんな」カズが振りむかずにこたえた。「おめえよか頭は冴えてら」

 荊蔵は眉をしかめた。カズは腹帯を締めているだけで、上半身は裸だった。

「おめえもたいがいイカれてると思うけどなあ」

「あ?」振りむく。

「小便もチンポから凍っちまいそうだってのに、おめえ、狂ってるとしか思えねえ」

「何を酒狂い《キチガイ》」立ちどまり、うしろを向く。「殺るかこの野郎? 俺は暑がりなんだ。このくれえどうってことねえんだよ」

「それを狂ってるうんだよ、キチガイ」荊蔵も立ちどまる。

「おぅい」前から茂木が声をかけた。「じゃれあうのは後にしろ」

 二人は声をそろえて謝った。

「それよりカズ」茂木が訊ねた。「このあたりで間違いないんだな」

「そりゃもちろん」カズは笑顔でうなずいた。「人伝で聞いたんですがね、遠目の男と地獄耳の男がこのあたりで炭焼きしてるってのは確かでさあ」

「嘘だったりしてな」荊蔵がいった。くつくつと笑っている。

「なにを」カズは口をへの字にしてアル中男を見た。「当たって腹壊すな?」

「まあいい」茂木がいった。「いまは藁にでもすがる何とやらだ。噂話でも行ってみるしかあるまい」

 遠くの木陰で影が動いた。気づいているものはいない。

「それもそうか」荊蔵がつぶやいた。歩きだす。

 影の指が、撃鉄を起こした。手慣れた様子で雷管をつける。

「金閣と銀閣は頼りになる」と、茂木。うつむきかげんに雪道を踏みしだいている。「戦さをするには欠かせな──」

 銃声。伊達男の足元で雪と泥が跳ねた。カズと荊蔵があわてて兄貴分の前に立とうとする。が、茂木は手でそれを制した。

「止まれ!」遠く前から声が響く。主の姿は見えない。まだ幼さのある声だった。「それ以上進むな」

「誰だ畜生!」カズが吼えた。「出てきやがれ!」

「そっちこそ誰だ」声が訊ねかえした。「言わねえと撃つ。突っこんできても撃つ」

「なにを畜生」

 カズは腹帯から銃を抜こうとした。が、茂木が目で止めた。

「弟分が失礼した。俺は茂木寅吉という者だ、人を捜している」茂木が叫んだ。「〈千里眼の金閣〉に〈地獄耳の銀閣〉という兄弟だ。このあたりで炭焼きをしていると聞いた。何か知らんか」

「金閣と銀閣?」声がいった。撃鉄を起こす音。「なんの用だ」

「知ってるのか」茂木がいう。唇の両端を吊って、「知っているのなら伝えてくれ。茂木寅吉が来たってな」

 しばしの沈黙。風で枯れ枝がこすれる。

 影は撃鉄をゆっくりと慎重に下ろした。木の陰から出る。

 茂木らの前方に、青年があらわれた。丸みを帯びた、端正な顔つきをした二十前後の男だった。編笠を被り、黄色い袖章と側章が走った濃紺の上下に白い脚絆を巻き、蓑を羽織っている。手は前装式小銃エンフィールド・ライフルをしっかりと握っていた。

「案内する」青年は顎をしゃくった。「ついてこい」

 山の尾根あたり、獣道を下る。一面に茂った笹と雪をかき分けて進む。悪党三人と青年一人以外、生きものの気配はない。勾配をなんどか上がり下がりすると、木の燃える臭いがした。またひとつ急な斜面を上る。眼下に、ひらけた場所があった。古ぼけた掘っ立て小屋が建っていた。屋根にあいた穴から黒っぽい煙が立ちのぼっていた。

「あそこだ」青年は指さした。

 茂木はうなずき、小屋に向かって下っていった。青年もあとに続く。

「隠居だな、まさしくこりゃあ」小屋を見ながら、荊蔵がいった。カズのほうを向いて、笑いだす。「これで金閣がメクラで、銀閣がツンボになってたら、笑えるな」

 カズは下唇を突きだし、肩をすくめて斜面を下っていった。


 茂木は小屋の戸を開けた。中は並の家屋と変わらなかった。家財もそろっていた。囲炉裏もある。その傍らで、布団の塊がふたつ蠢いていた。その片方から手がのび、ひび割れた椀を逆さにし、床に叩きつけた。

「丁か、半か!」と、くぐもったかすれ声。

「丁だ!」と、舌もつれの高い声。

 手が椀をあげる。サイコロが二つあらわれる。

「サニの半!」

「嘘だ! 嘘つきめ」

「うるせえメクラ! 俺の目は見えてるぜ」

「黙れツンボ! おめえは頭がおかしい」

 茂木が声をかけた。「金閣、銀閣」

 罵り合いがはたと止んだ。片方の布団が盛りあがる。

「兄貴だ」舌もつれな声がいった。「兄貴の声がしたぞ」

 もう片方の布団がねじれ、隙間が入り口のほうを向いた。同じように盛りあがったが、こちらはこじんまりとしている。

「莫迦、声じゃねえ」かすれ声がいう。「ホントに兄貴だ。どういうこった」

「なんだって」

 舌もつれの布団はあらぬ方向にねじれた。かすれ声の布団からずんぐりとした腕がのび、入口のほうを向かせる。

「久しぶりだな」茂木がいった。

「まただ」と、舌もつれ。「また兄貴の声が聴こえた」

「俺は兄貴が見える」と、かすれ声。「むかしと変わらねえ、あん時のまんまの兄貴が見える──ああ、とうとうお迎えが来ちまったんだぜ、こりゃあ」

「おいおい、俺は死神じゃねえぞ」茂木は微かに笑った。両手を広げてみせる。「俺は生きてるぜ。正真正銘、本物の、生きた茂木寅吉──お前たちの兄貴だ」

「なんてこった!」

 布団がずり落ちる。塊の中身はチビとノッポの老人だった。ノッポなほう──〈千里眼の金閣〉はゴボウに手足が生えたような具合で、両目が白かった。チビなほう──〈地獄耳の銀閣〉は、痛んだ里芋に節くれだった手足が生えたような具合だった。片手に喇叭型の補聴器を持っていた。

「ホントに兄貴だ!」金閣が叫んだ。わずかに残った歯を見せて喜ぶ。

「長生きはするもんだ!」銀閣も喜ぶ。

 戸口のあたりにカズと荊蔵が立っていた。アル中男は唇の片側を引きつらせていた。

 カズがアル中男の脇腹を小突き、ささやいた。「笑えよ」

 荊蔵は乾ききった笑い声をあげた。が、すぐに溜息になった。

「元気そうだな」茂木は金閣と銀閣にいった。「こんなところに引きこもって、なにしてるんだ?」

「ずぅっと、博奕をしてまさ」銀閣がこたえた。

 金閣が続ける。「まあ、なぁんも賭けるモンはねえんですがね」朗らかに笑う。

「炭焼きは、してないのか」

「まさか」と、銀閣。

「メクラとツンボの老いぼれに何ができやしょうか」金閣が合わせる。笑顔のままだった。「まさに──へへっ、俺こそまさに──一寸先は闇。いつくたばってもおかしかねえんでさ」

「なぁんもやることがねえ、できることもねえんでさ! こんな糞溜めみてえな現し世だ。こうやって、サイコロやりながらお迎えを待つくらいしかねえんですよ」

 茂木はそうか、とつぶやいた。すこし寂しげな表情だった。

「身の廻りのことやら、ゼニ稼ぐのは」金閣はひょろ長い、骨と皮だけの指をのばした。指の先は明後日のほうを向いていた。銀閣が正してやり、青年のほうを示した。「そこの坊がみんなやってくれてまさ」

「そうだ、金閣銀閣」茂木が訊ねた。「この坊は、どういう?」

「坊じゃねえ」青年がむっつりと口を開いた。「越州雷蔵(えっしゅうのらいぞう)だ」

「雷蔵」カズが鼻を鳴らした。「役者みてえな名だな」

 雷蔵は無言でカズをにらんだ。険悪な目つきだった。

「名前なんぞ関係ない」茂木がたしなめた。凹凸老人のほうを指さし、「現にこいつらは金閣に銀閣だ」金閣と銀閣のほうに向きなおり、「で、この雷蔵とはどういう関係だ」

「手前らの息子でさ」金閣がこたえた。

「息子?」荊蔵が訊ねた。真面目な口ぶりで、「その、どっちが産んだんだ?」

「莫迦、拾い子だ」銀閣がいった。眉間にしわを寄せている。「一圓五十銭で買ったんだ」

「買った?」と、茂木。

「へえ」金閣が説明する。「ありゃたしか、十……ダメだ──まあ、茂木隊が解散したあとでさ。銀閣と二人で越州のほうに行ったとき、がめつい坊主にこき使われとるのを見やしてね。聞くと、あの戦さの、会津の侍どもが逃げるときに、親兄弟みんな殺っていったってな、いわゆる孤児ってやつだったそうで。四つか五つかの子どもにあんましな扱いだったんで、坊主をちょいとして、一圓五十銭で養子にもらった、ってな次第でして」

「そんでまあ、良い子ですよ」銀閣も加わる。笑顔になっていた。「あっしらの教えられることはみんな教えた。頭が良いんですな、それみんな覚えて、おまけに字も書ける。よく働いてくれるし、兵隊にいっても無事で帰ってきた。自慢の息子だ」

「この坊がいるおかげで、ちょっと前までは茂木隊の義兄弟たちと手紙のやりとりもできてた」

 茂木の目が光る。「それは本当か? 金閣」

「ええ、ただ、最後に手紙がきたのは」銀閣はごつごつした指を三つ立てた。「これだけでさあ」

「三人か」つぶやき、訊ねる。「誰と誰と誰だ?」

「鎌田の吾作、藤岡宿の亀蔵、小浜の茶別ちゃべつ」と、金閣。相方と同じように指を三本立てている。「吾作は代貸になって、亀蔵はカタギになって、茶別は坊主に化けた。茶別は、諸国行脚の旅にでるとか書いて残してやしたな」

「ほかは、ほかの連中は」

「さあ、わからんでさ。足洗ったか、勝手に縁を切ったかでしょうな」銀閣がいった。「ああ、金剛寺の蝶介は、蝦夷の網走で臭い飯食ってるそうでさ」

「そうか」茂木は天井を見つめ、口を結んだ。唇の隙間から長く息をつく。

 囲炉裏で薪がはじけた。

「兄貴」と、金閣。真剣で、はっきりとした口調で、「どうして、どうして、もっと早く来てくれなかったんですかい」

 銀閣も続く。うつむき、床に両拳をついている。「あっしらは老いちまいやした。老いぼれちまいやした。頭も身体も言うこときかねえ。昔みてえに突っ走ることもできねえ」首を振りながら顔をあげる。「兄貴、どうして、今のいままで、起ってくれなかったんですかい」

 誰も何もこたえなかった。沈黙だけが流れた。

 茂木は天井を見つめつづけていた。目は、天井ではないどこか遠くを見ていた。やがて、口を開いた。「邪魔したな」踵をかえし、立ち去ろうとする。

「待ちなよ」雷蔵が声をかけた。口付の紙巻煙草シガレットに火をつけ、マッチを床に捨てる。「顔みるために来たんじゃねえだろ」

 茂木は立ちどまり、首をうしろに傾げた。「アテが外れた。よそに行く」

「兄貴」銀閣がいった。ふたりの会話は聞こえていない様子だった。「俺たちゃ、兄貴を責めるつもりなんぞこれっぽっちもねえんでさ」

「そうだとも」金閣も続く。「この目さえマトモなら、タダでもついてくつもりだった。悪いのは俺たちだ」

「なんぞデケエことやろうってのはわかってる。だから」むくんだ人差指が自慢の息子雷蔵をさした。「雷蔵を連れてってやってくだせえ。腕なら俺たちが保証します」

 茂木は振りかえり、申し訳なさげに首を振った。「ダメだ」青年をちらりと見て、「若すぎる」

「失礼なオッサンだな」雷蔵がいった。敵意をふくんだ声だった。「人間をブッ殺すのに歳は関係ねえはずだ」

「ああ、だがな──」

「俺たちのことなら気にしねえでくだせえ」金閣が口をはさんだ。

 銀閣も重ねる。「坊、おめえにゃ苦労かけた。兄貴、そいつに男ってもんを教えてやってくだせえ。そいつは、こんな糞爺の世話やら、行商の真似事やら猟師の真似事やらで終わっていい奴じゃねえ」

 茂木はうっとりした目で凸凹老人を見ていた。目を伏せ、口を結び、頬を膨らませて息をつき、下唇で上唇をしめらすと、青年のほうに振りむいた。

「おい」目も声も冷ややかだったが、品定めするような色があった。「人を殺ったことはあるか?」

「戦さなら行ってきた」雷蔵はこたえた。あくまで冷たい態度だった。「トチ狂った薩人の叛徒キリング・マシーンどもを、十人ばかし」煙草を口からはなし、紫煙を吐いて、「足りないか?」

「いや、じゅうぶんだ」青年の肩を軽く叩き、その養父たちのほうを向く。柔らかい笑みを浮かべて、「ありがたく頂戴して行くぜ」

 老人ふたりは涙してよろこんだ。

 雷蔵はすばやく身支度した。必要最低限のものを背嚢につめ、古い小銃(ライフル)──M1860ヘンリー・ライフル──を点検し、新しい草鞋を何足か背嚢に結びつける。脚絆を巻きなおし、壁にかけてあった二重回しを羽織った。最後に笠を阿弥陀にかぶって立ちあがった。

「金閣父ちゃんに銀閣父ちゃん」ふたりの養父に向きなおり、いった。「いままで世話になった」

「おう」金閣がこたえた。「生水飲むなよ」

「マヌケに死ぬな、戦って死ね。死に様は手前で決めるんだぞ」銀閣がいった。茂木のほうを向いて、「というわけでだ、兄貴」安らいだ声だった。「たのむ」

 茂木は鷹揚にうなずいた。

「ああ」おもむろに拳銃を抜き、撃鉄を起こした。銃口は老いた弟分をまっすぐに見つめている。「地獄の道案内は任せるぞ」

 銃声がふたつ轟いた。

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BLOODY BOUNTY 宇山遼佐 @Uzan_Arsenal

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