第4話 ほしかったマスコット
車のエンジンが振動する音だけが車内に響いていた。通学のたびに乗っているはずなのに、ちょっと息苦しい。ちらりと横を見るが、光奏さまはやはりこちらを見てくれない。……美しいはずの俺の顔は、こんなに価値がないものだっただろうか。
窓の外を見ると、どこにでもあるような住宅街を走っていた。そして、ゆっくりとスピードを落として止まった。
「着いたぞ。お嬢、車で留守番させるわけにもいかないからついてきてもらうぜぇ」
「わかっています」
さっさと自分のシートベルトを外してしまった光奏さまが身体をこちらに向ける。顔を見てもらうチャンスだと思ったが、視線はこちらを向いてくれない。こうなったら、俺が身を屈めて光奏さまの視界に美しい顔を映してしまおうと考えていたが、田鶴さんにさっさと出ろと言われてしまった。
車の外に出ると、そこにはどこにでもあるような一軒家。日常の風景の一つでしかなくて、どこにも異常なところもなく、変な空気の匂いもしない。どこの家で夕食をつくっているのだろう、玉ねぎを炒める甘いにおいがする。
「さっさと行くか。お嬢は俺の後ろにいるようになぁ」
門扉を開けて、田鶴さんはインターフォンの存在を無視して敷地内に入ってしまう。そして、無造作に玄関の扉の前を触ったかと思うと、ガチャッと鍵が開く音がした。驚いている俺に向かって手をひらっと振られて、促されるままに扉を開けて先に入る。
靴を脱いで上がり込んだ俺に対して、別に脱がなくてもいいと田鶴さんに小さく笑われる。
「藍花、帰ってきたの?」
家の奥から女性の声が玄関にまで届いてくる。
その声の主がいるらしいリビングに入る。恐らく、藍花の母親である女性がこちらを振り返って驚いた表情をする。
「だ、誰ですかっ、あなたたちっ!」
その瞬間に、リビングのテーブルだったはずのものがぐるりと姿を変えて、白い生き物へと変化してこちらへと突進してきた。まっすぐに光奏さまへと向かってこようとする身体を翁長くんが獣の腕で受け止める。
いつまにか、家全体が震えて家具だったものが白い生き物に戻っていく。俺たちは囲まれていた。
「「霞」を家具にして使っているなんて、趣味が悪いなぁ!」
「光奏さま、俺と一緒に下がってください」
こうも狭い空間だと、囮役の俺は基本的にやることがない。光奏さまと一緒に壁を背にして下がる。
部屋を埋め尽くすようにこちらを見つめてくる「霞」の姿を前に、田鶴さんは緩慢な動作でぎゅっと握った手を宙にかざして、ぱっと開いた。その瞬間に、藍花の姿が何もなかったはずの場所から現れて、母親から金切り声が上がる。
「あなたっ、藍花に何をしたのっ!」
「そのアイカちゃんが何かしたから、俺たちがここにいるんだがなぁ?」
「……あなた、あなたが悪霊の子ねっ!」
藍花の母親が、俺の隣にいる光奏さまをぎらりと睨む。それを利用して、「デコイ」を使って母親の意識を奪おうとするが、意識を半分奪ったところで今まで黙って人形のようにおとなしく従っていた「霞」たちがゆらゆらと頭を揺らして、光奏さまにじりじり近づいてきた。
「ケイア、ケイアイ、ケイアイノノノ、ミコト、サママ」
「カ、カゴゴゴ、ヲ、クダサイイ」
「タスケ、タスケテ、タスケテテ」
ぬるりと首をもたげる蛇のように伸ばされる腕を田鶴さんが撃ち落とし、翁長くんの爪が切り飛ばす。俺は「デコイ」の力を使うのを諦めて、光奏さまを「霞」たちから隠す壁になることしかできなかった。
「田鶴さん、あの女性の意識を奪おうとすると、「霞」たちが暴れるようです」
「……なるほど。やっぱり、人質を持ってきておいてよかったなぁ。「霞」たちを黙らせろ、お前の娘に手を出されたくなかったらなぁ?」
「このっ、人でなしっ!」
田鶴さんの腕の中で力なくぐったりとしている娘の姿を見て、母親が叫ぶと「霞」たちの動きが止まる。しかし、物言わぬ白い顔たちはじっと光奏さまのほうを向いたままだ。
「……父親がいないな。どこにいる?」
「あの人は仕事中です。まだ帰ってこないわ」
「ふぅん?」
危機的な状況の中で母親は毅然とこちらを睨み、田鶴さんは疑わしそうに母親を品定めしている。
睨み合いが数十秒を続いた後に、ふと母親の視線が家の窓の外へと移った。その瞬間、庭へ面していた窓ガラスがパンッと割れると同時に白い獣が大口を開けて牙をむいた。
「光奏さまっ!」
「きゃあっ!」
一斉に「霞」が襲いかかってきた。救いは、それが部屋の中だったということだ。逃げ場はないが、相手は数が多いがゆえにお互いがお互いの動きを邪魔することになる。目の前に迫った顔を田鶴さんが蹴とばし、もう一方からくる「霞」に向かって銃弾を放つ。翁長くんの腕がずらりと並ぶ「霞」たちを横薙ぎに倒していくが、あまりに数が多い。
俺は光奏さまを抱えて、その場にしゃがみこむ。しかし、床をずるずると滑ってきた腕が鞭のようにしなって、光奏さまの足にからみついた。強い力で引っ張られていくその身体を全体重をかけて引き止めつつ、光奏さまを抱えていない左腕で自分の腰に手を伸ばす。ほとんど使ったことがない小刀を抜いて、白い腕に向かって振り下ろした。しかし、目測を誤って横の床に刺さってしまう。
「い、池浦っ!」
「ほ、光奏さま、手を離さないで、俺にしっかり掴まっていてくださいっ!」
「……わかりましたっ!」
左手だけでは床に刺さったナイフがなかなか抜けない。しかし、右手を離せば光奏さまを持っていかれてしまう。両足で踏ん張りつつどうにかナイフを抜いて、俺は今度こそ光奏さまの足に絡みつく白い腕にナイフを刺した。
ナイフを刺したところからひびが入り、乾いた粘土のようにぽろぽろと腕が崩れていく。ほっとして顔を上げると、最後の「霞」を翁長くんの獣の腕が握りつぶしていた。田鶴さんは窓際の床に倒れているスーツを着た男性、恐らく藍花の父親を踏みつけていた。藍花の母親は髪を振り乱して怨みを叫ぶ。
「……なんだっていうの。なぜ、この町にお前たちのようなものがきたのっ。この疫病神っ! さっさと消えろっ! お前たちのようなものに安息があると思うなっ!」
「へぇへぇ。――池浦、もう「霞」がいないから力を使えるだろ? さっさとやって、さっさと帰ろうぜぇ」
「はい……」
結局、俺は顔だけの人間らしくほとんど役に立たなかった。ぼうっと観賞用として突っ立っていただけだ。
立ち上がろうとして、光奏さまがまだ俺の服を強く握ったままであることを思い出した。手を離してもらおうとして、光奏さまがじいっと床に転がされている少女、藍花を見ていることに気づく。光奏さまの顔色は悪かったが、その目はとても自分を裏切った相手を見る目ではなかった。俺の服を握っている光奏さまの手に触れると、ごめんなさいとぱっと離される。
とにかく自分のできることをやろうと藍花の母親の前に立つと、ぎゃあぎゃあと喚いていた彼女がだんだん静かになり、ぼうっと俺の顔に見惚れて黙り込む。そのまま記憶を消してしまおうとして、振り返った。
「その、光奏さま、その子をお友達にしましょうか?」
「……え?」
「記憶を消して、光奏さまのことをとても仲良しの友達だというふうに覚え直させるんです。そしたら、明日からは本当のお友達になれます」
だって、光奏さまにとっては初めての友達だったのだから。それを悪い思い出にしてしまうのは良くないのではないだろうか。ずっと落ち込んでいるようだし、こうすればまた元気になってくれるのではないだろうか。俺の顔では元気になってもらえないようだから。
良い考えだと思ったのだが、やはり俺は顔以外良いところが一つもない。無表情だった光奏さまが顔をくしゃっと歪ませて、激しくかぶりを振った。
「いやっ! いりませんっ! だって、どうせ、私は流行もしらないし、おしゃれもしらないし、面白いことも言えない、つまらない人間ですからっ! 友達になったって、どうせ離れていっちゃう!」
「せ、洗脳すれば、光奏さまのことが大好きになりますっ。だから……」
「そんなのいらないっ!」
ぶるぶると肩を震わせる光奏さまの背中を翁長くんが黙って撫でる。
こんなことなら、言わないほうがずっと良かったんだ。どうして、俺は顔だけなのだろうか。その顔すらも光奏さまは見てくれない。
動きを止めてしまった俺を急かすように、田鶴さんが口を開く。
「……そもそもこんなに大騒ぎを起こしちまったから、何事もなくこいつら家族がここに住むことはできないだろうなぁ」
「そう、ですね。俺の考えが足りませんでした」
長所一つ以外は欠点ばかりの俺は謝って、あとは言われたとおりにするしかない。母親、父親の記憶を消して、俺たちはさっさとその場を退散することにした。
その後、家を半壊にした一家は人知れずどこかへ姿を消したという。何のトラブルがあったのかと近所ではいろんな噂が飛び交ったそうだが、それは俺たちの知るところではない。
あの一家は何もかも忘れて、この町から消えた。ただそれだけだ。
長かった一日が終わったが、屋敷へ帰る車の中の空気はずしりと重い。光奏さまは車に乗ってからずっと、何度もスカートのしわを伸ばすように手を膝の上で滑らせ、往復させていた。しわを伸ばすためというよりも、気をまぎらわすためなのかもしれない。翁長くんが横から差し出すグミの袋も目に入っていないようだった。
顔も見てもらえない。俺の考えは役立たずばかり。何もできやしない。
俺は目の前の助手席の背もたれ部分をぼうっと見つめ、ふとそこにあるはずのものが頭に浮かんだ。衝動的に身を乗り出して腕を伸ばし、助手席に置いたままだった袋からそれらのうちの一つをつかんだ。
「光奏さま、こちらを」
「…………なんですか」
「欲しがっていたマスコットキャラクターです。田鶴さんが買ってきてくれていたんですよ。明日、これを持っていけば、クラスメイトの子たちとお話を……」
手に持っていたマスコットをばっと横からもぎ取るように光奏さまに奪い取られた。ぎゅうぎゅうと力を入れて握り過ぎるせいで、マスコットの顔が歪んで恐い顔をしている。
「こんなの、いまさら持っていったって……!」
「その、申し訳、ありません。余計なことばかりしてしまって」
田鶴さんが買ってきたものなら思ったが、やはり俺は駄目だった。そもそも、田鶴さんが買ってきたんだから田鶴さんが渡すべきだったんだ。俺が勝手にして、田鶴さんのせっかくの行為まで失敗させてしまった。
車の窓ガラスにぼんやり映る自分の影、そこしか俺の取柄はない。屋敷につくまで、俺はもう窓ガラスを眺めることしかできなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
慌ただしい日の後にも、何事もない穏やかな朝がやってくる。
しかし、シャンデリアがなくなって少し殺風景になった食堂にはいまだに重たい沈黙が流れている。黙って朝食を食べ終えると、すぐに慌ただしく屋敷を出る時間になってしまう。
さぁ、車に乗ろうというところで、光奏さまがくるりと踵を返して無言で屋敷に戻っていってしまった。
「どうした、お嬢? 忘れ物か?」
「……おてあらい、とか?」
「もしかして、学校に行きたくないとか? あんなことがあったんですし、休みたいと言うのなら今日ぐらい休んでも……」
俺たちが口々に言い合っていると、すぐに光奏さまが戻ってきた。そして、俺たち3人の顔を順ぐりに眺めたかと思うと、無言でそのまますっと横を通って先に車に乗り込んでしまった。すれ違ったその瞬間に、ランドセルの横に見慣れないマスコットがつけられていたのが見えたような……。
「まぁ、お嬢が行くって言うなら行くかぁ。お前らもさっさと乗れ」
「もぐ」
「は、はい」
田鶴さんに促され、翁長くんと俺も後部座席に乗り込む。
光奏さまのほうを見ると、膝に抱えているランドセルにやはり見慣れないマスコットキャラクターがつけられていた。ちょっとだけ、そのかわいらしい顔にしわが寄ってしまっている。
「じゃ、出るぞ」
ゆっくりと車が動き出す。
俺たちは普通ではなかった日から遠ざかるために、少しずつ穏やかな日常に近づいていく。
誰に言うでもなく、光奏さまがぽつりとつぶやく。
「今日は、今まで話したことがない子に話しかけてみます……」
「が、頑張ってください、光奏さまっ! お、俺は何もできないですが、呼んでもらえば、美しいだけの顔は見せることはできます!」
「なんですか、それ。そんなことしません」
光奏さまがちょっとだけ笑ってくれて、この顔を持っていてよかったと安心する。
どうしたって、俺たちは俺たちの日常を守っていくしかないのだ。
朝の光の中を、まっすぐに車は進んでいった。
ナルキッソスのための加護 運転手 @untenshu
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